みぎのほっぺに冬の夜

Träume sind Schäume.

ABC座ジャニーズ伝説2019 Forever Johnny's

えび座を初めて観劇しに行った。これは初めてのえび座であると同時に夏に逃した初めてのA.B.C-Zの現場でもあり、初めて戸塚くんを見ることのできた現場でもある。

 

舞台に行くジャニオタになってから日が浅いので、例年のえび座がどういうストーリーか全く知らずに日生劇場に降り立った。輝彦が出ることも知らなかった。

 

 

幕が上がって、階段の一番上にA.B.C-Zの5人が揃って出て来た時、感慨深さというか、すごい、よりもすごいでしょ、があった。流石というよりも誇らしかった。どうだ、これがA.B.C-Zだ、と初めて見たのに心底納得した。初っ端から感極まってしまって動悸がひどかった。戸塚くんがストーリーテラーで本当に良かった、あれ以上5人揃ったA.B.C-Zを視界に収めていたら心臓発作を起こして日劇に骨を埋めていたかもしれない。5人が常に揃うコンサートを乗り越えられる自信がない。

 

 

 

 

ストーリーテラーの戸塚くんは私的初日の夜公演、第一声で豪快に「こんにちは!こんばんは!」と間違えていた。戸塚くん、本当に本当に変な人だった。最高だった。あと顔が、良い!!!!!!!!!ピチピチ!生まれたて!!生命の神秘に触れた。

私がストーリーテラーをしている戸塚くんの中で一番好きだった部分は、まあ10月23日限定なんだけど、19年組におじいちゃんへのハッピーバースデーを大声で歌わせた後に天を仰いで「恥ずかしいだろ」とはにかんでいたところでした!断・・・トツで!!(ダジャレじゃないよ)涙腺激よわ太郎なのであそこだけで泣いてしまいました、すみません。なんか言い方がめちゃくちゃ好きだったんだ。うまく表せないけど。

 

 

 

 

えび座のはしとつは、私が生涯で初めて触れる生のはしとつだった。私ははしとつのオタクなので舞台上に二人がいるだけで沸けるんだけど、リアルなはしとつはなんというか、重量感が桁違いだった。はしとつのオタクだからそう感じただけかもしれないけど、はしとつが近づくと空気が変わる。空気の質量が、ズッ…と重くなる。息がしづらくなる。はしとつの距離が半径1m以内まで来ると、もう肺が苦しい。内臓が出てくるんじゃないかっていうくらい胸が詰まる。呼吸ができない。嗚咽。死ぬ。完。

なんか、視線が、重い。戸塚くんがはしちゃんを見つめる視線に、どんだけ詰めるの、ってくらい思いがパンッパンに詰まってる。それを観客側も感じるというか、はしとつという事実と、現実のはしとつによってもたらされるリアルかつ圧倒的な“ はしとつ “の二重攻撃によって、こんなにも破壊力があるのではないか、と思う。はしとつによる死と再生。我々ははしとつによってのみ生を受け、はしとつによってのみ死に至るのだ−−・・・。はしとつのゲシュタルト崩壊

 

 

 

 

 

個人的に最高だったのはやっぱり輝彦かな。まじで前知識を持たずに行ったので映像出演するのにも驚いたんですけど1幕の後半、まさか、そんな、え?!そんな面白いことある?!そんな、映像の輝彦と舞台の輝彦(はしちゃん)ガーーー!という。

さすがにジャニーズイズムすぎて無理だった。そうそうこれこれ。私はこれを見に来たのですよみたいな謎の感慨があった。

全然話が変わるけど、初代ジャニーズが「終わることによって“永遠”になることを選んだ」という結末について観てからずっと考えている。あれを、演じながらあの人たちは、あの子たちはどう感じていたんだろう。

 

 

 

 

二幕はもうハッピー!最高!ジャニーズ!だった。A.B.C-Zは本当に最高。これに尽きる。5starsはすごすぎてもはや面白い。A.B.C-Zにしかできないことを粛々と、でも確かな誇りを持ってやっている様がとてもかっこよかった。A.B.C-Zは3次元というよりも、4次元なんだよ。現実よりもさらに現実なの。圧倒的に立体なの。

