みぎのほっぺに冬の夜

Träume sind Schäume.

梅雨のような人のお誕生日に寄せて!

にのちゃん40歳のお誕生日おめでとうございます!わたしの人生の最終目標はあなたにお線香をあげることなので、どうか末長く穏やかに健やかに長生きしてください。

 

お誕生日のようなめでたい日にはそぐわない題材に見えるかもしれないけれど、この数ヶ月で自分の中でささやかで大きな変化があったので、それを書き残したく。

結婚と家族について。

 

なんかこう、前提として、にのちゃんが結婚したことも、誰と結婚したかも、いつ結婚したかも、記憶の彼方に消し去って、まあ50億光年先で考えられる時が来たら考えられたらいいやくらいに思っていたひどいオタクなんだけれど、というのも、発表の直後に入った札幌ドームで、わたしはそう思って差し支えない、と思えたから、そう思ってきた、というのが大きい。とりあえず遥か彼方まで"これ"に対する思考を放り去って、なんで、どうして、を脇に置いておけるくらい、嵐の二宮和也が好きだな、と思った。

なんでもどうしても何もないのだけれど、オタクの思考回路というのはとかく認知の歪みが発生する。

 

なので一人目が生まれたことも、二人目が生まれたことも、あるいは他のメンバーの結婚すらも、できるだけ遠ざけて、なかったことにしていた。

していたんだけれど、二人目の子が生まれて、その子の写真を見た中丸くんのコメントを知った時(たしか「写真を見せてくれた、小さな二宮くんみたいだった」みたいなことを言っていたはず、文面でしか見ていないのでうろ覚えなのだけれど)、ああ、と思った。唐突に、ささやかにそう思った。

見せているにのちゃんを想像して、その写真をわざわざ自分のスマホから出して、後輩に対して見せている様子を想像して、あーうれしかったんだろうなあ、とか、かわいくてたまんないんだろうなあ、とか、わぁっと込み上げてきて、そうして考えると、自担に対してそれだけの幸福を与えてくれる存在に対して、果たしてわたしのこの感情はどこに向かうのか、という気持ちが湧いて出てきて、例えばここみちゃんやこーきちゃんが出てきた時、果たしてわたしは将来表に出てくるかもしれない自担の子供の存在を直視できるかと考えたけれど、そういう存在にわずかばかりぶち当たった今、直視できるかどうかは置いておいて、その子が絶対的に幸福であってほしいな、そうできる父親であってほしいな、という感情が一番に出てきたように思う。そして、そういう家族に囲まれるにのちゃんも、絶対的に幸福であってほしいなと思う。

ものすごく嫌な言い方をすると、わたしにとって最初それら全ては一つの個として完結しているはずのにのちゃんに「追加」された要素で、でもそれはわたしにはとってはいらないもので、ずっとそれを拒否していたけれど、それはとっくににのちゃんを「構成」する要素、彼にとって最も大切なパーツになっているんだな、と思えた。そう思えたことで、ようやく自分の心の奥底のドロドロとした鉛のような呪いが溶けていくような感覚があって、なんだかひどく安心した。人を呪うということはとてもしんどい。

にのちゃんが中丸くんに見せていたという事実も、わたしたちの見えないところで、彼らが平穏に、お互いの家族に対して会話する場があり、それぞれの家族への関心と親愛があり、そしてそういう姿を彼らの後に続く後輩たちも目撃している、ということを教えてくれて、上手く言えないけれど、よかったな、と思う。

結婚が全てではないし、わたし自身結婚したいとは思わないけれど、でもにのちゃんが、何より幸せでいてほしいはずの自担が、ジャニーズのアイドルとして生きながら、自分の意志で結婚という選択肢を選ぶことができてよかったな、それを阻んでしまうような呪いの存在にならなくてよかったな、と思った。

 

これから先も、好きなアイドルにとって、どんな選択肢も選択可能であることを願うし、それらの選択全てを祝福することを選択することができる自分でいたいと思うし、ずっと一番のにのちゃんでできたのだから、もう誰に対してもできると胸を張って言える。

 

40歳、改めておめでとうございます。あなたとあなたの家族、友人、全ての大切な人にとって、素敵な一年でありますように。

2023 #3 『Endless SHOCK -Eternal-』

半年ぶりのSHOCK!もうリツキがいないSHOCK...しくしく...。来年はショウリいるかな~…どうだろ...。しかしどうなろうとやはり SHOCKは最高だし、毎年絶対ちゃんと見たいものだなと再確認した。

冒頭、あらすじのナレーションが追加されていたけれど、今まで演劇の中の余白として言語化されていなかったところが割と明文化されていておもしろかった。「ショウリが自分自身を責めたことでこのままではカンパニーは前に進めないと感じたリカはカンパニーに対しコウイチが既に死んでいることを告げ、コウイチ自身も自らの死に気づく」(意訳)みたいな部分が一番おもしろかった。そこちゃんと説明するのか。

勝利を見つつ、深田も見られたらいいなーという気持ちで行ったけれど、そんなことを思う余裕がないくらいOPからもう深田が果てしなくよかった。本当に深田って上手い。上手すぎる。舞台映えもするし華もあるし余裕がすごい。舞台の上の深田は何度か見たことがあるけれど、舞台の上の深田一人を注視するという体験をしてこなかったので、こんなに舞台の上の深田って感情豊かで美しいんだって思った。美しかった。フレッシュさもありつつ玄人感もある、すごいバランスだった。

深田を注視するとそれはそれで立樹もこの衣装が本当に似合っていたなあなどと思い出してしまい泣いてしまう。SHOCKに立樹が出ているというのは本当に奇跡みたいなことだったんだな、一瞬だけこの手の中に掴んだ奇跡だったんだな。去年死ぬほど見に行って本当に良かった。自分だってジャニーズであれば絶対に出たい舞台だし、今出ている深田にも阿達くんにもこの経験はものすごく財産になるのだろうなと思う。MOVE ONもソリタリもジャパネスクもHigher も夢幻も夜の海も深田は最高だった。特にHigher の深田は、(他の人を同時に見られなかったので振り付けかどうかわからなかったけれど)高台から降りる一瞬前に襟を正すような美しいモーションをしていて、それがすごく良かった。

去年何度も見た分、今年は去年との違いに気づいて楽しめる余裕のある初めてのSHOCKだった。ジャパネスク中に追加されていたショウリが仮面をつけたコウイチに対して弓を射るシーン、ショウリに弓が似合いすぎていてよかった。フライングもとてもとてもよかった。

ただシェイクスピアシアターのショウリの苦悩の部分がカットされていたのは泣いた、、あそこはライバルショウリを堪能するシーンだと思っていたので余計に悲しい。(もちろん本編も上演されている上での決断だとはわかっているけれど)ここをなくしたことで、今年のEternalはライバル側の葛藤や罪の意識、成長がちょっと見えづらかったなーと思った。結果的にカンパニーの前進のために不可欠なコウイチという存在の昇華の温度感もちょっと伝わりづらい気がした。フライングを入れるための変更点だと思うから仕方ないのかな〜 (泣) あとめちゃくちゃ好きだった夢幻以降のショウリとリカの青と赤の紐を使うタイミングも若干変わっていて泣いた。

変わらない素晴らしいものもあった。YMD で軽やかに箱の上に乗るショウリも、ソリタリのハラも、ソリタリの独白で全く頭が真っ白になっていないハラも、ショウリの慟哭も、全部良い。そしてカテコも、最高に良い。カテコの勝利、本当に2年目ですか?っていうくらい去年と同じように肩に直角に力が入っていて笑った。その8割くらいの力で緊張している阿達くんもかわいかったし、コッシーと同じくらいリラックスしている深田にはウケた。

こんなことを言うと怒られるかもしれないし間違った心配かもしれないけれど、リカの年齢層ってこのままでいいのかな?という疑問を去年同様に持った。光一くんに近い30〜40代の女性だとダメな受当な理由ってあるのかしら。というかリカだけずっと年を取らせない理由ってあるのかしら。なんというか、初演虎者のはせじゅんとリマちゃんのペアダンスを見ている時のような若干の気まずさがある。役と中の人は別物だろうけれど、でもなんかさ、気まずい。アイドルや役者を抜きにして、自分とほぼ同世代の女の子が、二回り年の違う相手とカップル役をやるのが、気まずい。女の子側として。麗乃リカがダメだったとかそういうことでは一切ない。

光一くんと動きごとに深く頷き合う勝利を見て、勝利は、光一くんの一挙手一投足を見て、光一くんの動き、光一くんの反応から目を逸らさないようにしているんだなと思ったし、光一くんからたった一つの正解を見出そうとしているんじゃないかなと思った。もらったものを全て吸収して、いつか勝利自身がショウリに対して正解を導き出すのを見られたら良いなと思う。

2023 #2『ハムレット』

たまたま3月12日の公演を当ててしまったばかりにトラジャのデビューコンオーラスに行けなかったので、絶対後悔させてくれるなよという極めて理不尽な気持ちで世田谷パブリックシアターに初めて挑んだのだけれど、結論として後悔のない良い舞台だった。野村裕基さんのハムレットが、あまりにあまりによくて、気が狂った。

3時間半があっという間に過ぎ去った。そもそも全く説明を読んでいなかったので圭人がハムレットだと思っていたら全然違う役だった。言ってしまえば端役なのだけれど、主役ではないこういう類の役を、こういう舞台で経験させてもらえるのは圭人のキャリアにとってものすごく重要な経験なのではないかなと思った。確かにポスター見ても真ん中にいないなとは思っていたんだよな(気づけ)。

野村裕基さんの演じるハムレット、まず声があまりにもよくて、そして舞台あるいは演劇にとって声ってもう全てだとわたしは思っているので、もうこの声を聞けただけで満足だと思った。地を這うような絶望と嵐のような怒りの激流、「怒」の概念そのものを模ったような良い声だった。こんなにも母音を全て綺麗に丁寧にはっきりと発音する人を他に知らない。

ハムレットという演目を観劇するのは4年ぶりで、それこそ前回見たハムレットはストレートプレーのド真ん中という感じだったので、今回の能や狂言的な要素を含めた演目もすごく面白かったし、風磨くんのハムレットを相対的に考察し返すこともできて楽しかった。風磨くんのハムレットが厳かで上品な深い哀しみを湛えていたのに対して、野村裕基さんのハムレットは激情の悲しみ、烈火の怒りを纏っていて、その対比がとてもよかった。

率直に言って、萬斎さんを見ることで知りたいと思っていた感情の全てが、野村裕基さんによってもたらされた。舞台映えする恵まれた体躯、役に見合う気品とプライド、父に寸分も見劣りしない抜群の舞台度胸と身のこなし、そして何より声。

声が良い、発声の仕方が良いということは今後も否応なく続くであろう彼の舞台人生において大切な相棒になるのだろうと思ったし、是非ともそれを追ってみたいと思った。

 

2023 #1『Travis Japan Debut Concert Tour 2023 THE SHOW 〜ただいま、おかえり〜』

気がつけば4月を超えるどころか5月も終わろうとしていて、もうすぐツアーオーラスから2ヶ月が過ぎようとしているけれど気にせずデビューコン感想をつらつら書きます。夢にまで見たデビューコン、一年ぶりの本物の宮近くん、明日幕が開いても必ずいるという保証がある宮近くん、控えめに言って最高だった。

久しぶりに会えることもデビューコンももちろん本当にうれしいけれど、それと同時に世界で一番好きな「Travis Japanのコンサート」を見られることが純粋にたまらなくうれしかった。もう今後はTDCみたいな場所でトラジャを見られる機会ってなくなっていくのだろうけれど、デビューってそういう寂しくてうれしいことの連続だと思うから、これからもたくさんの寂しくてうれしい景色たちをずっと一緒に見たいなと思う。

 

開演、もう言葉で言い表せられないくらい、何もかもがよかった。とにかく「よかった」という多幸感に押しつぶされるみたいに溢れてくるコンサート。久しぶりに思い出したけれど、そうだ、わたし、Travis Japanのコンサートが世界で一番好きだったんだ。めちゃくちゃ都会的でおしゃれとか、作品としてそつなく綺麗にまとまっているとか、そういう訳ではないのだけれど、でもトラジャにしかできない、トラジャが思う「ジャニーズ」、トラジャが思う「エンターテイメント」、トラジャが思う「Travis Japan」をこれでもかと見せてくれるのがトラジャのコンサートで、これを知ってしまったらもう他の何でも満足できない。

息継ぎなしの構成、文句なしの会場の使い方、ステージ、それを叶えるためのトラジャのためだけの豪華なセット、どれをとっても感無量だった。白いオープンカーで現れて白いオープンカーで去っていくのもレッドカーペットもミラーボールもダンスゲームみたいなステージもトラッコも全面スクリーンも、全部正解で、全部テーマが一貫していて、全部お金がかかっていて、絶対的にトラジャのためのステージでしかないことが本当にうれしかった。

初日、自分が覗く双眼鏡の先に宮近くんがいるという事実がうれしくてうれしくてうれしくて、同時にあまりに体に馴染んで、ああこれをするために生きているのだと再認識した。いつだって双眼鏡の先に宮近くんがいてほしい、いつでも双眼鏡の先に見つめるものが宮近くんであってほしい、宮近くんを見つめられる瞬間が人生で1秒でも多くありますようにと願う。

 

The Show

デビューコン1曲目、JUST DANCE!か、The Showか、夢ハリか、それとも?って何度も空想を膨らませていたけれど、この始まり方はThe Showで間違いなかった。

黒の毛皮を纏って宙に浮かぶ白いオープンカーで登場する7人、ものすごく豪華でデビューコンらしくて大好き。SHOCK大好き人間からしても感無量のジャニーズエンターテイメント。宮近くんが運転席でしめちゃんが助手席にいるのが涙出るくらい好きだし、助手席にいるしめちゃんが毎回死ぬほどかっこいい顔をしているのが本当にいい。シンプルに左ハンドルなのもこだわっていて最高だし、車のナンバーが公演ごとにその日の日付になっているのも凝っていて大好きだった。スクリーンに映る背景が昼のロサンゼルスから夜の東京になるのも最高にいい。去年あんなにも超えたかった16時間をひとっ飛びで飛び越えてくれるトラジャカー(泣)(泣)(泣)

PARTY UP LIKE CRAZY

白いオープンカーが地上(メンステ)に降り立ち、パリヤ〜〜〜!渡米中に突如現れAGTでも披露されたパリヤを生で聞くのは何気に初めて。特に”Keep dancing crazy moving through the night”の振りが一番好き!

毛皮を脱いで次々滝シード姿になるメンバーたち。公演を通して、滝シードとJUST DANCE!衣装はあったけれどそれ以外は当たり前に全部見たことのない新しい衣装だったことを思うと、愛して愛して愛したオリ衣装たち、もう見ることはないのかな、寂しくてうれしいな!

JUST DANCE!

メンステから移動してセンステ。天を指す宮近くんの人差し指、何度聞いたかわからないイントロに胸が震える。このイントロのフォーメーション、何度見ても新鮮にトラジャってプリキュアだなと思えるのでこんなにも最高。

初めて向かい合ってピロブンダンスを踊れるのも、のえるくんのアクロをカメラワーク関係なく余すことなく見られるのも、本当に本当にうれしかった。一斉に動くペンライトも壮観だった。

自己紹介

のえ松松がセンステに残って自己紹介、他の4人はメンステへ戻る。戻る際、レッドカーペットを踊りながら移動するのが言葉で言い表せられないくらい好き。本当にずっと踊っている。普通は映像で繋ぐところもずっと踊っているのが本当にすごいし、ステージの繋ぎ方が底抜けに上手いグループだなとずっと思っている。トラジャの好きなところは数多あるけれど、コンサートの作り方の上手さへの信頼はずっと根底にある。

そしていつの間にかステージを覆っている緞帳の前で各々自己紹介するしめしずダブルカイト。ステージを覆う真っ赤な緞帳があるのが本当に好き!わたしにとって赤い緞帳ってエンターテイメントそのものなので、わたしがトラジャの美学だと感じるものを、トラジャ自身も美学として表現して、自分の強みとして体現してくれるのが本当にうれしかった。今回のセットはその時々のコンセプトとかテーマとかではなくて、美学なのだと実感する。彼らの美学の結晶。俺たちはステージで生きてきたし、こうして生きているし、これからも生きるんだという決意表明。その決意表明の最大の核が、「とにかく踊る」なんだな、と思う。だからこそたまに不器用にも映るしもっとお洒落にコンセプトを表現する他のコンサートもあるのだけれど、でもこれが一番好きだしこれが一番輝くしこれでしかもう満足できない。彼ら自身を削った末のものだから。トラジャのコンサートは、0→1とか1→100とかの昇華をしているというより、1→1をギュッと密度高くやっているように感じる。だから「THE SHOW」なのだと思う。トラジャのコンサートはショーそのものなんだ。

緞帳の前で、まあるく切り取られたスポットライトの中、最後に宮近くんが始めの挨拶をして、ピロブンして、翻って背中を見せて一言言って、そのまま幕の中に消えていくという演出が涙が出るほどいい。後ろ姿がミッキーマウスすぎる。宮近くん=ミッキーマウスという言説はわたしの中ではかなり複雑な立ち位置のもので、なぜかというと宮近くんってミッキーマウスほど完なる偶像ではないと思っているし、できればそこまでの偶像にはならないでほしいし(このままだとなりそうなので)、偶像になるということは本当の意味で王になることだと思っているから、できればもう少し王位継承権第一位でいてほしいと思っているので、容易には使いたくないのだけれど、でもこの場合の「ミッキーマウス」は、一流のエンターテイナーであり、万人の欲望を満たす完璧なる偶像という代名詞を、少しでも借りないと言い表せられないくらい宮近くんの姿が素敵なエンターテイナーだったので、ミッキーマウスと表すのを許してほしい、未来の自分(長尺の言い訳)。

Act 1 Hollywood

ダンスコーナー

中央の階段からまちゅが降りてきて、一気に舞台になる瞬間がすごく好き。まちゅの手足の長さを最大限活かしたこの演出が大好きだし、のえげんが下から参加することでSHOCK陣になるところもめちゃくちゃいい。

この、一つ一つは派手ではないけれど階段にも台にも自由自在に組み替えられて、色んな演出を可能にするセットがトラジャらしくて大好きだった。

夢のHollywood

夢〜〜〜〜〜〜〜!