二幕、基本的にキャスト全員が出ていたから、連綿と続いて来たジャニーズを層として体感できたのがすごくよかった。えび、めど、無所6、忍者、19年組、って異なる世代が折り重なるみたいに並んでいたのが圧巻だった。組織を再生産する、ということにずっと重点を置いてやって来たジャニーズ事務所をやっと体系的に知れたという強い実感があった。ステージに夢を抱いたこの人たち全員の、特に19年組の、“未来”の、それぞれの望むこと一つ一つがちゃんと叶いますようにと何度も何度も祈った公演だった。ジャニーズに来てくれてありがとう、と強く思った。

 

 

 

 

 

 

叶うならトラジャがバックに付いているえび座も一度見てみたかった。この舞台の座長をA.B.C-Zがしていることがとてつもなく誇らしい。

松井奏くん

に落ちた。ジャニーズ伝説201910月23日夜公演で。

 

双眼鏡の視界の隅に入った松井くんは、なにがそんなに楽しいのっていうくらいこらえきれないみたいに破顔してて、足が5億mあって、笑った口の形がハートで、旗を振るのが死ぬほど下手くそで、顔があまりにもあまりにあまりにも良くて、

 

 

落ちた。

 

 

何ヶ月も落ちるかも〜〜落ちるかも〜〜と悩んでいる子がいても、やっぱ落ちる人に落ちる時って一瞬なんだなと思った。担当にしよう、とかそんな決断一切ない、ウワーーーーーーーーーーーーードヒャーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー好き!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!って感情だけ。現時点で松井くんのこと何にも知らないし。

 

 

とにかくめっっっっっtちゃ顔かわいいんですよね。そんでステージに愛されてる。舞台映えの仕方がえぐい。手足が長いわね〜〜〜。最後に自分の名前叫ぶシステムあって本当よかった、公演中ずっとあの子松井くん…?たぶん松井くん…?松井くん…だよな…?っておよおよしてたから。思考の9割名前がわからんだったから。

 

 

 

何がエモいって、23日に座っていた席じゃなかったらたぶん松井くんのこと見つけていないってこと、を別の日に入った時に実感した。ほとんどの立ち位置が後列の端だから1階席だと他の出演者にかぶっちゃって見えづらくて、あの天才的な表情もシャカリキダンスもたぶん見つけてなかった。2階席を譲ってくれたフォロワー神、全ての席、全ての出会いに感謝。一期一会。

 

 

 

私松井くんの下の名前の読みすら知らなかったですけど、2000年生まれって知ってけっこう動揺しましたけど、年下を推すのも、無所を推すのも初めてだけど、松井奏くんのこれからがめちゃくちゃ楽しみです。島漁りますね。余談だけど島のプロフィール写真もうちょっと写りいいやつあったと思うんだ。

 

 

 

追記(10/31/19)

後々自覚したが、次に入った25日公演で横原悠毅くんにも落ちていた。

東京グローブ座 キャンセル待ち整理番号取得時のおぼえがき

どうもこんにちは初めまして、この度公演日前日に毎回行われる東京グローブ座の当日券発売でキャンセル待ち整理番号*1を取得し、菊池風磨主演「ハムレット」を観劇してきました。本ブログは自分のための記録と、のちにキャンセル待ち整理番号を獲得し焦りまくっている人の一助となることを願い書きます。内容には全く触れていないので悪しからず。

 

 

ハムレットの上演が発表され、FCの先行発売で落ち、一般発売でも電話が全く繋がらなくても、私は割と余裕をかましていた。なぜなら周りのオタクたちが口を揃えて「グローブ座は当日券があるから粘れば行ける」と言っていたからであり、また私は時間に融通が利きまくる大学生なので平日の昼間なんか時間がありあまっているしいけるやろと思っていたからであった。

しかし割と気分にムラがあることもあり、9月初めは国外にいたこともあり、私の当日券チャレンジはかなり雑に行われていた。ジャニオタならわかるだろうけど、ただ電話をかけるというのはけっこう忍耐のいることだし、その上幸か不幸か大抵一時間ほどで終わる一般チャレンジと違いグローブ座はチケットが余っていれば12から15時まで続く。逆に言えばそれだけチャンスがあるのだが、3時間ただひたすら電話をかけ続けるという行為はかなり苦行に近い。「粘れば行ける」は「行ける」が重要なのではなく、「粘れば」が重要なのである。電話をかけても途中で諦めることもあったし、電話をかけ忘れることもあったし、当然予定のある日もあった。

 

しかし10月に入り、ようやく私は焦り始めた。東京公演は残り少ない。10月は舞台が重なるので金銭的に森ノ宮に遠征もできない。更に土日に入ってしまえば絶対に繋がらない。ということで10月3日、最後の東京平日公演当日券チャレンジの日、私は3限をまるまる犠牲にし、今日だけは諦めずにかけ続けようと決意して臨んだ。しかしかけてもかけても繋がらない。途中公衆電話を使ったりもしたが、最後はスマホだけで作業のように電話をかけていた。

繋がったのは14時21分、かけ始めてから2時間21分。もはや虚無しか覚えなくなっていた頭に響き渡る明朗なナビダイヤルにお繋ぎします」。どれだけこの魔法の言葉を待ち望んだことか。この声を聞いたのは実に4ヶ月ぶりである。男性のスタッフの方に、当日券の予定枚数は終了しており、キャンセル待ちとなることが告げられる。一瞬キャンセル待ちか〜と思ったがもはや繋がっただけで相当うれしい。

ここからはスタッフの方の指示に従い、名前と電話番号を伝える。割と聞き間違えられるのでちょっと違うかもしれないと思ったらもう一度言ってもらうよう頼んだ方がいい。じゃないと本人確認ができないので!本人確認はほとんど名前に基づいて行われるので、ここは絶対にミスなく行きたい。当日の動きも伝えられる。キャンセル待ちは開演20分前(12時10分)までに集合。全ての注意事項の説明が終わると、整理番号が言い渡される。私は7番だった。

一桁台だしこれは行けるのでは?!という期待を胸に踊らせるものの、ぬか喜びはできんとかなり複雑な心境に。

 

 

〜当日〜

集合時間の30分前には会場に着くように計画していたが、当日になって最寄りが人身事故で遅延していたので迂回するはめになり、予定より15分ほど遅れて新大久保に到着した。何が起こるかわからないので、早め早めの行動が大事。

更にGoogleマップを見て行ったら出入り口と真反対の場所にたどり着いた(他にもたくさん迷い込んだ人がいた)のでそこでもタイムロス。色々あったが集合時間15分前頃に会場着。大きな張り紙で「12時頃から整列開始」とあったので待機。

 

12時(開演30分前)に当日券及びキャンセル待ちの本人確認が始まる。つまり本人確認のための時間は約10分設けられている。待機用に区切られた区画があり、整列はせずに一旦中に通された。本人確認を締め切る開演20分前まで待機。当日はかなり日差しが強かったが、日陰があって助かった。日傘があると重宝すると思う。

当日券取得者が整列した後、12時13分にキャンセル待ち整理番号取得者が整列。4番の方がいなかったので、私は自動的に6番目になった。その後すぐ1〜5番まで受付に呼ばれ(この場合1人いなかったので4人。5番目になった私の前の人が行こうとしていたが、止められていたので5番ごとというルールがあるのかもしれない?)、キャンセル待ちのチケットを取得。待機中、たくさんの関係者が現れる様は見ていて楽しかった。

12時20分に次の5人が呼ばれ、私はここで入場。この時点で開演10分前でかなり慌ただしかったので、トイレなどは先に済ませて来た方が良い。ロビーのトイレはまだかなり並んでいた。ざっと見たところ恐らくキャンセル待ちは17〜18人ほどいて、途中で中に入ってしまったので最後まではわからなかったが一桁台であればほぼ確実にチケットは手に入ると思う。

ささやかな期待をしていたが、席は三階の右端ブロックの最後列だった。ステージは1/3ほど見えなかったが、ほぼ問題なく鑑賞。三階席は二列あり、手すりがあって前列でもかなり見えづらいとは思うのだが、そこで前のめりになる方が多いので後列の人は見えないならスタッフの方に注意してもらうか、幕間で自分から声をかけた方がストレスなく観劇できると思う。最後列の良い所は、後ろに誰もいないので横の人の迷惑にならない限りある程度前のめりになれることであり、そういう点では前列よりも自由が効くかもしれない。*2念のため双眼鏡を持ってきていたのもよかった。双眼鏡の使用はロビーで申請が必要なので気をつけてください。