夢ハリが始まる瞬間がいつだってこの宇宙で一番好き、浮かび上がる7人のシルエット、夢ハリが始まる前にしか訪れない静寂、唯一無二のイントロ。「デビューコンで見たい夢ハリ」をこれでもかと見せてくれた上で、ステッキまで復活して、もう言うことない。自分たちで取りに行っていたステッキがポップアップで掌に収まるの、感無量すぎる。張り切ってタップも久しぶりに踏んだ、わたしの足は宮近くんの号令と共にタップを踏むためにあるのだから。

夢のHollywood(のえげん)

他が捌ける中、下手のグランドピアノに座るのえるくん、寄り添う元太。のえパラでキーボードを弾くのえるくんを見て、いつかのえるくんがコンサートでグランドピアノを弾けるくらい大きなグループになりますようにと願っていたけれど、早々に叶った!デビューってすごい(泣)

アカペラの夢ハリ前ののえげんトークもとてもよかった。元太がのえるくんを120%楽しませようとしていたのがすーごくいい。元太って生来の勘の良さもあるけれど、それ以上に聡いから、自分がどう振る舞えばのえるくんが喜ぶかを完全に把握している節があるし、それが打算とかに基づくものではなくシンプルに「喜ばせたいから」という完全なる陽のパワーから来るのが、元太の元太たる所以だなあと思う。

Happy Groovy

ステージを階段のように斜めに横断するセットに一人一人登っていくメンバー、最後に下手から現れ、ピアノの上に登って踊る宮近くん。のえるくんが弾く純白のグランドピアノの上を深紅の衣装に身を包んだ宮近くんが踊るのがそれぞれのメンカラを具現化しているようにも見えて、ものすごく示唆的で大好きだった。この瞬間にチケ代全額払う!と毎公演脳内で叫んだ。そういう瞬間が間違いなくあることが本当にうれしい。

ジャズのハピグルも本家に負けず劣らず大好きなのでまた見られて本当にうれしかった。このアレンジは虎者のイメージもあってか、しめちゃんが一番素敵に似合っている気がする。

ハピグルのピアノの音を一つ残らず拾う宮近くん、ああ宮近くん。まじでファン一日目の感想を言うけれど、ハピグルの「ふわふわとムーンウォーク」のところ、宮近くんダンス上手すぎるよね。「ふわふわとムーンウォーク」をあれほど体現する人いない、ふわふわとムーンウォークするのがあまりにも上手すぎる。まじで上手すぎて毎回笑ってしまう。ダンス上手すぎる。宮近くんの好きなところ、絶対不動の一位がダンスだから、目の前で毎秒好きが更新されるのってすごく贅沢だなと思うし、世界一好きなダンスを踊る人が世界一好きな人格と世界一好きなボケのセンスをしていたので、今こうしてここにいるのだなと思う。

Swing My Way

確か赤いハットが上から降りてくる。新曲!3曲も新曲が追加されるの、デビューだ!(泣)になった。

個人的にこの曲は閑也の声質にめちゃくちゃ合っている気がして最高だなと思っているし、ジャジーな雰囲気がこんなに似合うトラジャのことを愛している。特に後ろに腕を振り上げる振付が大好き。

Act 2 Electronics

FIRE!!!(Wカイト)

メンステ暗転、花道の途中からお揃いのMA-1を着たWカイトが現れてセンステに立つ。このユニットはうみが本当にうれしそうで、でも変わらず宮近くんを眩しそうに見ていて、いい時間だった〜。お互いのメンカラの螺旋丸を出した後二人合わせてクリスマスカラーの螺旋丸を出していたのもかなりよかった。

FIREの宮近くん、改めて、シンプルに、ダンス上手すぎて、思わず笑ってしまう。あまりにダンスが上手い。あらゆる宮近くんの中でも特に好きな宮近くんのダンスを踊っているのでもうめちゃくちゃ好き、めちゃくちゃダンスが上手い。宮近くんのダンスが上手すぎて笑ってしまう瞬間が人生で一番幸せかもしれない。

個人的にはWカイト史におけるFIREを上手く咀嚼して言語化するのがものすごく難しくて、結局最後の公演まで自分が納得のいく解釈ができなかった。というか宮近くん側の解釈が上手くいかない。うみがうれしそうで楽しそうな、それでいて緊張と興奮が入り混じる絶妙な表情をしているのに対して、宮近くんは何を思ってFIREを踊っているのか全然わからない。どちらかというと、意識的に何も見せないようにしている、という方が見方的には正しいのかもしれない。それが本人の気持ちからの発露なのか、それとも演出を考えてのことなのかはわからない。でも宮近くんってうみに対しては常にツンギレみたいなところがあるから、うみの雄弁すぎる表情に照れているだけで案外本人の素直な気持ちなだけかもしれない。わからん。

PINEAPPLE

センステ暗転、メンステに閑也登場。キラキラした黒スーツだったはず、記憶が曖昧PINEAPPLEはスタイリッシュさと美しさ、少しの寂しさがVanillaの演出を彷彿とさせるなと思った。トラジャの体幹の強さが成せるステージセットと照明のコラボレーション、めちゃくちゃ好きな演出。照明を操ったり縦横無尽に踊る閑也がめちゃくちゃ素敵で最高で涙が出る。色々なことを考えた上でユニット三組+閑也ダンスソロにしたのだと思うけれど、閑也が伸び伸びと、自信を持ってステージに立ってくれていればいいなあと思う。

時差のある恋人への歌、こんなの泣かずにいられる訳がない。「朝」「夜」「手を伸ばし一秒でも僕のそばに引き寄せられたならいいのに」「はなればなれでもあなたに触れてる」「遠くにいても同じ時を同じ愛を生きているから」。こんなにもピンポイントにメッセージ性のある曲を選んでくれた気持ちを思って半年間の亡霊がゆっくりと浄化されていく気持ちになった。特に「遠くにいても同じ時を同じ愛を生きているから」、わたしがめちゃくちゃ会いたくてでも会えなくて遠くにいても気持ちは離れていないと苦し紛れに思っていた間、トラジャも同じように気持ちをごまかして海の向こうのことを思ってくれていたのかもしれないなと思って、なんというか、わかっていたけれど、余計に背中を押してもらえた気がした。

GET ALIVE×Lock Lock

セットから降りてメンステ。このリミックスもこれまたトラジャならではで最高だし(のえるくんありがとう)、WODのリミックスを作るのに予算が下りないかもしれなくて(どういうことだよ!)必死に交渉していた去年を思い出してデビューだ!になった。一生デビューを実感している。

Unique Tigers

シャツの上にグッズのフーディを着てトラッコに乗車(乗虎)。声出し解禁がこのコンサートに間に合って、久しぶりにみんなの名前を呼べたのが本当にうれしかった。ユニタイでコーレスする瞬間、ああ生きているって思う。ユニタイはずっと19サマパラと記憶が紐づけられているから、聞くたびに、見るたびに、あの夏この曲がどれだけ背中を押してくれたか、青く広がる草原を何度想像したか、一列に並んで風を切る7人にどれだけ託したかを思い出す。

あとシンプルに、トラのトロッコトラッコと名づける、という情報そのものが100億点満点のとらびすじゃぱんぢから。トラッコ、ずっと乗っていてほしい、毎ツアー現れてほしい。

Dance With Me ~Lesson 1~

スタンドがある会場はトラッコから降りてメンステ横からスタトロへ、ない会場はそのままトラッコ乗車。ずっとずっと待ち焦がれていたDWM、うれしすぎて涙出る。欲を言うならあのかわいい振り付きで見たかったけど、コーレスできるだけでも死ぬほどうれしい。世界で一番好きなコーレスこと「とらとらとらとらとらびすじゃっぱ〜〜ん!」。

スタトロ(もしくはトラッコ)で客前まで来て手を振る宮近くん、めちゃくちゃちゃんとオタクの目を見ていたね。もう虚空に手を振っている宮近くんじゃなかったねえ。すーごい笑顔でちゃんとオタクの顔を見ていて、なんかじーんとしてしまった。宮近くんはたぶん、宮近担があんまり自分にファンサを期待していないことも、それで満足していることもわかっているだろうし、だからこそ初日の夜の挨拶で「踊っていれば」という単語が出てきたのだろうけれど、それでもできる限り愛を示そうとしてくれた姿勢が愛しいなあと思う。当たり前に、生きている生身の人間だから、宮近くんはこれからもどんどん変化していくのだろうなと思うし、それを全部自分の目を通して見られたらそれが一番幸せだなと思う。

目の前を通り過ぎていく宮近くん、笑い皺をくしゃーーっとさせて、本当に天使だったな。掌から愛を送ろうとしてくれる天使。天使っていうか神の子ですが。賛成コンの時バタバタしていて一回しか入れなくて、その時の実感として、もしかして宮近くんはもう神になっちゃったのかも(泣)と思ってすごく寂しかったけれど、宮近くんはまだまだ神の子だった、よかった(大の字)。

Talk It!Make It!

引き続きスタトロ(もしくはトラッコ)。トキメキでフー!するのすらこんな涙が出ることなんてあるのか。「信じてください」、いつまでも最初の振りが一番好きだから、宮近くんがトラッコの上で小さく信じてください(教祖のポーズ)していてもう大好き!になっていた。

MC

とにかく各地ワハワハずっと楽しいMCだった。うみちゃんがMCでごきげんなことが多くて、それをいつものえるくんが「今日ごきげんだね!」ってうれしそうにお知らせしていて、そんなのえるくんが一番ごきげんでかわいいし、前半をやりながら「うみごきげんだな」って思って見守っていたのかと思うとかわいすぎて苦しい。うみがグッズ宣伝してくれるのも懐かしくてこれこれ〜!になった。

何回か収録が入っていることに触れていて、でもそれが必ず円盤に繋がるだろうと全員が共通認識を持てるのがすごい世界だ、デビューだ〜〜と思った。

Act 3 Japanesque

ダンスコーナー

MCを途中で抜けたしめちゃかまちゅが花道途中から白衣装で登場。この衣装、本っっっ当に好き。特に宮近くんの衣装の形が浄衣っぽくて超好き。イタコみたいでめちゃくちゃよかった、死者の代弁者宮近くん、、(のえるくんありがとう)。背中の虎の尻尾が肩にまで伸びて前からも見えるのもすごく好き。メンステでの踊りも最高に好きだったけれど、それと同じくらい踊り終わって暗がりの中メンステへと捌ける3人の背中が儀式みたいですごく好きだった。

元太和太鼓

メンステ中央一段上、和太鼓と共に元太登場。この和太鼓もすごくよかった。なんか今の元太、すごく「青年」で驚くほど精悍なんだよ。もう元太は23歳なんだよおばあちゃん(公演当時)。

VOLCANO

7人各々が逆V字のように分かれて配置された台の上で登場。上手く言い表せられないけれどメンステの地上レベルにある板?に隠れた彼らが、台が上に移動することによって一人ずつ姿を表す演出が大好き。ボルケーノ前、元太と背後の炎だけが暗闇にぼおっと浮かび上がった時も生贄感がすごかったけれど、7人揃って7つの炎が背後に灯ったらより生贄感が強くてゾクゾクした。Travis Japan×和、最高。ピンクと白の照明と連動して炎も縦横無尽に動くのも最高だった。

Namidaの結晶

7つの台が一直線になり、一つのステージに。この衣装でナミダを歌わずして何を歌うんだよ感。正解。最高のタイミングでどっさりと振ってくる大量の羽根の演出も大好き。

Never My Love

羽根を携えながらステージが上下に分かれ、再び階段に。変幻自在に階段にもボックスにもなるステージ構成が本当に好き、天才。階段の一番上にいる宮近くんがあまりに神々しすぎてこのまま天に帰っちゃいそうで怖くなって、神になんてなるなーッって絶叫してしまう。ネバマイのこと大好きだけれどまさか歌うとは思っていなかったので歌ってくれてとてもうれしかったし、ちょうどトラジャデビュー後のえび座を見たばかりだったので余計に沁みた。そして宮近くんが「my whole life depends on you」のパートを歌うのが最高すぎる、まじでmy whole life depends on youすぎる。

君だけに(のえげん)

全員がステージに降り立ち、階段はボックスに(ネバマイ中だったか曖昧)。2人だけが中央に残る。こののえげんの君だけにがあまりに、あまりに良すぎた。毎回これはオタクの幻覚ですか?になる。何度も反芻してしまうしこれにもチケ代全額払うって思う。何度でも見たい、何度見ても足りない、助けてほしい。

羽根の中でくるくるとコンテを踊るのえるくんが誇張なく人智を超えたもののように思えたし、のえるくんの帯びる儚さと元太の帯びる逞しさがあまりにいい対比で目眩がした。この対比は松松でも、のえちゃかでも、他のどのペアでも絶対に成立しないということが痛いほど伝わってくるし、2023年ののえげんだからこその対比だとも思う。同じ二人でも2019年には成立し得なかった。わたしは19サマパラの元太ソロfeat.宮近くんのAnniversaryがいっっっっっちばん好きだったのだけれど、今回の君だけにとも重なって更に感無量になる。Anniversaryで宮近くんと静かに重なる元太を思い起こすと、やっぱり今の元太は顔つきがかなり精悍になったのだなあと実感する。記憶の中の元太の顔つきはまだまだ幼くて、現実とのギャップがすごい。

特に正面からスクリーン込みで見る光景が良すぎた。後ろに映し出される白い月と青い夜の海が客席の白と青のペンライトそのままで、二人を表したのがこの情景そのものなのだと思ったし、のえるくんが羽根の海の中でくるくると回って羽根が舞い上がるのと同時に元太も夜の海の中でくるくると回ると元太の動きに合わせて波飛沫が上がるのがあまりにも良すぎて絶叫した。終盤でのえるくんが羽根の海から夜の海へと台を昇っていくのが逆に天から元太のいる地上へと降りてきたみたいに見えたし、最後迫り来る眩い月の中に白を纏って重なる二人が溶けていくのと同時に二人の足元では夜の中に暗い海が溶けていくのまで含めてあまりにあまりにあまりに良すぎて倒れた。羽根の海と夜の海だから、もしかしたら二人が意図したメタファーは月と海じゃなくて、月と夜かもしれないとも思う。のえるくんが月で、元太が夜。

のえげんの衣装がちょうど鏡になっていて、半身ずつなところもオタクの気が狂ってしまう。半分ずつの青と白を混ぜたみたいなひらひらの布、それぞれが片翼みたいでもうなんて言っていいかわからない。しかも曲中でお互いの前を開けてはだけさせているし。もうオタクの語彙力では言い表せられない。羽根を捥がれて天から落ちた月が波打ち際で夜と出会い泡になって海に消えていく物語ですか?逆アフロディーテ。良すぎて、これを見ただけで一本映画を見た後みたいな気持ちになる。

あとFIREWカイトが曲中二人の間に吊るされた真白い球体からくり抜かれたように黒く縁取られたシルエットになるのに対して、のえげんは真っ白の月と溶け合うように白に包まれていくのが正反対の表現だなと思いながら見ていた。

Act 4 Street

LET'S MUSIC(しめまちゅ)

メンステ暗転、花道からしめまちゅが現れてセンステで踊る。この180度違う君だけにとレツミュを並べて違和感なく遷移させるの、まじで、天才すぎる。

レツミュ大好きなのでやってくれてうれしかった!しめまちゅのレツミュ、幸福度が好きすぎる。かわいくてポップな二人がゴリゴリに踊るのが衣装も相まってめちゃくちゃによかったし、振付が好きすぎた。こういう機会じゃないと目が足りなくて他のメンバーのダンスまで見られないけれど、この振りはまちゅの伸びやかさとしめの柔軟さが綺麗にコラボしていた気がする。最後メンステへと戻っていく時も花道を踊りながら移動しているのがかっこよくてかわいくて超好きだった。

Turn up the vibe

しめまちゅと揃いのスタジャンを着た5人がメンステで合流。この衣装、かわいくてデザインも凝っていてそれぞれにぴったりで大好きだった!久しぶりに宮近くんに「オイ!ニューエラーーーッッッ!」になったけれど。