 

 

 

 

まとめると、

・14時半過ぎまで諦めなければ繋がる(回数を重ねることが一番大事)

・自分の名前を聞き間違えられていないかしっかり確認

・30分前行動

・本人確認は開演30分前から

・整理番号一桁であればほぼ間違いなく入れる

・トイレは済ませておく

・双眼鏡大事(要申請!)

 

 

以上、キャンセル待ち整理番号を取得した記録です。自担初主演舞台、本当に観に行けてよかった。

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*1:グローブ座では当日券予定枚数終了後、キャンセル待ち整理番号を取得できる。

*2:舞台観劇時は背もたれにぴったり背中をくっつけることが基本です。

ドッキリGP出のA.B.C-Z戸塚担が誕生するまで

先月半ば、めちゃくちゃ急にA.B.C-Z及び戸塚くんに落ちた。自分でも全くもって予想外のことだったのだけど、突然爆速で転げ落ちるオモロな様子が克明な言語記録(ツイッター)で残っていたので時系列で追って行こうと思う。完全なる自己満ブログ。

 

 

1. 最初のときめき動画

それまで河合くん(ジュニア担は河合くんに日々多大な感謝の念を抱いている)がいるグループの顔のかわいい人としてしか認識していなかった戸塚くんが、突然私の中で個人としての文脈を帯び出したのは明らかに6月1日放送の『芸能人が本気で考えた!ドッキリGP』がきっかけだった。実際の放送は見ておらずツイッターで回ってきたA.B.C-Zの3人(河合・五関・戸塚)が「運転手がいない車が突然走り出すドッキリ」を仕掛けられた様子だけトリミングされた動画を見たのだけど、そんな窮地に際して戸塚くんは窓から車を脱出して運転席のドアを開けるという仰天行動に出ていた。詳しくはこの記事がわかりやすいかも。

this.kiji.is

 

それを見た私の反応。完全にしゅきめろになったらしい。普通に顔のかわいいしっかりした人かと思っていたら、心がめちゃくちゃかっこよくて度肝を抜かれた。なんせ私は心がかっこいい人に弱いので、戸塚くんに興味が湧く一番最初のきっかけとなった。

 

 

 

2. ときめき動画第2波

二度目に戸塚くんが意識に浮上したのは、6月25日放送の『その他の人に会ってみたSP』のVTR映像。これまた実際の放送は見ておらずツイッターで回ってきた動画を見たのだけど、ふぉ〜ゆ〜について話している時に謎に目を閉じ出す戸塚くんが意味不明で最高だった。色々な映像を見た結論としてこれは考えながら喋る時に出る癖なのかな?と今は思う。なんにせよ顔のかわいいヤベー人だ!!という興奮が再度生まれた。ここでその動画をツイートしていた方をフォローしたのはサブリミナル効果として非常に大きかったと思う。A.B.C-Zという存在は知らず知らずのうちに潜在意識の中に組み込まれていった。

 

 

 

3. ジャニーさんの死去

7月9日にジャニーさんが亡くなり、悲しみとともにたくさんの後悔に包まれた。ジャニーさんが生きているうちに演出しているジャニーズの舞台を見ておきたかったという思いと同時に、もう何も見逃さないようにしたいという思いがこみ上げ、すでに気になっていた(らしい)A.B.C-Zのコンサートの日程を調べるという行動に出た。しかし!!!