正直最初はあんまりピンと来ていなかったのだけれど、途中からどんどん好きになった名曲。そもそもものすごくかっこいいし、ジャニーズ全体で言っても今まであんまりない感じなのではと思っている、知らんけど。重低音が気持ちよくてヘドバンをしたくなる。R&Bというのが正しい表現なのかわからんが、あれをあのテイストのままめちゃくちゃに踊れるのが間違いなくトラジャの強みだなと思う。

上を向いて歩こう

メンステから各自柵型のアリトロへ。それぞれぐるっと半周くらいして最後センステでみんな合流。

まさかのレーベルメイト登場。坂本九氏がレーベルメイトの世界線、かなり愉快で好き。アリトロで近くに来てくれるメンバーを見るべきか、スクリーンに映される留学中の写真を見るべきか最後まで迷った。アリトロファンサ曲とはまた違う、じんわりとした温かさのこもった周遊で、いい空間だった。

World of Dance

合流したセンステで踊る。

どれもこれも最高だったけど、このツアーを通して個人的に一番うれしかったのはやっぱりWODの構成をこの目で見られたこと。自分だけの目線で自分だけの角度で見られたことで、公式の配信なんてない中現地の有志が撮ってくれたガビガビの映像から勘で宮近くんを割り出して必死で追って、数週間後に投下されたりされなかったりする公式の映像を擦り切れるほど見た7ヶ月間が遂に報われた気がした。わたしが報われる必要なんて一切ないけれど。真正面から見るWODは、自分の目線があの夏の日の会場にそのままいるみたいで涙が出た。見られないけれど、見たかったし、見られなかったけれど心から応援していたよ。見る度に、16時間離れていた夏の亡霊を丁寧に成仏させているような感覚があった。きっとまるまるこの構成を見られるのは今回が最後だろうから、何度血眼で見ても見足りなかった。

とにかく運動量が凄まじい。普通は本編最後に6分超えのWODの構成は持って来ない。というか普通はWODの構成なんかそもそもない。WODだけで相当体力を使うのにそれを1時間半以上踊っているところで持って来る事実が、「今回はとにかく"踊る"がテーマ」をどんなに言葉を尽くすより如実に表していて最高だった。そして改めてだけれど、閑也も含め7人でWODを踊れたのが本当に本当に良かったなあと思う。「7人のWOD」自体がこのデビューコンの核だった。

WODを三方向から見せる演出にしたのも大天才すぎる。真正面はもちろんいいけれど横もいいし後ろもいい、そしてその構成を叶えるとらびすじゃぱんのダンスが本当に最高。WODを踊っている時の、これ以外ないってくらい生きる力を振り絞って踊っている宮近くんが本当〜〜に好き。これを死ぬまで見ていたい。宮近くんにとって踊ることとは生きることで、生きることとは踊ることなのだということをWODを見ながら何度でも思う。わたしにとって生きることとは宮近くんを見ることだよ。

回を重ねるにつれオタク側もどんどん踊っている最中を大会のように盛り上げる感覚に慣れていって、歓声を上げながら見ていたのが現地にいるみたいですごく好きだった。新潟から追加されたダンス終わりの特効もめちゃくちゃよかった、あれでさらに盛り上がれた感じがある。

毎度毎度ナミダの縦一列で宮近くんの首をそっと触るのえるくんが地味にツボだった。そのまま毎回二人は斜め前後で目を合わせるのだけど、そこでいつも嘘みたいにかっこよく笑い合っていたのがすごくよかった。なんだか合わせる目線を見て、渡米を経てまた一段とのえちゃかの関係性が進化した気がしたな。元から仲がよかったしお互いを信頼していたと思うけれど、その一歩先、お互い迷いなく背中を預け合っているような感触がした。いい意味でのえるくんから宮近くんへの神格化が解けて、(特にのえるくんからの気持ちが)等身大で対等になった気がした。いい意味で、もうロリデのようなのえるくんはきっと二度と目の前に現れないのだろうなと思った、少なくともあの形では。あとボルケーノでは宮近くんが元太の尻をそっと触っていた。

JUST DANCE!(一節)

そのままセンステ。WODを踊り終えてから7人で円になってお互いを支え合うように肩を組んで歌うから、その光景がそのままWODの躍進によってチャンスが切り開かれていって、AGT、デビュー、そしてJUST DANCE!へと繋がっていったストーリーを表しているように見えて泣いてしまったし、ずっとこうやって肩を組んでお互いを鼓舞して支え合って歩いてきたのだなあと思って涙が出る。

挨拶

センステにのえ松松が残って挨拶、メンステで着替えたしめしずWカイトが挨拶。

初日、あまりにもずっと最高で、考える暇が与えられないくらい最高で、途中から体が完全にいつものトラジャのコンサートとして認識したあたりで挨拶になり、みんなのあまりの壮絶な感情の入りようにそうだった、これデビューコンだった!になった。頭をガンと殴られたような気持ちになった。いつもどれだけでも最高のパフォーマンスを見せてくれて、常にアイドルを全うしてくれている彼らの、切羽詰まった思いにギリギリのラインで触れさせてもらったような心地だった。わかっていたつもりでいたけれど、当たり前にジュニアという環境は彼らにとって常に後戻りのできない場所で、常にステージを降りる選択肢は半歩後ろの暗闇にあったのだと思ったし、その中で何も変わらず笑顔を見せ続けてくれていたことが言外に伝わってくるのがものすごく残酷で、でもそれが事実なのだと思った。うみが「メンバーが抜けたりして」と言っていて、当たり前だけれど、この人たちはこの23年の切羽詰まった思いの話をしている訳でも、渡米前後の話をしている訳でもなく、10年間、15年間の踏ん張った日々の話をしているのだなと思った。

まちゅ:

申し訳ないことにまちゅの挨拶のメモがほとんどないのだけれど、このツアーを通してやっぱりまちゅは面食らうくらい素直な人だなと思ったし、毎度感極まりすぎていて胸いっぱいに満たされていることが存分に伝わってくるところがすごく好きだった。各地を一緒に回った松倉担のフォロワーが言うには「幸せでした」と「手を繋いで」は超頻出ワードだったらしくてかわいい。でもまちゅの素晴らしいところは、周りが色んな言葉で挨拶を述べる中で変に影響されることなく一貫して自らの感情だけを届けてくれるところだなと思うし、その飾らないところが一番の美徳よと思う。

元太:

とにかく言い間違いが多くていとしい。言い間違いの仕方があまりにもおもしろくてこちらが笑いを堪え切れないとぷんすこしていたり、言い間違いを直後ののえるくんが綺麗に回収してオチをつけられたりしていて不憫かわいかった。まちゅ同様楽しかった、と全力で伝えてくれていた。

折り返しの新潟で「もうあとちょっと(※残り半分はある)でツアー終わっちゃうのつらすぎるな」と感傷に浸っていたら、元太も「ツアー終わるのもう寂しい」と言ってくれていてわかる(泣)(泣)になった。

のえるくん:

ツアーを通して、のえるくんは言葉選びが前と比べてすごく上手くなったなーと実感した。のえるくん自身は元太の挨拶に合わせる形で冗談で自分は日本語が上手いなんて言ったりしていたけれど、実際はものすごく日本語が不器用な人だなとわたしは思っている、でもその不器用な温度感を、誤解されずにそのまま伝えられるようになった気がする。客観的事項の説明は上手いけれど、自分自身を表す言葉を選ぶことに関しては丁寧すぎて逆に空振ってしまう人だなとずっと思っていたから、その不器用さを第三者にちゃんと伝わる形で言葉として届けられるようになったのが本当に良かったなと思う。のえるくんが誤解されるのは、例え誤解されたとしてもわかってくれる人だけでいいと言い切れるような人ではないとわかっている分余計悲しい(し、言い切る必要なんてなくていい)。のえるくんって頭はいいのだけれど全くもって要領は良くないと思うのですごく歯痒く思う時もままあるけれど、そういう自分に折り合いをつけて認められるようになったのが渡米期間だったのかなと思う。わたしはやっぱり2022年はのえるくんにとって「自己の肯定」の一年だったと思っている。自己の消化と、肯定と、許し。精神面において、一番渡米が追い風になった人な気がする。

愛知では、「この34年で『叶うから目指そう』という考え方から『叶うかどうかわからないけど目指したい』と思うようになった」と言っていて、今までも少しずつ教えてくれてきたことではあったけれど、改めてのえるくんがそれをこの場で言えるようになったことがうれしくてうれしくて泣いた。相変わらずのえるくんは「おでこを出すのが本当は嫌」と言ったり、「副乳を見せるのが本当は嫌」と言ったり、本当にもうおもしろいくらいわたしからするとどうでもいいありとあらゆることを気にしていたけれど(まず副乳って何?)それをみんなの前で言えるようになったことも嫌だと認められるようになったことも本当に本当に大きくてあ~~~のえるくん綺麗よ~~泣き泣きになった。

新潟では、大好きなヒロアカと準えて、「現実にヒーローはいないけれど、アイドルはいる」と誇らしく言っていたこと、「僕らも最初はヒーローみたいに自ら志してアイドルになったけれど、段々必要としてくれる人が現れたからこそ今アイドルでいられている、皆一人一人が僕の生きる意味」(ニュアンス)と言ってくれたこと、これをのえるくんが躊躇いなく言えるようになった2023年、ついにここまで来たなと感慨深かった。

うみ:

何度でも思うしこう思うのもこれが初めてじゃないけれど、うみは本当に言葉を操ることが上手だなと思う。宮近くんとは正反対の言葉選びというか、宮近くん自体は抽象的な人間(だとわたしは思っている)なのにものすごく具体的な言葉を使う一方で、うみ自体は具体的な人間だと思うのにものすごく抽象的な言葉を使うなと思う。でもその言葉選びがすごく上手くて、抽象的だけどちゃんと伝わるし、伝わる上でうみにしか伝えられないことを、過不足なく、一貫したテーマを持って伝えられるのがすごいなといつも思う。間違いなくこれから先もずっともっとTravis Japanの力になってくれる言葉だと思う。

毎回アイドルへの覚悟について語ってくれていたのがすごく好きで、気まぐれに見えて真面目で、何も考えていないように見えて広く深く色々と思い悩んでいて、たまに落ち込みすぎたりもして、とにかく不器用な真剣さを持って自分に何ができるか、を常に考えてくれているうみの不器用さが大好きだなあと思う。

しめちゃん:

たぶんしめちゃんは、来る人全員にちゃんとまるまる同じことを絶対に伝えようと決めて毎回挨拶に臨んでいたのだと思う。毎回変わらない言葉の強さがすごく好きだった。自分の夢が叶ったこと、これまでの努力、それに応えてくれた感謝、を絶対に同じ温度で伝えようと決めているのだろうなというのが伝わってくるのがすごいし、毎回その温度感が新鮮に伝わってくるからやっぱりしめはすごい。

「デビューしたよ!夢叶えたよ!」って地声が聞こえるくらい声を張り上げて伝えくれて、「本当にね、会いたかった」って声を震わせて、切羽詰まった顔で言うしめちゃん、しめちゃん、しめちゃん。しめは、本当にさあ〜〜〜………ずっとずっと言葉にしてわたしたちを安心させて、前を向かせてくれたこの人は、自分自身に対してもずっとずっと大声で言い聞かせ続けていたのかもしれないなと思うツアーだった。ずっとこちらを向き続けてくれてありがとう、ずっとこちらをエネルギーに変えてくれてありがとう、ずっと気丈に、不安をおくびにも出さずにわたしたちと向き合い続けてくれてありがとう。

閑也:

初日、「まだまだ頭が真っ白になっちゃうこともあるし、今回も覚えられるか不安だったけど、ずっとやってきたから体が動き方を覚えていた」(ニュアンス)と言ってくれた時、ずっと前のらじらーで「いつかこの涙が」をトラジャのことを思いながら聞いていると教えてくれた閑也のことを思い出して、歌詞の中の「限界まで努力できる才能」って間違いなく閑也のことだよと当時思ったことを思い出した。

正直、閑也が適応障害を発症した原因の環境って「アメリカ(あるいは日本語が通じない不慣れな環境)」だと想像していたので少しだけでも離れられてよかったなと思っていたのだけれど、今回「ステージの上」も含まれるのだということを知ってすごくしんどかった。自分自身も適応障害を経験した身として、心身に暗い影響を及ぼした環境を変えられない辛さって多少なりとも想像がつくので、それがこれからも立つべき場所として期待され、尚且つ恐らく自分も立ちたいと願っている場である場合の辛さは如何ばかりかと思う。

色んな心強い言葉を届けようとしてくれているのを見て、素直に受け止めなくて悪いけれど、強がらないで、不安になっても、怖くなってもいいんだよと思っていた。みんなしずの味方だから。しずは、自分で言っていたように言葉を選ぶのが苦手で自信がないのだろうし、それでもステージ上ではそれを誤魔化してしまうから、伝え方なんてどれだけ下手でもいいから、誤魔化さなくていいよと思う。

宮近くん:

わたしは宮近くんに関しては、偶像になり過ぎないでほしいという思いが強すぎるので、説法にはどうしても厳しい視線で臨んでしまう。上手く言い過ぎなくていいと思うし、浅いことを言ってもいいし、捻りのないことを言ってもいい。大したことを言わなくていいから、できるだけ気軽に言葉で遊んでほしいなと思う。遊び方を間違えない人だということは十二分にわかっているので。

初日は、ちょっと別格で、きっとこれからもずっと心の中に残り続ける言葉なのだろうと思う。「そのうち宮近くんが好きって言ってくれる人が現れて、」と言い出しただけでもう涙が止まらなかったけれど、「踊っていれば誰かがときめいてくれる」と言う宮近くん、そうやって踊りに自らの存在意義の全てを託す宮近くんがあまりにも宮近くんそのもので、宮近くんにとって踊ることとは生きることなのだと思った。わたしも踊る、踊っている唯一無二の宮近くんを好きになったから、宮近くんが好きと言う人=踊りにときめいている人だと思ってくれていることがうれしかったし、そうやって踊りに全てを託してきた人なのだということを改めて実感して泣いた。ずっとずっと「宮近くんが好き」な人でいるよと思った。踊って「いれば」と言い切るのが寂しくて、踊りにのみ自らの唯一最大の存在意義を見出していることが哀しくて美しかったけれど、でも切ないくらいわたしにとっても事実で、そうだとわかっている宮近くんが好きなんだよね。

新潟では、「アメリカでトラビスと会えた時、『君たちの成功は、ただ嬉しいとかじゃなくて僕の成功そのもの』と言っていた」、「僕たちの成功は皆さん(観客)のキャリアの成功にはそのまま繋がらないかもしれないけど僕たちを見ることで皆さんの日々の糧になれば」、「僕たちはパワーを与え続けるので、受け止め続けてください」などなど言っていて、すごくすごくよかった。成功が何を指すかはわからないけど、と付け足しながら言うのもとても宮近くんらしかった。「僕たちはパワーを与え続けるので、受け止め続けてください」は忘れないよう何度も何度も脳内で反芻したので一言一句そのままだと思うのだけれど、こういう言葉を濁さず、誤魔化さず、力強く言ってくれたのがうれしかった。

違う日の新潟では、「ステージ上で歌ったり踊ったりすることが一番好きで、一生そうしていたい」みたいなことを言っていて、大好きだった。わたしも一生ステージ上の宮近くんを見ていたいよ。

横浜では、「皆さまは我々の武器です、Travis Japanも皆さんが元気でいられる、幸せになれる武器でいることを約束します」と言っていて泣いてしまった。宮近くんって今回のツアーはずっと、こちら側に永遠を求める言葉として「○○し続けてくれるとうれしい」じゃなくて「○○し続けてください」って断言しているんだよね。珍しいなーと思うし、断言することで逆に受け取り方に幅を持たせることが、すごい言葉だなあと思う。宮近くんのこと大好きだなあって毎秒思う。

JUST DANCE!

メンステ、デビュー衣装で踊る。JUST DANCE!3回歌うのがすごくデビューコンらしくて大好き。まじで今更すぎて今までどこを見ていたのすぎるけれど、ここで初めて宮近くんの赤スーツ衣装の裏地まで反転したような赤チェックになっていることに気がつきました。あの裏地めちゃくちゃめちゃくちゃかわいい。デビュー衣装を生で見られたこともすごくうれしかった。

再び階段が降りてきて、みんなでその階段を駆け上がって去っていくのも超好きだった!手を振りながら両脇からスクリーンが閉じて本編終了。

アンコール

BIG BANG BOY

同じ衣装のままメンステに再登場!これどういう風に再登場したか忘れてしまった。上?横?下?円盤で確かめようと思えることが死ぬほどうれしい。

虎者のオレンジスーツも似合ってはいたけれど、今回の赤スーツバージョンのBBBがかな〜り好きだった!ムーンウォークのところ、わたし的には結構おもしろパートなんだけれど毎回宮近くんは死ぬほどムーンウォークが上手くてすごい(当たり前体操)。

DRIVIN' ME CRAZY

新曲の中で一番好きだったのがこの曲!リズムが最強に好みだった。コーレスのタイミングがやや難しくておもしろい。

新潟あたりから、メンステから花道に続くミニ階段の上でみんなで一段ずつ寝転ぶという下りが現れてそれがすーごくかわいかった。

Together Now

メンステからアリトロへ、ぐるっと一周。アリトロだった気がするけれどトラッコだったっけ?アンコの記憶が怪しすぎる。

最後はやっぱりTogether Nowで泣いてしまう。この曲は初演虎者の思い出も強いけれど、個人的には配信になったエンターの景色がより脳裏に焼き付いている。「今幕が降りて」と歌い出す宮近くんに何度打ちひしがれて泣いたかわからないのに、もう次の幕が開いても絶対に宮近くんはいるのだと思いながら聞くTogether Now、格別だった。

途中から客席と一緒に歌う演出が加わったけれど、オタクの歌声を聞いているしめちゃんがすごくすごくうれしそうで、この人を喜ばすためならばいくらでも喉を潰すと思った。

最後メンステに戻り、現れた白いオープンカーに再度乗車して空へと帰っていく演出が本当〜〜〜〜に好き!最後まで美しく完璧で最強のショーだった。

 

 

トラジャのコンサートってめちゃくちゃ疲れるけれど、それ以上に満足感がすごくて、ずっっっっと踊っている人たちを見ているだけだけれど、ずっっっっと踊っているから一瞬も集中を切らす瞬間がなくて、どの瞬間のステップもターンも見逃したくなくて、めちゃくちゃ疲れて、でも世界で一番最高の疲労感だと毎回感じる。これがないともう満足できない。本当、感無量としか言いようがない。こんなに素敵なコンサートを見せてくれてありがとう。

何よりも、宮近くんの体の動きを全て自らの目で捉えられるということが無上の喜びだった。宮近くんの一挙手一投足を一瞬も見逃したくないし、余すところなく自分の双眼鏡の中に収められる瞬間が人生の中で一番好きだなと思う。宮近くんのことが好きすぎてここで死んでもいいって毎公演思った。

わたしにとって結局必要なのってやっぱりトラジャと宮近くんだけで、トラジャと宮近くんしかいらなくて、そう言い切ってしまって構わないし、そう言い切る存在はこれからもトラジャと宮近くんしかいなくていい。何度も言うけれど、とにかく自分の目で宮近くんを追いかけられて、自分の目で宮近くんを確かめられることが本当に何よりも大事だし、何よりも好き。わたしにとって一番大事なのって「自分の目で見る」ことなので、逆に言えば「誰かのフィルターを通して見る」が一番ストレスなのだろうなと思う。

宮近くんを一分でも一秒でも長く見られることがなによりの幸せだし、宮近くんがステージの上に立つ限り、ずっとずっと宮近くを見ていたい。宮近くんを見つけるために生まれてきたし、宮近くんを見るために生きているって本気で思っているから、これから先もそう思い続けられる道のりを一緒に歩んでいけたらいいな。

あとやっぱり大きな声で「おかえり」を届けられたことが本当に本当にうれしかったし、デビューコンまで絶対に持っていくと決めていた「宮」うちわを掲げられたのもよかった。

亡霊を丁寧に成仏させていく旅だったようにも思う。わたしはずっと「Travis Japanを見続けること」が最優先事項なので、渡米について複雑な気持ちもあったけれどそれは決してトラジャに対してではなく事務所の方針に対してであったし、渡米先で結果を残していく彼らを追うことはたとえ距離が離れていても誇らしかった。でもやっぱり確かにあった寂しかった気持ちとか、会いたかった気持ちとか、そういうのを共有して、もう一度会えてよかった、って昇華できたデビューコンだった。

ステージの設計も構成もセトリも全部全部何の文句もなく世界一最高だった。世界一最高だと信じて疑わない期待をいつだって100億倍にして返してくれるとらびすじゃぱんを世界で一番愛しているし、トラジャのコンサートが世界で一番好き。トラジャ以上のコンサートなんてどこにもない、世界で一番信じている、愛している、大好き、大好き、大好き!デビュー、本当におめでとう!!!!!!!

何もかもにキャンドルを

横原さんに望むことなんてもう「幸せでいてほしい」くらいなので、全然平気だと思っていたのに、今日を迎えてみたら全然涙が止まらなくてどうしよう。

ジャニーズのあなたがすごくすごく好きでした。ジャニーズじゃないあなたがもしまた目の前に現れてくれたとして、心から愛せるかどうかわからないけれど、でもジャニーズのあなたが目の前からいなくなるのが想像以上に苦しくて、どうしようもなく寂しいです。

何度も見つけさせてくれて、何度も見つけてくれてありがとう。

あなたのふわふわと羽根が生えたように踊るダンスが大好きでした。あなたの一人で生きられるところが大好きでした。あなたの、18歳でジャニーズに入るような、そんなところが大好きでした。

日生劇場で見つけたあなたの姿を一生忘れません。名古屋ドームで見たあなたも、東京ドームで見たあなたも、TDCで見たあなたも、EXで見たあなたも、演舞場で見たあなたも、クリエで見るはずだったあなたも、全部全部大好きです。

なんだかぬるっと発表されて、宙ぶらりんのまま数ヶ月が過ぎて、未だに実感のないまま、もしかしたら有耶無耶になって、このままずっといてくれるんではないかと思っていました。

あなたが愛情深いこと、そうあることに躊躇いがないこと、グループを愛して、ジャニーズを愛していることを、わたしは信じているし、それに見合うパフォーマンスをずっと見てきました。わたしが見たあなたがどれくらいあなたが見せたかったあなたに寄り添っていたかわからないけれど、それでもわたしから見えるあなたを誰にも渡したくありませんでした。どんな風に踊るか、どんな風に笑うか、どんな風に手を振って、どんな風に愛を届けてくれるか、わたしだけが見ているわたしの中だけの「横原悠毅」がいます。

わたしの使う「かっこいい」は、生涯あなたのためだけのものです。わたしのかっこいいの定義は、永遠に横原悠毅ただ一人を指します。

あなたの名前が並んだ公演が発表された日のことも、あなたのメンバーカラーが発表された日のことも、それが変更された日のことも、グループ名が発表された日のことも、全部覚えています。たくさんの初めてを教えてくれてありがとう。

とにかくわたしの心のやわらかい部分に、ずっとやわらかくいてくれる人でした。わたしに翼をくれる人でした。

真実が何か、わかるわけも、わかろうとも思わないけれど、でもとにかくわたしが見た横原悠毅は、世界で一番かっこいい、ジャニーズのアイドルでした。

烈火のような怒りではなく、混沌とした戸惑いでもなく、ただ真綿で首を絞められながら、ゆっくりと手先が冷たくなっていくような絶望だけがあって、全てが嘘みたいで、でも横原悠毅というアイドルが確かにいたのだということがわかるから、グッズを死ぬほど買っておいて良かったなあと呑気に思うもう一人の自分がいます。

またねじゃなくてもいいから、どうか幸せでいてくれることを願っています。

ゆるゆる遠征日記@名古屋

遠征楽しいな記録。

行き先:Travis Japan Debut Concert Tour 2023 THE SHOW ~ただいま、おかえり~@日本ガイシ スポーツプラザ ガイシホール

 

1月28日(土)

  • 4:30 起床

夢にまで見たデビューコン、爽快な起床。

 

  • 6:30 東京駅着

フォロワーと集合。1,000円を謎にケチって自由席にしてしまったので、7:00発の新幹線に乗れるよう余裕を持った時間。キビキビ朝ご飯を調達。15分ほど前にホームに整列、無事乗車。余裕がありすぎて新幹線が出発する前に朝ご飯を食す。

 

  • 7:00 東京駅発

うちわの仕上げ。

 

かなり余裕の到着。10:00〜のグッズ購入まで短く見積もっても30分ほど時間はあったので名古屋駅内のドトールへ。フォロワーは「ドトールも名古屋だと映えるな〜」などと言っていた。我々は浮かれている。昼ご飯を売店で調達し、予定より一本遅い電車へ。余裕があるので無問題。

 

オタクの波に乗って下車。初めてのガイシ。

 

  • 10:00 グッズ購入

グッズアプリで決済コードを発行し、整列。10分ほどで無事購入。グッズのショッピングバッグが想像より二回り大きくてテンションが上がる。初日にグッズのビジュがTLを駆け巡るのも、グッズ列も何もかも懐かしい。

早々に暇になったので写真を撮ったりトイレに行ったり。フォロワーがビニールシートを持って来てくれていて最高になった。

 

  • 13:00 開演

 

  • 15:30 終演

名古屋駅で買っておいた昼ご飯を食べる。食べながら各地から集まったフォロワーとの再会。1ヶ月ぶりに会うフォロワーもいれば2019年のサマパラ以来4年ぶりに会うフォロワーもいて感慨もひとしお。

うちわを手直ししていたら入場列に並ぶのが遅れ、トイレが限界だったフォロワーを追い詰めてしまった。ガイシはとにかくトイレの選択肢が少ない。あと開場が遅い。トイレの数だけは有明アリーナを見習ってほしい。

夕日に照らされてオレンジに光るオタクの入場列が味わい深くてよかった。

 

  • 17:30 開演

 

  • 20:00 終演

規制退場の後会場の外に出たら事前に先人のはてブで読んだ通り笠寺駅までは人が多すぎて近づけなかったので、先人のアドバイス通り大江駅まで歩く。20分程なので全然歩ける。やや暗めの道路もあったので一人だと怖かったと思うが、他にも歩いているオタクはいたのでコンサート後なら歩きやすいと思う。

 

夜行バスの集合時間が24時を超えていたので、24時直前まで時間を潰せそうな店を探す。名古屋駅周辺の地図を読み解くのにやや苦労したが、無事到着。名古屋っぽい夜ご飯も食べ、満足。

食べすぎだし、食べかけ。

 

1月29日(日)

24時前に店を出たら24時に名古屋駅の扉がどんどん施錠されていきかなり焦った。仕方がないので寒さに震えながらゆりの噴水前で待機。30分前に集合、乗車。

 

  • 6:30 東京駅着

フォロワーと解散。もう本当に夜行バスは引退する。

 

歌妖曲~中川大志之丞変化~

※2022年現場総括に載せた内容と同じなのだけど、独立した投稿にしたかったので以下再掲。

 

重く苦しい舞台だった。見ている間ずっと怖かった。わたしは果たして律子のように、定から目を背けないでいられるだろうか。相手が誰かに関わらず、態度を変えないでいられているだろうか。ルッキズムの妄執あるいは逸脱することへの恐怖に取り憑かれていないとどうして言えるだろうか。

犬王を見た時にも通じるものを感じた。犬王もやはり、その才能だけでなく、その美によって大衆に受け入れられた。定の姿形はあまりに犬王に似ていた、しかし定には友有は現れなかった。もっと言えば、定に友有は現れなかったし、定もまた自分自身に友有が現れることを拒絶した。

また、犬王の美への変化が恒常的なものだったのに対し、定の桜木輝彦への変化は常に尋常ならざる痛みを伴い、かつ恒常的でないというのが生々しく、救いがない、と思わせた。一瞬、これで桜木輝彦として生まれ変わったのだと思った瞬間の安堵と、定の姿形はこの世から消えていなかったとわかった瞬間の落胆が、何よりわたしの美醜を暴いた。

美しい人間を日々愛するわたしにとって、あまりに重かった。わたしは美しさ抜きに好きな人を好きとは言えないだろう。わたしが本当に愛するものはなんなのか、わたしがそれを本当に愛していると言えるのか。画面越しの人間ではなく、ただの友人としてでも、あるいは通行人としてでも、わたしは定から目を背けない自信はない。

本題とずれるけれど、娘の安否もわからず、夫の居場所もわからないまま、ステージに立たざるを得ない一条あやめの姿にも打ちひしがれた。なぜショービジネスはここまでの犠牲を伴うのか、ここまでの犠牲を伴うことをわたしたちは求めることを止められないのか。

幻覚の利生が定に対してかけた「桜木輝彦に会えてうれしかった。『理想の』弟が現れたようだったから」という言葉が、定へのどんな直接的な罵倒よりも辛かった。定を誰よりも人間として見ているように見えた人は、定を見てはいなかった。鳴尾家の誰も最後まで定を直視しなかった。躊躇いなく定を直視した杏がすぐに気づいた桜木輝彦と定の連続性を、鳴尾家は誰も気づくことはなかった。ただ一人生き残った姪の希子以外。

最終的に定はその醜い姿形の内側に潜む内面の醜さを糾弾されるけれど、それを醜いと言いその責任を問うのはそれが形成されざるを得なかった環境を作った人間たちの欺瞞だと思う。家族は定を愛さなかった。誠二は定を愛したけれど、桜木輝彦は愛さなかった。杏は定を直視したけれど、定も輝彦も愛さなかった。そして定も「定」が愛されることを渇望しながら、愛されることを拒んだ。自分自身が定を愛するべき存在だと認められなかったから。

暗闇のままならば観客がそれぞれの理想を己に投影するだろうと言い、「煌めく手段から目を背けるな」と歌いながら真っ暗なステージの中央で自分が付けた炎に炙られる定があまりに哀しくて、定自身が一番自分自身の理想の結晶である桜木輝彦と己とのギャップに苛まれ、その幻覚を追い求めたのだと思った。

火に炙られて死んだ定の亡骸がむくりと起き上がり、「中川大志」として立ち上がった時、定は最後まで世間から目を背けられて死んだのだと思った。その瞬間に眼前に迫り来る、わたしたちは目の前に立つ中川大志という人間をその美しさ込みで愛しているのだという途方もない実感が逆説的な絶望と己への失望を呼んだ。そしてカーテンコールで大志くんが桜木輝彦として現れた時、定はカンパニーと共にステージに並び立つことも、万雷の拍手を受けることも許されないのだと思った。それがあまりに悲しくて寂しくて、同時に定を葬ったのはわたしたちなのだと納得した。わたしたちが定から目を背け、わたしたち一人一人が定を殺したのだ。

 

ゴチ23

ゴチ23お疲れ様でした!2022年も一年間毎回欠かさず見ました。今回は感想をちゃんと残したいなと思って書きます。

 

結果:

IN)池田エライザ高杉真宙

OUT)ノブ・池田エライザ高杉真宙

 

今年もジャニオタ的にもゴチファン的にもまっすーが輝いていた一年だったなと思います。特段にゅす担というわけではないけれど、奇跡の大精算から始まった一年というだけでもかなりよかったのに、更にはビリだったライアーゴチでは見事ライアー(矢部)を言い当てて支払いを回避したり、ニアピンキャッチ成功したり、大精算ではある程度安全圏内にいた真宙が大負けしたことによりまさかの残留を果たしたり、最後まで楽しいサプライズを見せてくれてうれしかった!

新メンバーのエラちゃんと真宙もとてもよかった、、二人ともコメントにもバラエティにも一生懸命だったし、真宙が生来の可憐さによってヒロイン枠を掻っ攫う中、逆にそれを上手く活用するエラちゃんもいて、とにかくおもしろかわいい楽しい二人だった。

まっすーに当たりの強い空間の中で素直で向ネタ心の強い真宙によるまっすーまっひーのゆるい師弟関係は癒しだったし、何よりもエラちゃんと真宙の関係がとてもよかった〜(嗚咽)。前から親交のある二人がするゴチ外の話(主に人見知りをして共演者の輪に加われない真宙とそれを輪の中から見てちょっと心配しているエラちゃん)がとてもよかったし、エラちゃんのブラックで利発な部分が真宙に対しては素直に出ていたのがすごく可愛らしかった。ゴチ内の女優枠ってバランスが難しくて、下手したらおじさんの接待役になってしまうし(これは100%おじさん側が悪い)、実際23の中でも流れが危ういな〜って見ていて思うところは何回かあったけど、誰に対しても平熱の真宙と絡むエラちゃんはすごく活き活きしていてとてもよかった(泣)。

一番好きだったまひエラ(と呼ぶかはわからない)は私服回でおしゃれな私服を披露した真宙に対し、「高杉のシワのない服を見たことがない」と見破るエラちゃんと、トータルコーディネートを買ったことを白状する真宙。何から何まで最高だった。。

仕方がないことだけどもうゴチで二人を見れないのが冷静に寂しすぎる。一対一でもなく、ゴチのあの人数だからこそ出せた小競り合い(主にエラちゃんからの)だったと思うし、しばらくは恋しくてたまらないと思う。

ノブのクビは、一ヶ月半くらいお休みしていた間に立てた代役たちがことごとくビリになったりおみや代払ったりして、元々4位だったのが休み明けたら最下位になっていた(その後更にエラちゃんが大負けしたが)ので可哀想なんだけど、でもまあ4年もいたし、ゴチ内も矢部の復帰によりおじが多くなってこれコンプラ意識大丈夫そう?って心配になる瞬間もちょいちょいあったので、ある程度フラットな若手が来て空気を一新してくれたらいいなーという気持ちでいっぱいです。

 

残留組で言えば、岡村のおいC芸が進化して(というか周りが進化して)毎回色んな仕掛けが見られたのが楽しかった〜。でもやっぱりメンバーみんなで並んで「C〜〜〜!」って大きく腕曲げてやるのが一番かわいくて好き。Cって絶妙にかわいい。

矢部が負けない負けないと言われ続けていたけど、なんだかんだ結局一番負けていないのは岡村で、そういう塩梅(レース的にも印象的にも)が上手い人だなあと思う。岡村と矢部の勝ち方の上手さってあまりに正反対で見ていて面白い。ゴチ外のナイナイのこと全然知らないけど、案外矢部の方が剥き出しなのだなあと思った一年でした。