 私は万年金欠オタクなので「ちょっと気になっている存在」に遠征まではできないと思い近場の現場を探したのだけど、幕張の日程は私がサマパラに入る日と見事に被っていた。出鼻を挫かれた私はこれは行くなという天啓なのだと思いさらに調べることを放棄した。

 

 

 

4. 音楽の日

事態が急転したのは7月13日放送の『音楽の日』。この放送にジャニーズJr.からSnow ManHiHi Jetsが出ることは前々から決まっていたが、ジャニーさん逝去を受け2グループのパフォーマンス前にジャニーさん追悼の映像が流れ、司会中居くんもコメントした。この流れのためパフォーマンスを横から見守ることになったジャニーズの諸先輩方は皆一様に腹筋太鼓を神妙な顔で見つめざるを得なかったのだけど、その中にただ一人満面の笑顔の人がいた。そう、我らがジャニオタ、河合郁人!!!!!イエーーーーーイ!河合くんがとにかくめちゃくちゃにこにこしていて、そこが端的に最高だった。一番ジャニーズを理解し、一番ジャニーズを楽しんでいる河合くんがこんなにも楽しそうにしていることに謎に泣けてきたりした。

 ここでついに、危機感を口にする。

 自覚された危機感に坂を突き落とされたのか、ついに私は猛スピードで転がり落ちていく。

 この二人のコンボは顔が好き×顔が好きなのでかなりの威力があったのではないだろうか。正直ここら辺は錯乱していて記憶があまりない。ふみとつヤベエ、好きかもと思っていた気がする。

関係のない話をすると、私は生来のコンビ厨なので担当しているグループの中でコンビをきっかけにしていないのはトラジャくらいで、なおかつ担当は絶対そのコンビのうちのどちらかだ。つまりそのグループの中に「好きかも」と少しでも思うコンビを見つけた時点で、私はもう完敗している。ジ・エンド。しかし、A.B.C-Zからのボディーブローはここで止まらなかった。私は知ってしまったのだ、癖(ヘキ)ドンピシャのコンビを。。。

 

 

 

5. はしとつ

インターネットを漁っていた私は、どうやらドでかいジャンル(?)があることを知る。はしとつ。はしとつに当てられ、もはやはしとつしか言えなくなる。

 はしとつ、それは愛のぶつかり稽古。巨大愛と巨大愛の受け渡し。それに気づいた私にもう抗う術は残っていなかった。だってこのコンビ、めっっっっちゃ好きだもん.......................。完

 

 

 

 

 

という訳でちゃんずーを毎週録画に設定し、J's くらぶを聞き、ジャニショでA.B.C-Zを買い漁りました。フォロワーさんに教えてもらった初めての回がちょうどはっしーへのお手紙回で、戸塚くんこのまましんじゃう?!と心配しながら聞いた。己から放出された愛で溺死しそうな人だ。公式の文字起こしの抜けを心配して文字起こししたりもした。ラジオなのに3分20秒もあったよ、戸塚くんのはっしーへの愛。

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長い。

ハマってみて思うのだけど、A.B.C-Zって本当に巨大愛集団というか、愛と愛と愛と愛と愛で回っているなと思う。でそれは全然内側に限った話じゃなくて、外側っていうか、ファンとか、周りのスタッフとか、ジャニーズそのものに対してとか、をヒシヒシと感じる。その空間がすごく居心地が良くて、でも決して内輪ノリではないというか、形容するのが難しいけれど、素敵な空間だなと思う訳です。自分も、この空間のおすそ分けをもらえる感覚、がすごく楽しい。

 

文中でえびコンを諦めていたけど、あの後いろいろ試行錯誤してグッズだけ買いに行きました。なんせ15日昼夜と16日夜はサマパラに入ることが確定していたので物理的に「入れる」が16日昼だけだったんだけど、16日夜が立ち見だったのでこれはどう考えても幕張から水道橋の移動距離だと集合時間に間に合わんと判断して泣く泣く諦めました。でも顔が良良良すぎるグッズはたくさん手に入れられたので、TDC前でめちゃくちゃ自慢したよ。

 

どうやら私はステージ上での姿が担当になるかどうかの一番の決め手になるようなので、ぜふぁー入れなかったのは本当に悲しかったんですが、たぶん絶対戸塚担のままでしょう。今からえび座が楽しみで仕方ない。

もうデビュー7年目だけど、結成11周年だけど、入所20周年だけど、人を好きになることに遅すぎることなんてないと思うので、これからの戸塚くんを共に享受できることを楽しみにしていきたい。

好きになって一年 脳直のラブレター

わたしはTravis Japanのコンサートが死ぬほど好きだ。世界一好き。一番、どのグループよりも心の中満たされてお腹いっぱい!ごちそうさま!!ってなる。

わたしが初めて見たジャニーズのコンサートはTravis Japanで、わたしが今でも一番だと思うのもTravis Japan。誰が誰かもあやふやだったのに世界一大きな爆弾落としてステップ踏みながら去っていったあの日のサマパラ。わたしが追ってる他のどのグループも勝てない、Travis Japanしかできない。それはもう演出が上手いとか下手とかじゃない、近いとか遠いとかじゃない。演出が上手いと思うグループはもっと別にいる。デビュー組と演出で比べたら、もう間違いなく負ける、だってかけられる時間もお金も自由の幅も、ついでに当然持ってるオリ曲の数も、比べるのがアホらしいくらい桁違いに少ない。

でももうそういうことじゃないの。とにかく、死ぬほど満足して帰ること、たった2時間かそこらのコンサートが無限の時間に感じられること。その一点のみで、その一点でこそ、Travis Japanはわたしにとって唯一無二。2時間絶え間なく全方向から感情が押し寄せてくるコンサート。すき、すき、すき、すき。かわいい、かっこいい、愛しい、大好き。もう他のこと考えてる余裕ない。距離が近いとか、ファンサが欲しいとか、演出がいいとか、もうそんな余裕なんかない。余計なこと考えてる時間がない。とにかく、とにかく、トラジャ、トラジャ、トラジャ。前後左右上下全方位全思考ぜんぶ7人に握られて気づいたら終わってる夢。これがアイドルのコンサート、って思う感情が、全部詰まってる!とにかく最高で、最強で、最上!

 

赤ちゃんたち最後の夏 / 美 少年は明朝体

日に日に子供から大人になっていく横顔に迫る焦り、焦燥感。このままでは龍我ちゃんは知らぬ間に大人になってしまう!子供は大人になれるけど、大人は子供には戻れないのに〜!

 

 

 

というわけで、2019年夏私はEXシアターに向かった。ラスト・赤ちゃんをこの目に刻むという重大な使命とともに。龍我ちゃんにはいつまでも赤ちゃんのままでいてほしいけど赤ちゃんだっていつかは大人になる。2019年の夏は、もしかしたら赤ちゃんのままの龍我ちゃんを見れる最後の機会かもしれない。だから赤ちゃんじゃなくなる前に絶対に見ておきたい。合法シ◯タが専門だけど、本物のシ◯タだって大好き!わ〜い!

 

 

脳直の感想として、美少年はまじでハチャメチャに最高だった!!初めてび〜ちゃんの現場に行けたんだけどちょっと想像以上によかった。終演後に「え!めちゃくちゃよかったくない?!」(日本語)って言いすぎて同行者にウザ絡みしてしまった。同行者は那須を見に行ったはずなのに忍者に心を奪われていてあまり話を聞いてくれなかったが、無問題!なぜなら忍者も最高だったので。

 

 

端的に最高だったのは、美 少年の団体力。横に並んでも縦に並んでもとにかく強くて、一個のパッケージとしての完成度がすごかった。彼らの凄さは、一瞬の永遠を思わせる存在感だと思う。これは彼らの「限られた時間」の中の一部なのだという強い実感を植え付けるパフォーマンス、そしてそれを観客に思わせる存在そのものに伴う儚さや有限性はちょっと他にはないんじゃないかな。

幼さすらも芸に変えてしまえるというか、実力「以上」を見せられるハッタリ力が群を抜いてあった。シンメを武器として使える強かさとか、彼らの持つ素直さや真っ直ぐさをそのままショーとして出せていたのがめちゃめちゃに良かった!彼らの年齢「ならでは」の良さが詰まってた。

 

あとたぶん生前にジャニーさんが残した最後の演出?だからか高純度のジャニーイズムが詰まっててヒロムの脳内見てるーーー!!!っていう久々の感覚。テーマにある程度の一貫性があったのもすごく良かった。体感としてじゃぽの曲めちゃくちゃ使ってくれてて嬉しかったので帰ってからずっとじゃぽ聞いてる。*1 び〜は和装が本当によく似合う。和装ってのはなんでこうもこう…人間を興奮させるんだろうね。傾国の和装。