というか残留ってナイナイとまっすーだけなのか。ゴチ24こそはまっすーのボケをどうにか上手く拾ってあげてほしい。上手く拾える人材がこの広い芸能界のどこかにはいるはずだ!お願いだ。ゴチ24はどうかまっすーのボケがいい感じに着地しますように。

 

最後、たぶんゴチ23だけの演出はゆめちゃんの設定金額とシマッシュレコードのゲストイメージ曲。わたしは「シカゴーーーッッッ」の語呂で発される設定金額をこよなく愛していたので、ゴチ24ではおそらくゆめちゃんを見られないのが非常に悲しい。まあまあバラエティを見ている方だと思うのだけど二組とも他の番組で見た記憶がないので、どうか頑張ってほしいと切に思う。応援しています。

 

ゴチ23、そんな感じでした。一年間とっても楽しかったです。2023年も毎回真剣にゴチを見ていく所存です、対戦よろしくお願いします。

2022年現場総括

2022年ももう暮れですね。とか書いていたらいつの間にか年が明けていました。2022年は西に東に北に南に、オタク人生の中で一番各地に飛ぶことができた一年でした。あまりにもたくさん現場に行ったので、2022年前半のものはすでに3年前くらいに感じる。3月末から始まったトラジャの不在による筆舌に尽くし難い喪失感は、しかし9月末に飛び込んできた祝砲によって絵に描いたような「終わり良ければすべて良し」に帰結し、地鳴りのような音を立てて渡米中に空いた心の隙間が埋まっていきました。新たな沼を見つけたり、ジャニーズ以外の舞台にも足を運んだり、悲しいこともたくさんあったけれど何だかんだ2022年も楽しみ尽くした一年だったなと総括できることが何よりよかったなと思います。それでは総括。

 

1月

  • ジャニーズ カウントダウン 2021-2022

(本当は2022年の現場なのだけど2022年現場総括に追加し忘れていたのでここで…あとトラジャがいる現場はこれしかなかったので…年跨いでいるし…)
ジャニオタ生初のカウコン!大晦日の日本でジャニオタ濃度が一番高い場所東京ドームに絶対一度は行ってみたいと思っていたので、遂に念願叶った。全ての曲でペンライトが一斉に揃っている景色が壮観だった…もはや客席が縁起物だったよ。
放送前のトラジャ、登場の瞬間から最強だった。夢ハリのダダッダッダッダッダダーンが流れながら、メンステで白いレーザーとスモークと共に浮かび上がってきた7人のシルエット、ただただ鳥肌。メンステからムビステで前進してくるトラジャは「覇気」そのものだった。そしてバクステで踊るThe Show、ドカンドカンと打ち上げられる赤と緑の特攻の景気が良すぎる。
Travis Japan、2021年最後の最後まで世界一揃っていたし、世界一声が出ていたし、世界一エンターテイナーだった。トラジャのダンスって吸引力がすごくて空間を圧縮させる力がある気がしている、だからTDCで見るトラジャも、横アリで見るトラジャも、東京ドームで見るトラジャも、トラジャという存在の限りない大きさって変わらない。どこに行ってもトラジャはそこに「いる」んだ、と思った。トラジャを見ると心も体も震える、武者震いか恐怖か、心臓が飛び出しそうになって慌てて胸を押さえる、深呼吸しても動悸がどんどん速くなっていって、ステージから否応もなく目が離せなくなる、そういう実感を、変わらず一瞬たりとも疑わなかった2021年だった。宮近くんのこと、2021年最後の日も2022年最初の日も死んじゃうくらい大好きだった。
そして放送、ジャニフェスのステージだからというのもあるのかステージが四ヶ所あるから無限にあちこちからジャニーズが出てきて、高速回転寿司みたいだった。とにかくセクシーとじゃんぷを奈落から上がってきた瞬間に見つけるのに注力しすぎて死ぬほど忙しかった。ちいちゃんの特に意味のない全力疾走とか、一生映像化されることのないありちねの距離の近さとか、とにかく網膜に収められてよかった景色が多すぎた。そしてやっぱり顔が良い人たちがずらーーーっと並んだ中で一際ちいこくかわいらしい人がいるという稀有さを身をもって感じられて良かった。知念侑李。
放送後のグループそれぞれの挨拶の時、後列のジュニアの顔を見せるために(本当は階段があるからしゃがむ必要なんかないのだけど)、前列のデビュー組が一斉にしゃがんで、しかも全員が片膝を立ててスタンバイしていたのがあまりに美しく、嗚呼ジャニーズエンターテイメントよ、永遠なれ、と祈った。
帰り道のことを何も考えていなくて、タクシーが見つからなくて大手町で一人凍死を覚悟したのもいい思い出。次また機会があれば、即東京ドームホテルを予約する計画性と財力を身につけたい。

youtu.be

 

  • Hey!Say!JUMP Fab! -Arena speaks.-

2021年から始まったツアーの続き。改めて、ちいちゃんは歌うように踊り、踊るように花道を歩く人だなあと思った。ちいちゃんにとって生きることとは踊ることなんだととても素直に腑に落ちた。
何よりも、今回のセトリで一番好きなASAP!→クランメリアの流れが立ち位置0ズレで見られたことが本当に嬉しかった〜…!階段の真ん中であのスーツを纏い、金色に淡く照らされ掌を伸ばす知念侑李、ただただ神様だった。どこまでも神様でいてほしいという願いすら叶える神様だった。穏やかに自信を湛えながら微笑んでいた表情を忘れたくない。
楽しくて仕方ないって顔で歓喜を堪え静かに微笑みながら爆踊りするちいちゃん、ああステージに立つために生まれてきた人だといつだって震える。この人がいつだってステージに帰れるような世の中でありますように。ちいちゃんはどんなものを見つけてもきっとそれを極められたと思うけれど、でもやっぱりステージに出会ってくれてよかったなあと思います。
最後のしんがろ、メンステの両端で踊っていたやまちねがゆっくりステージの真ん中で落ち合うところがとてもアツくて大好き!2人ともお互いから一度も目を逸らさず、見つめあったままうれしそうに近寄るのが本当に良い。この2人はこうやってずっと正面からお互いと向き合ってきたんだろうなと胸がじんと熱くなる。
アンコでスタトロに乗ってファンサをしていくちいちゃん、今までずっと神様だと思っていたけど、天使だったんだ…!と思った。それくらい神々しかった、銀髪と共に体全体が発光していた。ふわりと微笑んで一つ一つ丁寧にファンサを贈っていて、客席全体を穏やかに見つめていて、ちいちゃんはこんなに優しい目で客席を愛していたのだなと思った。
初めてのしっかりした泊まりの遠征、ずっと楽しかったなあ。還暦超えてもオタクとずーっと楽しく自担のこと見てたい。

 

横原くん初の外部舞台!デカダン以来2年ぶりのEXでの舞台で、また西田さんの3時間舞台を見られるのが感慨深かった。やっぱりEXの照明が死ぬほど好きでクラクラする。眩い白と青のライトが縦横無尽に板の上を照らす様を含めてわたしはデカダンを愛していたのだと気づいたし、この照明に自担が再度照らされることの幸福を感じた。大好きなEXのライトに照らされた横原くん、この世のものとは思えない美しさだった、油断したら感嘆の声が漏れそうだった。
横原秀吉、まずやはり美しく眩ゆいお顔に加え、よく通る声、ころころ変わる表情、コミカルな動き、最適な間、軽やかな身のこなしから繰り出される殺陣、どれを取ってもとても良かった。衣装は全くもって彼のパーソナルカラーには合わなかったのだけど、白と青のライトが似合いすぎていて、光り輝いていた。初めての外部舞台に感極まる暇もないくらい横原くんの演技は素晴らしかった…ただただ「猿」としてそこにいた。
全体として言えば、途中まで抽象的なモチーフがうまく提示されないまま進んでいたのでこれは丸ごとなくした方が構図としてわかりやすかったのでは…と思ったけど、最終的にちゃんと収束していてよかった。一方で、かなり客席側の歴史知識に頼っている部分が大きくて、歴史を好きな人間としてはとても楽しかったけれど前知識がなかったら結構わかりづらいだろう部分も多くて、作品の面白さに直結している話の核となる部分に、全員の共有事項ではないものが多く含まれているのは単純にもったいないなと思った。軽いテンポ感と往年のテーマが合わさって上手く絡み合っていたのが面白かったからこそ、色んな関係性を描き過ぎて若干とっ散らかった感もあったなと思う。でも「新解釈」という感じでとってもおもしろかった!
総じて、信長と秀吉が雨に打たれるシーンが一番好きでした、あのライトに照らされた横原くん、どんな宝石よりも美しかった…。「天」は「国」で「雨」は「槍」、自分と共に雨に打たれようとする横原秀吉に越岡信長は「立っていられるか?」と聞いたのだな、と思う。初見では越岡信長は横原秀吉ただ一人へのメッセージとしてこのゲームを始めたのかと思ったけれど、2回目を終えて信長は光秀にも応えてほしい気持ちはあったのに、光秀はそれに応えなかったのだなと思った。「雨に打たれる」=「命を賭ける」で「宝」=「天を取る覚悟」で最終解だと思うのだけど、光秀は雨に打たれることも宝を取りに行くこともできたのに、その権利があったのに、諦めたのは光秀自身なのだと思った。越岡信長はずっと光秀に対して「あいつがいないとつまらん」「お前はやらんのか?」と言っているのに、光秀は一人で考えて一人で決着をつけて、そして横原秀吉に「いつも選ばれていたのはお前だ」「(自分は)行きたくても行けない、最初から行けないんだよ」と言ってしまう。信長はそんなこと言っていないのに。光秀も秀吉もお互いを羨んでいたのは同じだけれど、やっぱり二人の決定的な違いは雨に打たれたか否かで、何もわからないまま初めて雨に打たれて「立てません」と正直に言える秀吉と、立てないことがもう頭で考えてわかっているから雨に打たれに行かなかった(行けなかった)光秀、の対比だなと思った。雨に打たれて立っていられなくなった横原秀吉に対して、「だからお前は猿なんだ」と言う越岡信長、これはつまりは「(俺が可愛がってきた)猿」のままでいるな、一人の羽柴秀吉として羽ばたけ、俺を超えてみせろということなのではないかなと思う。そして、これに繋がるのが横原秀吉の八重へのプロポーズのセリフなのだと思う、「俺は羽柴秀吉になる」は一人で羽ばたく宣言、続けて「この国を大きくする気持ちは信長様にだって負けない」で信長からの自立の象徴。「今よりもっと幸せにする!」と言って結婚を申し込むのが横原秀吉っぽくてとても好き。個人的には舞台上で結婚を申し込む横原くんを見られて感無量でした。最後、信長の元に向かうか悩み苦しむ横原秀吉に対して八重が「盛大に羽ばたいてください」と背中を押すのはプロポーズのセリフと対なのではないかな、と思った。
最後「ざまぁみろ!」と叫ぶ横原くんの表情がとっても良くて最高だったーーー…!あなたそんな顔もするのね!
考え続ける舞台はやっぱりすごく楽しい!けどだからこそこの舞台が劇中で与えられる情報による考察じゃなくて前知識にかなり依存しているのがもったいないなと思った。総じてこの舞台の感想は、「もったいない」と「こんないい役を演じる横原くんを見せてくれてありがとう」です。初の外部舞台、正直ここまでキーになるキャラをやらせてもらえるとは思っていなかったので、驚きの方が強い。ステージの上の横原くんがやっぱり一等好き、と強く感じた。仕方ないとはいえ大阪公演がなくなってしまったのがとてつもなく残念だった…。
以下は雑な考察の羅列。

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3月

  • 裏切りの街

本当にひさしぶりの新国立劇場、たっぷり3時間の不倫舞台。
前評判通り、本当に何の躊躇いもなく誰にも共感できない舞台だった(笑)他のメンバー誰が裕一をやっても引っ叩いちゃうけど、ゆうやだけは結局かわいすぎて引っ叩けないから秀逸なキャスティングだなあと思いました。
本当に誰にも共感できない、というかわたしは逃げることが怖くて、レールから外れて逃げることから逃げてきた人生なので、不思議な人たちだなあと思いながら見ていた。本当は仕事だってしたくないし、責任なんか取りたくないし、人の金で生きていたいし、ずっとだらだらしていたいし、生きているかもわからない未来のための行動なんかしたくない。でも結局みんな逃げた先が怖くて逃げることができないから、ここまで正面切って逃げることってなかなかできないことでむしろ才能なのでは?と思った。最後まで特に改心することもなく、言葉の厚みも増さず、結局ずっと逃げたままの二人はどこへ行くのでしょうか。この先の二人がどんな末路を辿るのかに何の興味も湧かないことも含めて不思議な舞台だった。何の興味も湧かないのに感想ブログを書いた不思議な舞台。

by-n.hatenablog.com

 

4月

  • ミュージカル「ジョセフ・アンド・アメージング・テクニカラー・ドリームコート」(2022)

やぶくん、初めまして、だった。
初めて薮宏太という人と出会って、初めて正面から彼を見た、と思った。薮宏太ってこういう人だったのか。
やぶくんがステージに降り立った瞬間の存在の破壊力(降り立つ、としか表現できない)の衝撃が忘れられない。空間を一瞬で制圧するほどの「幸福」のオーラに圧倒されると、人は涙が出るのだと学んだ。自分が何故泣いているのかわからない、ただほっぺたに伝う冷たいものが涙だということだけが解る、不思議な体験だった。やぶくんの存在そのものが福音で、加護だった。自分が福音だと知っている福音だった。誰もが好きにならざるを得ない、誰もが縋らざるを得ない。間違いなく寵児だった。わたしはヒロムが彼に強烈に惹かれた理由を初めて本質的に理解した気がした。
やぶくん、歌が上手いと思わないことなんてなかったけれど、今こうして歌によってキャリアを切り拓き、認められるようになったやぶくんを見て、ヒロムの愛した歌声が彼を今日まで導いたのだと思って、ヒロムの信じた愛、を信じたやぶくんに触れて、なんだかとても泣けた。
やぶくんのために作られた衣装がステージの上で旗めく。やぶくんの一挙手一投足が正解で、我々の命運は全て彼の掌の中にあった。それを万人に明け渡すのが、彼が福音である紛うことなき証明だと思った。「ドリーム」コートは間違いなく彼にしか着られなかった。
頭上から拍手の音が降ってくるように感じる日生劇場が大好き。何層にも折り重なって雨のように降り落ちる拍手がやぶくんを包みながら、やぶくんは天へと捌けていった。
「赦された」という気分になった。愛さざるを得ない。好きにならざるを得ない。好きになってほしい、教えてほしい、導いてほしい、暴力的な存在だと思った。

 

  • King & Prince FIRST DOME TOUR 2022 〜Mr.〜

いつの間にか海ちゃんに落ちていた十年来の友人と共に初めてのキンプリ。登場からドデカイ観覧車みたいな時計に乗って回されていたり、なんとかアームの荷台の下に各自ミラーボールが付いていたり、キンプリは愉快。
ずっとたつるを目で追っていたけれど、広い広い会場で、スクリーンには絶対に映らない大好きなアイドルを血眼で判別して、必死こいて双眼鏡で追うことでしか出ないアドレナリンが久方ぶりに出た。本当、好きなアイドルが「ジャニーズJr.」を全うしている瞬間を見るのが心底好き。スポットライトの当たらないステージの端の真っ暗闇で、99%の視線が違う方向を向いている、それでも己のプライドにかけて微動だにしない姿を見ることでしか得られない感情がある。職業ジャニーズJr.、愛してる。
たつるのことは常々プリンセスだと思っているけれど、やっぱりプリンセスだと思った。たつる、最後一人だけバクステからメンステへの帰り道を間違えていたのに途中まで気づかずごきげんに歩いていたのがとてもかわいかった。
楽しくてちょっと切ない、寂しいコンサートだった、と4月に書いたメモにはある。

 

  • こどもの一生

初めての東京芸術劇場、初めての聡ちゃんの舞台。とてもとてもとても良かった。ホラーが苦手なので不安だったけれど、それを上回ってあまりあるくらい良かった。難解で休憩もないのに一度も切れることなく引き込まれた。聡ちゃんって本当に、すごい。信頼。
ストーリー自体もとてもおもしろかった…!その中で聡ちゃんが自由自在に柿沼を操って、2時間ノンストップで舞台を駆ける姿が圧巻。聡ちゃんを持ってしてこの舞台は完成したのだと断言できる。声帯すらも操る聡ちゃん、完膚なきまでに「主演俳優」だった。
「お前はどうして痛くない、いないからだ」と言い放つ柿沼の力強さ。認識するからいるけれど、認識しなければいない。作用できるからいるけれど、作用できないからいない。わたしは三友は「いない」と思うのだけど、他にどんな考察があったのだろう。ユングパスカル、話半分で聞いていた哲学者たちの主張が走馬灯のように脳裏を巡る。ああ知らないことがこんなにもあるって、なんて世界は楽しいのだろう。
ものすごく体力が削られたけれど、叶うならばもう一度見に行きたい舞台だった。
観劇中、何度も聡ちゃんにひかるくんを重ねて、ひかるくんならばどう演じただろうと考えた。きっとまた全く別の舞台になっただろうと思うし、我儘を言うならばそちらもいつか見たいと願う。