 

個人的にめちゃくちゃ印象に残っているのは浮所くんのソロで、ここまで表現力があるとは思ってなかった…っていうのが率直な感想。表情とか魅せ方とか、きっとものすごく努力してるんだろうな。一気に世界観に引き込まれて浮所くんが見せたいものが明確にわかる瞬間がすごく好きだった。

 

 

 

忍者はとにかく迫力がすごい。一列目、二列目ってはっきりしてるからこそ空気に闘志みたいなものが固体になって見えるくらいの熱気が伝わってくるし、その中でも全員揃ってガシガシ踊ってるのがすごく気持ちよかった。あと皇輝があまりにもデキジュで部下の人格が生まれそうになったよ。那須のソロで顔色一つ変えずに後ろから襟直すところとか、本当によかった。皇輝がいるっていうのは忍者にとってすごい財産なんじゃないかと思う、知らんけど…。

 

 

 

 

さて問題の龍我ちゃんですが、結論としては!まだ赤ちゃんだった!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!ヤッターーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!EX童貞だったのでサイズ感がわからなくていつも使ってる10倍の双眼鏡を持っていったんだけど、シンプルにいらん。全然いらんけど一応何回か使って高倍率でも美しいお顔を丹念に見つめましたが、やっぱりまだ赤ちゃんだった。一安心ですね。ただソロの時の表情とかはかなり大人の階段を登っていて私は気が気じゃなかったよ。龍我ちゃん、大人にならないでーーーーー!!!!!(絶叫)

 

 

年下組*2 は本当にまだ赤ちゃんでホッとした。龍我ちゃんも大昇くんも背は高いのに赤ちゃんなところがたまらんね。 かなぴもまだ赤ちゃんだったけど前ほど赤ちゃんでもなく、危機感は感じました。年上組は赤ちゃんと大人のギリギリのボーダーという感じ。正直なぁはもう赤ちゃんではない、大人の男だ。でも顔がかわいいのでセーフ。赤ちゃんという激ぬる判定でいきましょう。

 

 

龍我ちゃんは本当に、愛嬌が人の形をしているのか?と見紛うほど可愛くて美しくて素直で真っ直ぐだった。あと足が噂通り5mあった。ありがたいことに席がアホほど良かったんだけど、私の隣の席の人がたぶんお手!ってやろうとして差し出した手のひらに龍我ちゃんが顎をのっけるという驚愕のファンサをしていて、そのあまりの真っ直ぐさに両目が潰れて死ぬかと思った、マジで。16歳高校生職業アイドル、強え〜〜〜!!どうかその純粋さ素直さ真っ直ぐさを忘れずに、すくすくと育ってくれと願う。いや、充分すぎるほどすくすく育ってはいるけどね。スカイツリーも夢ではない。

 

 

 

今年の美 少年はまだみんな赤ちゃんだった。でも来年はもしかしたら違うかもしれない。柔らかくてぷにぷにしていて汗ばんでいるのかと思っていた龍我ちゃんの手は、大きくてかたくて少し乾燥していた。

 

 

 

 

*1:と思ったのにセトリ見たら全然そんなことなくて笑った。よいとこと心の空に意識が引っ張られすぎた模様。

*2:って言い方する?わからん。

レコメンに関するあれやこれや

担降りブログをついこの間書いたばかりなのにまたしんどい内容かいという感じなのだけど、今の自分の気持ちやらぼやきやらをメモとして後々のために置いておこうかなーと思って書くことにした。一件そのものに対してというより、それから見えることや元々感じていたことについて。

 

 

件のレコメンは実際の音声は聞いていなくて文字起こしを読んだ。音声で聞くものと文字に起こされたものって雰囲気が全然違うこともあるので、客観的な自分としては聞いていないなら書くな!とも思うんだけど、聞いていなかった理由がそもそも、もっとずっと前にレコメンの内容に滅入ってしまって聞くのをやめたからだ。ずっと感じていたモヤモヤが今回顕在化されて、自分だけが違和感を感じていたのではなかったという事実に救われたりもした。

 