 

3年ぶりの歌舞伎。本当に、本当に、本当〜〜〜〜によかった。何度でも言いたい、何度言っても足りない。幕が上がって、9人の影が現れた瞬間がもう全てだった。圧倒的だった。簡潔に言うならば、空気が凛とした。静かだった。9個にして一つだった。なんて言えばいいかわからない、とにかく、後ろから照らされた9個の影が現れた瞬間の静けさが頭から離れない。あの瞬間にチケ代全額払ってもいい。そう思うくらい、痺れる登場だった。
ひらりと桜、本当に良いという記憶がずっとあったけど、やっぱり本当に良かった。泣く予定なんてなかったのに涙が止まらなかった。本当に立派だった。立派、としか表現できない。わたしはSnow Manを見続ける権利を自ら手放してしまったけれど、当たり前だけれど、彼らはわたしが見逃してからの3年間もずっと、本当にずっと、ステージに対して真摯に、誠実にあり続けたのだと思った。
WITH LOVE、一人一人現れ、最後にパッとスポットライトを浴びるラウール、その清々しく晴れ晴れとした、五月晴れのような華やかな笑顔があまりにも大切で、あまりにも尊くて、ああこの子の進む道が、どうか幸せなものでありますように、素敵な人たちとやさしい感情に包まれて、どうか晴れやかなものでありますようにと願った。3年前の彼の輝かんばかりの背中にもそう祈ったことを思い出して、Snow Manへの感情とは祈りなのだと思った。LOVEが命に変わる演出、ジャニーズすぎて泣いた。
自分の過去の担降りブログを改めて読み返してみて、歌舞伎の感想に「まだわかりやすく残る荒削りささえも彼らの芸を輝かせるものでしかなかった。」と書いてあって驚いた、今回見たものに荒削りさなどひとかけらもなかったから。完璧に完成された、文句のつけどころのない百点満点のエンターテイメントだった。
今のSnow Manの勢いに外野からたくさんの嫉妬や羨望や謂れのない非難が向けられるかもしれないけれど、そういった声を上げる人たちは、永久に、こんなにも素敵なものを見れないのだ、ざまあみろ!と思った。わたしはもう彼らを見続ける立場を降りたけれど、でもずっとそういう味方でいさせてほしい。
3年前この舞台を見た時、あまりにも良くて、ああこの人たちは、この舞台のために9人になったのだと思ったけれど、なかなか納得できない自分がそう素直に思うくらい本当に良い舞台だったけれど、やっぱりそう思って差し支えないくらい、本当に良い舞台だった。今追っていないからこそ、自分の感情を乗せずに、純粋に舞台として見たものでここまで感動したのって初めてかもしれない。3年前の感想に「最初も最後も、涙でぼやけて何も見えなかった。」とある。本当にその通りだった。
横原くんもずっと良かった。太鼓を任されていてとてもうれしかった。髪の毛が刈り立てで綺麗に整えられていて偉かった。花道を駆け上がる横原くんも良かった。顔が良すぎて町に溶け込まない横原くんも、髷をリボンで結う横原くんも大好き。最後の衣装は結婚だった。
でも感想を全てSnow Manへの賛辞で終わらせてしまってもいいくらい、Snow Manが本当に良かった。

 

4〜5月

  • Endless SHOCK -Eternal-

勝利の晴れ舞台。何度も何度も通った帝国劇場、日に日に成長していった勝利。壁の照明がくるりと舞台の方を向く瞬間、ああ今日も幕が開くと実感する。帝国劇場が何よりも好きだ。開演、何度見ても「𝐒𝐡𝐨𝐫𝐢 𝐒𝐚𝐭𝐨」の字で涙ぐむ。
コウイチとショウリが重なるように踊るのが印象深い。本編の配信を見て今年のSHOCKは「0番」と「0番」の衝突だと思って、実際その通りだった。まだ0番になる自覚のない未熟なショウリがコウイチを通して0番が何たるかを知っていくSHOCK。二人が「この舞台の0番」と「生来の0番」であることが逆説的に対比を大きくさせる。勝利にとって、このタイミングで形式上だけでも「0番でない」位置を演じられたことは、ものすごく大きくて、意義のあることなのではないかと思う。
一番記憶に残っているのはなんと言ってもHigher!これにチケ代全額払っても良い。そう言える演目になったことが何よりも嬉しい。途中から演出が変更されて、それまで最後まで曲に参加せず端でうなだれていたショウリが、途中から参加して、コウイチと2人で並んで歌う、笑顔を見せながら!最後はショウリがドセンで終わり、コウイチは一段上に一人、ショウリと重なるように立つ。ショウリが歓声に包まれながら仲間とステージを後にし、コウイチが一人ステージに残される。本当に素晴らしい、次のシーンに繋がる演出だった。このシーンの変更を光一くんは「勝利の努力と成長」と表現していた。ショウリではなく、勝利、と。本当に、「役が育つ」ってこういうことなんだ…!!ということを実感できた春だった。
立樹を見つけた春でもあった。立樹綺麗だよおじさんに俺はなった…。リツキの、鼻まで伸びた前髪を、一切気にせず淡々と踊り続ける凄まじい色気を忘れられない。涼しい顔して楽しみながらSHOCKという演目に難なくついてくるのが本当にすごい。全てのターン、全ての動きに意志がある踊りをする。あと色が白い。わたしは色が白い男が好きなのか…?真っ白い肌に透き通るような肌、赤い唇。白雪姫?リツキの絵画のような静けさと人間離れした透明さが何よりも好き。途中から絵画が人間になった!と思えたことまで含めていい春だった。
ああ勝利、本当に本当に本当に立派だった。一回りも二回りも大きくなった。カテコの勝利、いつ見てもそんなに?っていうくらい直角に肩に力が入っていて笑った。い~~~い舞台だった、生きた。

by-n.hatenablog.com

 

6月

  • M.バタフライ

どう受け止めるかとても難しい舞台だった。
普遍的な“男たる帝国主義“と“女たる植民地“の対立項であるなら、受け止めることはある意味定量的で簡単だったかもしれないのだけど、ガリマールがバタフライの裸を見てもなお幻想を見続けたことが事を複雑にする。そしてこの複雑さは、バタフライが女装した男性だったことに起因するのだと思う。ムシュー、あるいはマドモアゼル、“M.“バタフライ。
でもよく考えてみれば、ガリマールが舞台を通して終始ソンを“ソン・リリン“ではなく“バタフライ“と呼んでいたことがその証左だったのかもしれない。ガリマールにとってソンは欲望を忠実に叶えてくれる幻想たるぼくのわたしの蝶々夫人、"マイ"バタフライでしかなく、ソンを直視することはない。だからソンの男性性を見てもその幻想が壊れることはない。むしろ壊れなかったことでソンはガリマールが“ソン・リリン“を見ていなかったことに気づき、自分が作り上げ主導権を持っていたはずの幻想に敗れる。“自分の幻想に溺れるガリマール“という幻想に溺れたたソン・リリン。なのかな。
わたしは"女たる植民地"が敗北するのをどう受け止めればいいのか。というかその対立項が主題じゃないと思うのだけど、じゃあ何が主題かと問われると上手く言語化できないから、これを見てどういう感情を持てばいいのかわからなくなるのかもしれない。感情に正解などないのだけど。

 

6〜8月

  • セクシーゾーンライブツアー2022 ザ・アリーナ

本当に、筆舌に尽くし難い最高のコンサートだった。今までで一番好きだったPAGESを塗り替えてしまうくらい好きだった。完璧に大好きだった。構成が美しくてテンポも良くて、それでいて決して綺麗にまとまりすぎた感もなく、本当に素晴らしかった。お洒落で優しくて知的で少し寂しくて幸せな、紛う事なくセクシーゾーンのコンサートだった。
80年代と現代とセクシーゾーンとの融合と再構築があまりに文脈として滑らかで秀逸で、80年代の様々な要素の連続性も美しくて、ああなんて頭のいい人たちなのだろうと思った。頭がいいという褒め方は好きではないのであまり使いたくないのだけど、やっぱりセクシーゾーンは誠実な知性の持ち主なのだと思った。「最高のコンサート」の定義は幾重にもあると思うけれど、この質と方向性の最高さは、セクシーゾーンにしか出し得ないものだと断言できる。
わたしは真剣に女装して確固たる意志を持って可愛いに全振りするセクシーゾーンが大好きなので、そしてもうセクシーガールズたちは見れないかなとSTAGEを見返して思っていたばかりだったので、彼女たちの登場が心底うれしかった。特に勝子…俺の人生を狂わせる可愛さ…。Ringa Ringa Ringの最後、暗闇の中グラスの光に淡く照らされて美しく微笑むセクシーガールズが涙が出るほど美しい。あそこで笑いに行かず、可愛いにも行かず、「美しく優しい」に辿り着くセクシーゾーンが大好き。
映像で間違いなく一番好きなのはForever Gold前。「苦しい時こそ踊ればいい」で屋上で翻る勝利、「悲しい時は笑えばいい」でにぃと笑顔を作る風磨くんで涙が溢れる。わたしのアイドル、わたしのヒーロー。そこからのForever Gold→レツミュ→RUNの流れがあまりにも美しかった…!系統が近いわけではないこの3曲を上手くワンコーナーにまとめ上げた手腕に唸る。
Dream前、風磨くんが「もう少しだけ、待ってみませんか」と言ったことで、「遠回りでもいいから ここで僕と待つのはどうだい」という歌詞が明確な意味を持つ。こういうセクシーゾーンだけの文脈と実感すべてのためにコンサートはあると言い切れてしまう。
Dream。こんな形で見れるなんて、夢みたいで言葉が出ない。アルバムの中で一番好きだった曲、どうにかセトリ落ちしないでくれと願っていたのだけど、まさかこんな最高な形で見せてもらえるとは思っていなかった。この曲を最後に持ってくる構成、ああPAGESでCRYを最後に置いたグループだ、こういうグループをわたしは好きになったのだと実感する。わたしはPAGESでCRYを歌いながらステージ中央に消えていく、寂しくて寂しくて優しい演出が本当に大好きだったので、あの寂しさ、切なさ、願い、を選ぶところが変わらないなとうれしくなる。「寂しいと思わなくなることが寂しい」と的確に伝えてくれた風磨くんが作ったステージだなあと思った。何度も想像したDreamを歌うセクシーゾーンは間違いなく一番美しくて、一番優しかった。リフターの上で正面を向いて、二方向から照らされる風磨くんは何度見てもやっぱり、スポットライトをこんなにも優しく纏える人がいるのかと思う。一つも重たくないみたいに受け止めて、愛して、自由に背負う風磨くんの静けさが好きだ。双眼鏡越しに見ながら何度大好きと呟いても足りない。
なんというか、めちゃくちゃいい意味で「11年目」のコンサートだった。古き良き曲たちをアレンジしたり、今までの演出を更に洗練させたり、10年間全てを内包した正しく11年目のセクシーゾーンのコンサートだった。
3ヶ月間、年一回のコンサートのために各地の開催地に一年ぶりに遠征して、同じ地でまたセクシーゾーンを見るという、「デビュー組のオタク」の行動をしているのがすごく楽しくて、そういうことを全部最初に経験させてくれるのはいつもセクシーゾーンだなと思った。夢だった横アリ5日間も叶えられて、北にも東にも行けて、何の悔いもないツアーだった。脳内で完璧に再生できるセトリ、動線、立ち位置、絡み。ずーーーーっと楽しかった!そして何よりドーム発表に立ち会えたことがうれしい。Dreamのオレンジと赤に染まる客席携えて、5人で行こう、一緒に行こう!

 

8月

  • BE MORE CHILL

今年はなんかずっと薮くんを見ているしずっと新国立に行っている気がするな!
とにかく、マイケルが最高だった。一幕はどこに向かうんだ…?って感じで、スーパーコンピュータが日本製って設定はいつまで説得力を持つんかね、とかぼんやり考えていたけど、二幕の「バスルームマイケル」からどんどん引き込まれた。バスルームマイケルを歌い上げた後のマイケルの健やかで、でも一抹の寂寥感のあるにかっとした笑みが一番好きだった。加藤清史郎くん、天地人の頃から見てるから勝手に親戚の気分でいるけど、この子はこんなにも表現力があったんだ!!と感服した。もっとこの子が立つ舞台が見たい。
ジェレミーは本当にずっとキモくて、喋り方も表情も動きも全部キモくてすごかった。ちゃんとずっとキモい、ってすごい。ラスト、クリスティーンにフラれてトホホな結末ならより好みなエンディングだったかもしれない。かなり意図的に劇中にマイケルのゲイ文脈は織り交ぜられていたと思うのだけど、そこは回収されずに終わってしまい消化不良だった。ヘテロのスパイスとしての装置に使われるのを皮肉として描いているのか、それとも無意識にその構図にしているのかいまいち掴み切れなくて、そこがややストレスだった。観客が掴み切れていない時点で皮肉になり得ていないのだけど。

 

  • Summer Paradise

歌舞伎ぶりの横原くん!やっぱり横原くんが世界で一番かっこいい!「かっこいい」って感情は横原くんにしか抱かないから、「世界一」が星の数ほどいるわたしでも、正真正銘わたしの中では世界で一番かっこいい人。
全体的に去年と比べて内容がすごくよくなっていた!曲の繋ぎ方も不自然じゃなかったし、ずっと踊ってずっと歌っているのもメッセージとしてとてもよかった。たぶん意識的にファンサ曲を減らしたのだろうけど、それでぐっと全体が締まった気がする。
去年はIMPACTorsとして「与えられた色」を表現することに精一杯だったけれど、今年は与えられた色を自分たちなりに咀嚼して、それを「自分たちの色」として再構築できていると感じられたのがすごくよかった。
ひさしぶりのアイドルとしての横原くん、なんか好きすぎてわぁーーってなったな、横原くんを見るたびうわーーって羽が生えたみたいに心がふわふわして、毎回あっこの人のことこんなに好きなんだ!と思う。こんなにかっこよかったんだ!といつも思う。ダイヤモンドみたいな人。
そしてサマパララは全てを解決する。ひたすら踊り狂ったので、後悔なく夏の幕を閉じられた。
あと、キンブレ複数持ち×3000が七色にゆらめくTDCというジュニアのコンサートの景色が去年のインパラぶりだったけれど、ジュニアの現場ってやっぱり最高だーーと思った。みんな必死で、みんな本気で、みんな真剣。演者も、客席も、お互い爪痕を残そうという気合いで満ちていてすごかった。空間の中の生命エネルギーのぶつかり合いが凄まじすぎて肉体がめちゃくちゃ疲れたのだけど、でもめちゃくちゃ最高の疲れだった。やっぱりジュニアの現場って、そこでしか味わえない唯一の輝きがある。

 

9月

  • 関西ジャニーズJr. Space Journey! ~僕たちの軌跡~

初めての松竹座、初めての自担としての斗亜。
祖父母の家のある、小さい頃から慣れ親しんだ大阪という街、その中の慣れ親しんだ通りの、すぐ右を向くと松竹座があって、また違う形で慣れ親しんだオタクの世界があるというのがどうにも不思議で、パラレルワールドものの異世界転生をした感があった。松竹座はみんなが通い慣れているみたいで、その中に足を踏み入れるというのはピリッとした緊張感があって面白かった。双眼鏡にシールを貼った瞬間はかなり心が震えた。
舞台の内容はまあ別にどうでもよかったんだけど(大した内容ではないので)(やめなさいよ)、配役がとてもよかった。斗亜がルイで、彪太郎がイブキで、琉巧がソウで、という現実の関係性と配役の妙がかなり興奮した。るくとあ、大好き。
そして肌で関西ジャニーズJr.という空間と環境の異質さを感じられた。感じられたというか、元々そうだろうな、と思っていたものを現地で指差し確認ができたというか。とあるくこたとアンビから、ボイビの子たちがどんな動きをしようと絶対に拾おうという覇気をひしひしと感じて、この子たちもこうやって育ててもらったということが言外に伝わってきた。松竹座という場が文字通り斗亜をこの六年間育んだのだということが、一ステージを見るだけでどんなに何百の映像や文献を追うより何倍も如実に伝わってくるものがあった。そして今度は斗亜が、下の世代を育てる側で、彼自身もその責任を持ってこの場所に立っているのだということも痛いほど伝わってきた。もちろんそれぞれの良し悪しはあるし機会も均等ではないけれど、ああいう場所で小さい頃から舞台に立って台詞を喋って歌を歌って踊ってができる関ジュという環境も、ものすごく恵まれているのではないかなと思った。
初めての自担としての斗亜は、いとしさといじらしさと純潔と華と赤とをぎゅうぎゅう鍋に煮詰めて丁寧に丁寧に作ったみたいな子だった。でも明らかにステージに立つために生まれてきた子だった。こんなにもわかりやすく、華、というものは人に宿るのかと震えた。
この四ヶ月くらいずっと一人で関ジュ初等教育を自分に施していたけど、その最終テストとして最高の場だったと思う。大阪ってわたしにとってずっと世界で唯一の「帰る場所」だったけれど、それが今回は「斗亜たちがいる場所」として新しく意味を持って、全く違う角度から慣れ親しんだ街を見られたのが新鮮で楽しかった。今まである意味平面的だった大阪という街が、急に立体的になったというか、というかむしろ、今まで平面的だった「関西ジャニーズJr.」としての彼らが、息づいていることを知っている街によって、一個人として立体的になった感覚がある。
近くないからなかなか難しいけれど、松竹座という場所の異質さを肌で感じることができたし、願わくば何年もこの場所を追いたいなあと思う。

 

  • DREAM BOYS

2年目のふまじゅりドリボ。めちゃくちゃ楽しみだったのだけど、幕が上がった先の風磨くんがゾッとするくらい顔色が悪くて心配が先に来てしまった。ものすごく忙しいこと、うれしいし、本人もそれを望んでずっとやってきたことだから願ってもないことだけど、でもどうか倒れませんように…と思った。
去年からの変更点で言えば、ふかわくの空中浮遊自転車が純粋に「何これ!?」すぎて大笑いした。何これ、まじで。綱を切られて奈落に沈む、フウマ、からの奈落から這い上がるフウマ、も迫力があって大好きだった。すごくよかった。
最大の好き変更点、一幕の終わりの「何もかも引き受けてやろうじゃねえか!」、警察のお縄から抜け前に立つフウマの後ろに赤い幕が全面に降りてきて、その布ごと引っ掴んで奈落に落ちる演出。めちゃくちゃよかった。光一イズムを感じました。
今年もそのまま奈落に沈むセットが見られてうれしかった。チャンプに取り憑く白い死の影も、廃劇場も、窓ガラスパリーンも、大好き。今年は皇輝に加えて深田もちょくちょく見たかったから、本当に目が足りなかった。風磨くんはやっぱり、スポットライトが本当によく似合う人だなあと何度だって思う。折り重なる世代を見られるドリボが大好き。
今年は心配の方が勝ったけど、まあでも今年も入れてよかった!来年は見られるんだろうか。見られたらうれしいな。

 

  • 女の友情と筋肉

ステラボール!悪名高いステラボールだけど3列目ドセンに入ることができ、眼前に聳え立つ福田悠太さんを拝むことができた。
なぜなのか、オープニングの「筋力🎶自分力〜🎶」で涙がボロボロ出てしまった。めちゃくちゃ明るい曲で笑っているのに泣いている人。自分でもなんだかわからないくらいダメになっている時、いつだってエンターテイメントはそばにいてくれるな…。
この漫画は浪人時代からずっと好きだったのだけど、人生のターニングポイントやささやかだけど大事な局面を迎えるイオリとマユとユイはあの頃よりよっぽど現実的にわたしと重なって、それぞれが手を取り合って匍匐前進していく様が胸にきた。筋肉はないけど日々の友情ありがとう。フォロワーいつもありがとう。

 

  • Endless SHOCK

初の博多座!現場で九州に来るのも初めて。立樹がリツキをしている間にどうか本編をやってほしいと思っていたので、こんなにも早く叶って本当にうれしい。
春ぶりの立樹、もう登場した瞬間から胸が打ち震えて感極まった。春の褒め言葉を全て踏襲した上で、それを更に何倍にもパワーアップさせていて、そんな立樹を見れて立樹綺麗だよおじさん人生に一片も悔いはなかった。
秋のリツキは春に比べて(春の時点で相当なレベルだったけれど)明らかに表情も豊かでダンスも軽やかで美しく、このステージを楽しむ余裕も胆力もあり、何より周りを更によく見れるようになっていて、舞台上の共演者や客席にまでアイコンタクトを取る余裕が生まれていて成長が著しかった。目の表情が本当に上手くなっていて、目の動きだけで全然違う表情になる。不敵な表情もできるようになっていたリツキ、たった4ヶ月で顔つきも少し大人に近づいていて、大人になんてなるなーッと博多座の中心で絶叫したかった。
YMDでリツキがアンサンブルの方と戯れていたら、跪いて手の甲にキスされていて、それだけで息を呑むくらい美しい光景だったのだけど、はわっと驚いたリツキもそのままアンサンブルの方の前に跪いて手の甲にキスを返していて、博多の街を一瞬で吹き飛ばしてしまうくらいの美しさだった。それをYMDの人の多い中、上手の隅っこで二人だけでやっているというのがまた物語みたいに美しくて、ちいさくたたんで宝箱にしまいたい輝きだった。わたしはこういう瞬間を見逃さないために彼に双眼鏡を向け続けるのだと思った。
ヒロミツがリカに指輪を渡す前では、リツキがヒロミツのほっぺを両手で包んだり、耳をそっとひっぱったりしていてとてもかわいかったし、IAWDで「果てしなく〜続いてる〜この道の向こうに〜」と歌うリツキを見ては、本当にそう…果てしなく輝かしい未来があなたの歩く道の先に待っているよ…と泣くおじさんになった。
完全に思い込みだけど、今回のリツキは双眼鏡越しに目が合った!と思う瞬間が何度もあって、つまりは客席に目を向ける余裕ができたし、それが如実に観客にも伝わっているということを感じた。わたしは立樹の静寂が何よりも好きで、あの子の幼さを凌駕する圧倒的な華と静寂と余裕はむしろ末っ子には不向きかなとすら思える。2022年秋のリツキも最高に美しかった、ありがとうSHOCK…。

 

9〜10月

めちゃくちゃ素敵で完成度の高いコンサートだった!「Hey!Say!JUMP」という物語の映画を贅沢に見させてもらっているような感じだったし、思った以上に「15周年」が味わい深く色づけされていた。
マスピ→OMBの振りと流れがとても好きだった。正確無比かつ余裕綽々、寸分の狂いなく踊り狂われる知念様を愛している。見るたびにいつも思うけど、ちいちゃんの動きって滑らかかつ正確すぎて、双眼鏡で見ているとダンスに没入しすぎる。動きは激しいのにものすごく静かなダンスが大好き。そしてマスピの振付が狂おしく好き。「世界」で左半身を開き、「宇宙」で右半身を開く、拳で胸を叩く「僕ら」、人差し指を開いて「ひとつになる」。「空を飛んで 海を渡る」でかもめのように羽を動かし、波のように揺らめくのが美しかった。
個人的に一番好きだったのはカモナ→GOMHで、知念ロード、からの背中に真っ白い照明を後光のように浴びて黒く浮かび上がる知念様のシルエット、神様仏様知念侑李様ーーッッッ!!!解釈一致ド真ん中ストレートの演出をありがとうございます。
恋をするんだのやまちね天地創造は、これにチケ代全額払っていいと毎回思う。大好き。
そして何よりもサンダーソニア!正直自分の中ではアルバムを聞いていた時点ではものすごく心に残った曲とかではなく、アニメの主題歌らしいいい曲だな程度に思っていたのだけど、メンステで金色の衣装に包まれて、華々しい夜景と花火をバックに歌うHey!Say!JUMPと歌詞があまりにもリンクしていた。タンタンタタタンを鳴らすために生きていると思った。レッドカーペットの上のHey!Say!JUMP、綺麗よーー…。最後ジャンプして姿を消すのも、とてもとてもとてもよかった!
今回のツアーを通してちいちゃんはスラッと痩せていて、青年のようなシルエットだなと思った。やっぱりわたしにとってものすごく神聖な人で、人間離れした存在がちょうどそのシルエットと合っていて、すごく好きだった。
ひかるくんの不在やゆうやの足の痛みなど、通常通りとは行かないことが多いツアーだったけど、年齢を重ねていく中でできることが増えると同時にできないことも増えるし、それを否定することなく、立ち止まったり腰を休めたりしながら一緒に歩いていけたらいいなあと思う。

 

  • 盗まれた雷撃-パーシー・ジャクソン ミュージカル-

世界で一番大事な物語パーシーの舞台化。なんというか、神や怪物のような強大で人智の及ばないものを舞台という場所で表現するのはとても難しいのだなと思った。あと、パーシーは独自の世界観が強固だから、それを一つ一つ説明するのもまた難しいなと思った。
舞台というものの特性上、ある程度尺に合わせて情報を省略することや独自の改変をすることは必要だと思うし、実際「女の友情と筋肉」でアンリという新しいキャラクターに複数の女性キャラの要素を合わせることは賢い手段だったと思うのだけど、なんというか、パーシーは解釈違いという段階でもなく、これは初見の人に物語として伝わっているのだろうか…?と思った。
パーシーのビジュアルは、ローガンと引けを取らないくらい今まで彼を演じたものの中でも解釈一致で、それはとてもよかった。他キャスト陣の歌の上手さも、すごくよかった。ただ、どうしても譲れない点として、アナベスの描き方、アナベスとパーシーの関係の出発の仕方、啓示を受けるシーン、はもっと描き方があったんじゃないかな、と思う。
ギリシャ神というものの強大さ、化け物の恐ろしさ、なぜパーシーが狙われるか、兄弟の確執、キャンプのシェルターとしての役割、タリアの存在、ルークの苦悩。描き切れていないもの、描き切らないと伝わらないと思うものがとても多くて、それがとても苦しかった。
この作品はわたしにとってあまりにも大事で、あまりにもわたしの人生そのもので、冷静な判断をすることは難しいなと思った。

 

10月

初めての朗読劇。内容はあまり刺さらなかったけれど、写真を見てからずっと楽しみにしていたスーツを纏った勝利が自らに拳銃を向ける姿を見られてよかった。
「(人生に)いつだって参戦できるのよ」というセリフが一番響いた。シンプルに、休憩なし1時間45分の舞台を演じ続ける黒柳徹子様の体力はすごい。
カテコの勝利、また面白いくらい肩に力が入っていた。愛しているよ、わたしたちの赤。

 

11月

重く苦しい舞台だった。見ている間ずっと怖かった。わたしは果たして律子のように、定から目を背けないでいられるだろうか。相手が誰かに関わらず、態度を変えないでいられているだろうか。ルッキズムの妄執あるいは逸脱することへの恐怖に取り憑かれていないとどうして言えるだろうか。
犬王を見た時にも通じるものを感じた。犬王もやはり、その才能だけでなく、その美によって大衆に受け入れられた。定の姿形はあまりに犬王に似ていた、しかし定には友有は現れなかった。もっと言えば、定に友有は現れなかったし、定もまた自分自身に友有が現れることを拒絶した。
また、犬王の美への変化が恒常的なものだったのに対し、定の桜木輝彦への変化は常に尋常ならざる痛みを伴い、かつ恒常的でないというのが生々しく、救いがない、と思わせた。一瞬、これで桜木輝彦として生まれ変わったのだと思った瞬間の安堵と、定の姿形はこの世から消えていなかったとわかった瞬間の落胆が、何よりわたしの美醜を暴いた。
美しい人間を日々愛するわたしにとって、あまりに重かった。わたしは美しさ抜きに好きな人を好きとは言えないだろう。わたしが本当に愛するものはなんなのか、わたしがそれを本当に愛していると言えるのか。画面越しの人間ではなく、ただの友人としてでも、あるいは通行人としてでも、わたしは定から目を背けない自信はない。
本題とずれるけれど、娘の安否もわからず、夫の居場所もわからないまま、ステージに立たざるを得ない一条あやめの姿にも打ちひしがれた。なぜショービジネスはここまでの犠牲を伴うのか、ここまでの犠牲を伴うことをわたしたちは求めることを止められないのか。
幻覚の利生が定に対してかけた「桜木輝彦に会えてうれしかった。『理想の』弟が現れたようだったから」という言葉が、定へのどんな直接的な罵倒よりも辛かった。定を誰よりも人間として見ているように見えた人は、定を見てはいなかった。鳴尾家の誰も最後まで定を直視しなかった。躊躇いなく定を直視した杏がすぐに気づいた桜木輝彦と定の連続性を、鳴尾家は誰も気づくことはなかった。ただ一人生き残った姪の希子以外。
最終的に定はその醜い姿形の内側に潜む内面の醜さを糾弾されるけれど、それを醜いと言いその責任を問うのはそれが形成されざるを得なかった環境を作った人間たちの欺瞞だと思う。家族は定を愛さなかった。誠二は定を愛したけれど、桜木輝彦は愛さなかった。杏は定を直視したけれど、定も輝彦も愛さなかった。そして定も「定」が愛されることを渇望しながら、愛されることを拒んだ。自分自身が定を愛するべき存在だと認められなかったから。
暗闇のままならば観客がそれぞれの理想を己に投影するだろうと言い、「煌めく手段から目を背けるな」と歌いながら真っ暗なステージの中央で自分が付けた炎に炙られる定があまりに哀しくて、定自身が一番自分自身の理想の結晶である桜木輝彦と己とのギャップに苛まれ、その幻覚を追い求めたのだと思った。
火に炙られて死んだ定の亡骸がむくりと起き上がり、「中川大志」として立ち上がった時、定は最後まで世間から目を背けられて死んだのだと思った。その瞬間に眼前に迫り来る、わたしたちは目の前に立つ中川大志という人間をその美しさ込みで愛しているのだという途方もない実感が逆説的な絶望と己への失望を呼んだ。そしてカーテンコールで大志くんが桜木輝彦として現れた時、定はカンパニーと共にステージに並び立つことも、万雷の拍手を受けることも許されないのだと思った。それがあまりに悲しくて寂しくて、同時に定を葬ったのはわたしたちなのだと納得した。わたしたちが定から目を背け、わたしたち一人一人が定を殺したのだ。

 

12月

  • 「HiGH&LOW THE WORST X」大ヒット御礼感謝祭!!

ハイローにハマり、人生で初めてLDHにハマってからの初現場!説明をちゃんと読んでいなかったので歌うのかな?と思っていたらてっぺんアワードが始まって笑った。しかし本編にはない架空のセリフ「楓士雄ォ…俺らはもう必要ねえってことか?」(by司)に爆死してしまいました。そのセリフを司が言ってしまったらもう地球は壊れてしまうよ…そんなことあるわけがないだろうが…。楓士雄には司が必要だし司には楓士雄が必要だよ…。一部の言い方が一番途方もなく寂しそうで泣いてしまった。
なんだかんだかずほくを二人揃って生で見たのは初めてだったけれど、二人ともずっとにこにこしており、顔を見合わせて笑う様もまたいとおしく、時にはアイスを食べさせたり、そのアイスを早食い対決だって言ってんのに驚くほどゆっくり食べたりしながら、大変おかわいらしく過ごされており、かわいいねえかわいいねえと思ういい回だった。唯一の後悔は、国際フォーラム最後列だったにも関わらず双眼鏡の故障により良好な視界を確保できなかったこと。結局配信で二部と三部も買って全部見れたので、概ねハッピー。
あとグッズのランダムトレカを15枚買って、楓士雄2枚自引きして、司は出ていない、さあ残るは1枚、出てくれ…!と祈りながら袋を開封して「高」の文字が見えた時の高揚感があまりにも強く記憶に残っている。アドレナリン。ランダム商法に厳しい目を向けてきたが、こういう成功体験が人を狂わせるんだろうなと思った。ギャンブルである。

 

  • セクシーゾーン ドームツアー2022 ザ・ハイライト

夢にまで見たセクシーゾーンの東京ドーム、ドームツアー。ずっとずっと幸福で、ずっとずっと何よりも幸せを願ったドームだった。会場すべてがセクシーゾーンの幸せを願ってるのだとひしひしと伝わってきた。全体像があまりにもよくて、いつもは手放さない双眼鏡を下ろして何度もステージ全体を眺めていた。
開演前から既に、「初ドーム」は始まっていた。モニターに映し出される過去のMV映像が流れ出すたびに、周りから口々に漏れるうれしそうな声、眩く懐かしむ幸せの嘆息。5万人がソワソワと、そして誇らしくセクシーゾーンの晴れ舞台を待ち受けていて、誇張なく、あれほど一つの感情で埋め尽くされた開演前のコンサート会場を見たのは初めてだった。わたしたちが見ているセクシーゾーンは、この場にいる5万5千人一人一人の数だけあるけれど、でもみんなセクシーのことが大好きで、誇らしくて、この瞬間を何年も待ち望んできたのだと確信できた。
一曲目が始まった瞬間、そうだ、これだ、と思った。セクシーゾーンってこれなのだ、と思った。セクシーゾーンが見せてくれるものと、わたしがセクシーゾーンに見せてほしいものは、いつだって寸分の狂いなく一致している。わたしがドームで見たいと率直に思った数々は、余すことなく入っており、その上で、それを何倍も超えて、セクシーゾーンはセクシーゾーンを見せてくれる。セクシーゾーンの作る音楽が世界で一番好きで、それを自分自身の体験として意味付け、記憶させてくれるセクシーゾーンのコンサートが大好きなのだけれど、それは疑いようのない共通の意識を常々感じる充足感の存在が大きい。それは自分が満足するものを提供してほしいというより、親友と同じものを見た時に咄嗟に同じ感想を溢して、思わず顔を見合わせて慌てて「ハッピーアイスクリーム!」と高らかに宣言し合うような、そういう感情に近い。改めて自分が考える最高のセクシーゾーン像と、セクシーゾーンが見せたいセクシーゾーン像が矛盾することなく重なっていることを実感できたことが、無上の喜びだった。
東京ドーム5万人の静寂の中勝利によって囁かれる"𝑺𝒆𝒙𝒚 𝑹𝒐𝒔𝒆…"を聞くのが夢だったので、今回文句なく静まり返った中聞けたのがとてもよかった。声を出せる中でのあの静けさがすごくよかった。一方で、5万人の、大音量の「ぎゅっとー!」を聞いて本当にうれしそうに強気に笑う風磨くんも、めちゃくちゃよかった。こういう時は絶対強気に笑っちゃう風磨くん、強気に笑うことで強がる風磨くん、よかったな。セクシーゾーンの初ドームに発生OKが間に合って、本当によかった。
ドームの中央でみんなで小さく集まって、口々に「夢みたい」「夢みたいだね」と言い合うセクシーゾーンを見て、夢ってこのことだったんだ、これを見るのが夢だったんだ、夢が叶ったんだ、と思った。そして、「上の方ーー!!!」と何度も、何度も叫ぶ風磨くんを見て、本当にこの人は、幼い頃に憧れたアイドルの姿を一度も疑うことなく、目を背けることなく、夢見てきたのだと思ったし、今目の前のこの人はついにその夢の像に重なったのだと思った。そのらしからぬ素直さと、らしからぬ一途さが、なによりも好き。今彼はわたしの目の前で彼の夢を一分一秒叶えているのだと実感した。そしてこれを見るのもまたわたしの夢だったのだと思った。
そしてやっぱりなによりもうれしかったのは、風磨くんが、セクシーゾーンでありたい、セクシーゾーンとして年月を重ねたいと思えて、それを衒いなく言えるようになったことで、風磨くんにセクシーゾーンがあってよかった、と何度も何度も思った。わたしはセクシーゾーンに風磨くんがいてよかったじゃなくて、風磨くんにセクシーゾーンがあってよかったとずっと思っている。それを、風磨くん自体が「俺にはセクシーゾーンがあるんだよ」と声を大にして教えてくれたドームだった。
ずっと彼の照れにキレ続けてきた身として、そこを含めて風磨くんなのだとわかっていても素直に気持ちを伝えてもらえないのは悲しくて、というかわかってると言うなんてオタクの傲慢だし、でもわかっていると言わないのはオタクの欺瞞だし、でもようやく「財産だと思う」「もっと甘えられたらよかった」という言葉を映像として残せるようになったのが、何よりもうれしい。
やっぱり幾千の行動を連ねるより一つの言葉がわたしにとっては大事で、それは風磨くんがどれだけ言葉に愛着があり、どれだけ自分の言葉に影響力があり、どれだけの言葉を尽くせば人にどう伝わるかということをちゃんとわかっている人だと思っているからで、だから言葉にしないのには確実に彼の意志があって、だからわかってはいたけど、「わかっているよ」という幾重にも不文律を重ねた、言ってしまえばお互いに甘えた状態を、しっかり言葉にするという形で脱却してくれたことが本当にうれしかった。
どう捉えられても構わない、じゃなくて、こう捉えてほしい、という意思と共に、セクシーゾーンへの愛情と自覚を言葉にしてくれたのがうれしかったんだ。解釈をオタクの手に委ねることは、そりゃオタクにとっては都合がいいけれど、でもそれってわたしが見たい風磨くんであって、風磨くんが見せたい風磨くんじゃなかった場合、この不幸せをどうすればいいの、という焦燥感と寂しさがずっとあって、わたしだけに託すんじゃなくて、一緒に答え合わせしようよ、違っててもいいからさ、という気持ちが、なんだか綺麗に成仏した気がした。
今年の風磨くんはほんと、憑き物が落ちたみたいに自由に見えて、ずっと道標だった「かっこよくあろう」にすっと入ってきた「かわいくてもいいのかも」という小さな発見に、段々と一皮剥けていった一年だったと思っていて、その最後を締め括るドームで、最高の答え合わせができたように感じる。そうだよ、かわいくてもいいんだよ。だって風磨くん、かわいいんだもん。宇宙一かわいいよ。
そうしてふまけん。わたしは初めてふまけんを見た時の、元々一つだったみたいに全く同じ後ろ姿で花道を歩く二人の背中が脳裏に焼きついていて、きっと死ぬまで忘れないと思うのだけど、RUNを歌いながらバクステまで走り抜ける二人の背中が、やっぱり瓜二つの後ろ姿で、きっとこの二人は一生こうなのだろうと思った。健人には風磨くんがいて、風磨くんには健人がいて、そうすることでうまく呼吸することができる二人を、これから先も一生見ていたいと願う。
わたしはセクシーゾーンのコンサート本編の終わり方がいつも少しだけ寂しいのがものすごく好きで、そういう甘い寂しさを今回も完璧に残してくれたのが、やっぱり風磨くんだなあと思った。セクシーゾーンの歴史を準えつつ適度にザ・アリーナの成分も準える構成だったので、本編最後に愛してやまないDreamが来るだろうと想像がついたけど、やっぱり何度聞いても格別に最高だったDreamはドームでももちろん最高で、アリーナと同じように「遠回りでもいいからここで僕と待つのはどうだい」の歌詞が映る背後の画面を背負うように大きく腕を広げる風磨くんを見て、やっぱりアリーナもドームも、一番のメッセージは「待つ」なのだと思った。
挨拶の時、真っ青に、真っ赤に、真緑に、真紫に、そして真オレンジ(?)に染まる客席が本当に美しかった。今まで見てきた何よりも綺麗だった。ペンライトの海って何度も見てきたし、何度も美しいと思ってきたけど、でもこんなにも美しいものってあるんだと新鮮に思った。満天の星空だった。健人が言う通り何よりも美しいイルミネーションだったし、自分がこの景色を構成する一粒の光になれていることが何より幸福だった。
セクシーゾーンがあまりにも煌めいていて、こうしちゃおれん、セクシーゾーンに恥じぬよう、わたしも自分の人生をちゃんと生きないと!という気持ちに駆られた。セクシーゾーンの生命力にいつだって見合う生命でいたい。
2022年は最高のアルバムと共に思い残すことなくセクシーゾーンとツアーを回ることができて、最後はドームで締められて、ずっとセクシーゾーンと共にあった一年だったな。本当に楽しかった。あとやっぱり、5人のセクシーゾーンが見たい。いつかドームに立つ5人が見たい。そう願ってやまないコンサートだった。
東京ドームで捌ける間際、「連れてきてくれてありがとう!」と大声で叫んだ風磨くんを、きっとわたしは一生忘れないと思う。

 

  • ABC座 10th Anniversary ジャニーズ伝説2022 at Imperial Theatre

2年ぶりのえび座、初めての帝劇でのえび座。年内最後の帝劇。端的に言って、たつるが最高すぎた。たつるが最高なことなんていつものことだけど、それをいつものことにしてしまえることが、たつるの全てなのだ。
トラジャが加わったWe areジャニーズ!を聞きたいのと、帝劇に立つたつるが見たくて入って、他の子も暇があればチラ見できればいいなあなんて思っていたけれど、暇なんかなかった。たつるを見るのに忙しすぎた。たつるが壮絶に美しかった。
たつるの初雪のような肌とプラチナブロンドが帝国劇場の照明に照らされて光るのが夢のように美しく、瞳の縁に彩られた薄ピンクのアイシャドウも見事で、衣装も全てがたつるにあつらえたように似合っており、冬にだけ見られる雪の妖精のようだった…。
そして何よりも、金髪双子のれんたつが圧倒的な美しさだった。二人だけが同じ瞬間に同じ時間だけ同じ高さで宙を飛ぶために生まれてきたのだと確信できた。二人のバク宙の擬音がぴたりと同じなのが本当に美しいんだよね…あつらえたような美しさ。ふわりと宙を浮く、世界で一番綺麗な擬音。勇100前にローラーでステージに二人くるくると円を描くれんたつは神話みたいに荘厳で涙が出たし、アメイジングラブでれんたつではっしーを割って立つのも最強に美しかった。
舞台上のたつるを2時間ほぼずっと双眼鏡の先で見続けるということを今までしたことがなかったので知らなかったけれど、たつる、色んな人とアイコンタクトを取ってずっとにこにこで表情豊かで、目を合わせたい一緒に楽しみたい人間が大好きステージが大好き!という爆裂生命エネルギーを常に放出していたのがすごくよかった。たつるが帝国劇場で踊る、飛ぶ、回る、全てが美しくて全てが夢みたいだった。発光していた。まぶたの裏でずっとたつるが白くきらめいていて忘れられない。

  • Hey!Say!JUMP 15th Anniversary LIVE TOUR 2022-2023

じゃんぷ担として初めてのドームで見るじゃんぷ!じゃんぷを好きになってからずっとアリーナで彼らを見てきてそれに慣れていたけど、ドームで見る彼らはものすごくしっくり来てなるほどなあと思った。ずっとここでやってきた人たちだ。ちょうど3年前の12月30日も横原くんを見るためにじゃんぷの東京ドームを見ていたのがなんだかすごく感慨深いし、濃い3年だったなー!と思う。
なによりも一番心に残っているのは「ただ前へ」。わたしは彼らが4人でいるところをリアルタイムで体験できていないので全ては妄言なのだけど、Hey!Say!JUMPという稀有な箱庭の中でもさらに秘められた、ベストしか開けられる鍵を持っていない秘密の花園にいるのがセブンだと思っていて、唯一の共通の価値観を持った人たち、純粋で高潔でガラスみたいな人たちだと思っている。そして、そこから圭人は一人で飛び出したのだと思っている。
だからこそ、4人の影と4人の写真を出しながら、4人目の、圭人の影をちゃんと消したのも彼ららしいなと思っていて、そういうシビアさ、純潔さも、彼らがセブンである所以なのだと思う。でも最後まで4人の写真を出し続けたのもまた同じ彼らで、彼らが今3人であることは確かに事実ではあるけど、4人で、もっと言えば5人で、セブンであったことも覆しようのない事実なのだという、純然たる素直さと時に驚くほどの冷静さが、彼らを形作っているのだと思った。そういった彼らの痛いほどの真剣さが何よりも詰まった曲が「ただ前へ」で、15周年でこの曲を歌った、歌えるようになった彼らは、ある意味で遂に3人で手を繋いで秘密の花園との別れを告げたのかもしれないとさえ思った。
そして、15周年として一番聞けてうれしかったのはUMP!本当は3回聞きたかったけど、1回でも歌ってくれてうれしい。やっぱこの銅鑼の音!!!平成JUMPを掲げてデビューした人たち、15周年本当におめでとうございます。どうぞ末永く仲良しでいてください。

 

 

 

以上、2022年現場総括でした。配信含めて全49公演、2022年も日本全国一年中ずっとたのしくてだいすきでしあわせでした。個人的には渡米以来途絶えていた宮近くんの見学ガチャ記録が12月に3回現場が被り塗り替えられたことが非常に愉快でした。2023年もだいすきな人たちみんなみんなしあわせでありますように。今年もどうぞよろしくお願い致します。

 

心臓の裏側にきみを隠しても世界はきみのオレンジに染まる

ずっと恐れていて、どうにか目を背けてきた可能性がついに現実として眼前に迫っている。わたしは「最悪の事態」というものを考えるのがどうにも苦手で、できれば最良の可能性しか考えたくない。最悪の事態を想定してそれのための建設的な準備をしたら、むしろそれが現実になってしまうのではないか、という非常に建設的でない思想を持っている。考えることを避けてきたので、自分がこの事態を迎えた時どういう感情になるかも想像したことがなかった。想像したことはなかったけれど、過去の経験から茫然自失になるだろうことは予測できた。

とりあえず今現在、27日に発表されたマリウスの卒業によってわたしは茫然自失にはなっていない。いつでも怒涛の勢いでドデカい愛を投げ放ってくれるセクシーゾーンがこちらを茫然自失にさせる暇を与えてくれない。こんなことってあるかよ。

 

思えばセクシーゾーンはいつだって言葉を尽くしてこちらに向き合ってくれるアイドルだった。

FC動画は、見なくたってわかる、彼らが誠実な話し合いを何度も何度も重ねて、お互いを尊重して愛して相互理解のために最大限力を尽くした上で今ここにいて、そこにはお互いへの愛しかないということを。考えに考え抜かれた末の愛の帰結だということがわかる。それがわかるだけの言葉を尽くすことをセクシーゾーンが厭うことは一度もなかった。わかりきっているし信じきっているからこそ優しくてつらくて悲しくて大好きでどうすればいいのかわからない。

こういう時はやっぱり長男の顔になる健人、いつだって言葉の正解がわからなくなれば風磨くんと答え合わせをするマリ、どんな時も過不足なくマリの言葉を補足する風磨くん、誰よりもマリに寄り添って笑顔で促す聡ちゃん、キャットファイトばかりするのに最終的にはいつでもお兄ちゃんでいてくれる勝利、こんなにも、こんなにも彼らは5人で。こんなにも完璧で美しく満ち足りていて、こんなにも5人であるということも同時に見せつけられるFC動画。ずっとこれが見たくて。

からの怒涛のインスタライブ。涙がアホほど出ているのに健人は今日も「5万人行くまで何も喋らないってどう?」とか言っているわけで、死ぬほど愛しているわけで…。こちらはこんなにも悲嘆に暮れる準備ができているというのに、通常運転のセクシークソ茶番ゾーンが情緒を笑顔でぶん殴ってくる。嵐のように来て大暴れして嵐のように去っていったセクシーゾーンのせいで(おかげで)もうどうしたらいいのかわからない。幸福すぎて。セクシーゾーンって本当に幸せで大好きでこの世の愉快と光全てで。もうどうしたらいいの、という感じで途中だったFC動画に戻る。

その中で、風磨くんが、寂しいと言ってくれたこと、4人で完パケでやっていきますじゃなくて、今までもそうだったように、マリの不在を感じる瞬間は来年からもたくさんあると思う、それでいい、と言ってくれたことが、何よりもこの人を好きになったことの答え合わせみたいで、CRYで、Dreamで、コンサートを終わらせた人だ、と思った。この言葉がわたしにとっては一番の救いで、今まで色んな形でこういうことを経験しても一番つらかったのが、今を完パケとすることは過去に愛したものを否定することになり、しかし過去を完パケとすると今の彼らを否定することになる、という構図で、それが本当につらくて嫌だったので、不在を思う感情を当人が肯定してくれたことによって迷路になるはずだったものが掬い上げられたし、未来のわたしも救ってくれた。この完パケ、って表現もめちゃくちゃ風磨くんらしくて好きだなと思う。

そして夢の東京ドーム、5人の東京ドーム、5人のSexy Zone、5人のSexy Zone(曲)……………。わたしでも想像に難くない、無観客の5人の東京ドーム公演を叶えるために、メンバーはもちろん、彼らの周囲のセクシースタッフたちがどれだけ頑張ってくれたかと思うと、泣いてばかりではいられないなと思った。すごいことだ。

嵐の休止発表以来、ジャニーズのオタクを続ける上で自分の精神をずっと根底で支えてくれているのは、「人は悲しいままでも怒ったり怖がったりできる。だから悲しいまま楽しくもなれる。ずっと悲しいままでいいから、同時に他の感情がないかもっと探ってみろ」という、健人が出演した24時間テレビ石ノ森章太郎物語のセリフなので、寂しくてでも大好きでどうしようもない気持ちと、5人のセクシーゾーンが見られて心底うれしい気持ちと、両方に真正面から向き合ってみようと思う。「ずっと悲しいままでいい」という肯定はわたしにとって救いで、それと合わせて風磨くんの言葉のコンボが効いた。

寂しくて切ないのに絶望は消えて心は温かくて、セクシーゾーンがいつだって真摯で、真面目で、聡明で、健やかで、美しいことを、こんな時でも強く強く実感して、それに救われていることが、幸福で、寂しい。届けてくれる言葉に一本筋が通っていること、5人がお互いを尊重し話し合う様子が目に浮かぶくらい彼らの信頼関係を信じていること、何よりマリの夢が、「日本の皆を笑顔にしたい」と11歳で来日した時から方向性が何も変わっていないこと、が、自分自身の心との落ち着いた対話を可能にさせてくれている。絶望は消えた。消えたのに、ふとした瞬間にぽろぽろ目から水が出る、なんだこれ。

そして夜のインスタライブ。もう大暴れ。やっぱりこのクソ強シンメふまけん!!とクソ強シンメ聡マリ!!に挟まれる永遠の0番勝利!!の宇宙で一番完璧な五角形が大好きなんだよな〜…。シクシク…などと…。

 

実際わたしがファンとして5人でいる彼らを見られた期間ってものすごく短かったのだけど(直接は一回もない)、でも折に触れて彼ら自身が「俺たちって5人なんだよ!」って何度も何度もうれしそうに教えてくれて、だから5人を大好きになって、そしてそれはきっと2023年1月1日以降も続いていくのだと思う。

マリウスからの言葉は、全部ぜんぶ最高で最強でマリウスそのものなんだけれど、なによりも力強く、憶測を招く余地なく、「アイドルになったことを後悔したことは一度もありません。」と言い切って書き残してくれたことで、なんだか全てが許された気がした。

 

これからも彼らは共に歩幅を合わせて歩むのだと、こんなにもわかるし、こんなにも幸福なのに、それでもなおこんなにも寂しい。わたしたちだって今までもこれからもマリに恥じない日々を送るよう努めていくけれど、世界の方だってマリに恥じない世界であってくれよなと思う。

とりあえず今現在12月29日はそんなところですが、セクシーたちは今後も大暴れするみたいなので、大笑いしながら年越しを迎える可能性だって大いにあるところが、セクシーゾーンのすごいところで、愛するところだよ。