正直、文化放送とは死ぬほどソリが合わない。企画がダサすぎやしないか?と毎回新鮮に驚く。これ、このお題を純粋に楽しんで聞いている人本当にいるんだろうか。絶対数として明らかに女性リスナーが多く、特に放送時間が遅いわけでもないあのラジオを、にも関わらずのあのラジオを、小中高生の女の子に判断の基準として受け取って欲しくないなと切に思う。

 

悲しいのは、それらの企画で最悪な発言をしているのが自分となんの関係もない通りすがりの最悪な人ではなく、好きなアイドルだということだ。その変えようのない事実がただ悲しい。ずっと聞いていたら真綿で首を締められるような感覚を覚える。

 

 

 

表に立つ人って、何を考えるかではなく考えた中から何を選択し何を表出するかの匙加減が本当に重要だと思う。もちろん欲を言えば意識はアップデートされていって欲しいのだけど、思想は自由だ。自分がどういう立場で何を発信しそれがどういう風に受け止められるか、どれほどの影響力を持っているか、どうか自覚的であってほしいと願う。不用意だな、と思う発言をしないということは、意見を持っている持っていないに関わらず、自分の発言に責任を持っているということだと思う。まあだからこそ冗談でも「このラジオでの発言に責任は持ってない」と言われたこと自体ショックだったのだけど。

 

 

 

企画の雰囲気上そういうノリを求められているのだとしても、そこは違う方法で場を盛り上げるべきだし、同じレベルにまで落ちる必要なんかないし、でもやっぱりそういうこと抜きにして、どう聞いてもあれが彼らの本音であり包み隠さない意見だということに一番精神がやられる。そこに疑問を持っていないことにも絶望する。それを世代的に仕方のないこととして切り捨てることは私には無理で、それは好きを諦めることと同義だ。

 

 

 

聞いていた期間も短かったけど、私が一番傷ついた発言は男女の友情は成立しうるか?というリスナーの質問に対し「男次第」と答えていたこと。なんでもないことのように聞き逃せばよかったのかもしれないけど、私は途方もなく失望したし、傷ついた。そんな決定権もないの?と思った。アイドルのラジオでも、バカみたいに笑っとかなきゃいけないのか。客体としてしか存在していないことが死ぬほど悔しかった。だから精神の健康を保つために聞くのをやめた。

 

 

 

 

私はたとえ好きなアイドルからであっても一方の性から他方の性を断じられるのが本当に苦手だ。男性アイドル(ジャニーズ)が好きな気持ちと、男性に集合として女性を一方的に評価されることへの嫌悪感は同時に成立している。ドル誌によくある「〇〇な女の子はアリ?ナシ?」みたいな質問も本当に苦手で、そこから垣間見える男女観が地雷だったらどうしようと常々怯えているので見ないようにしている。まあそれは聞くドル誌に問題があるのだけど。臭いものには蓋をしてうまく付き合おうとしているのだから、あちら側にもある程度の配慮をして欲しいと思うのは我が儘でしかないのだろうか。と思う一方で、自分だってアイドルを消費しているのだからこんなことを言う資格はないのではないか?という疑問にもかられ、もう訳が分からなくなる。

 

好きでいたいのに、私にとってはジェンダーに関することはあまりに重要で、そこで相容れないことはかなりダメージが大きい。そういう好きに内包される違和感を、みんなはどうやって好きと両立させているのだろう。

 

遅めの春よ咲き乱れろ

端的に言ってしまえば、この度Snow Manから降りた。随分長くかかったけど、終わりは呆気ないほど一瞬だったし、穏やかなものだった。

 

 

 

折に触れて書いてきたこととして、私は上書き型じゃなくて別ファイル保存型のオタクだ。好きは増える。減らない。同じ質量の好きを、同時並行で何個でも成立させられるのは結構な才能だと思う。あれも好き、これも好き。全部最高、見逃すなんてもったいない。

だからそもそも担降りという機能は備わってない。自然消滅はするかもしれないけど、一度好きになったものを嫌いになることはない。アイドルの本質、箱の本質が変わらない限り。

 

変わった。ように見えた。少なくとも最初の3ヶ月は。というか彼らが変わっていく過程から私は目を逸らした。私は6人を好きになってからまだ日が浅くて、かつ今まで箱が壊れる姿を見たことがなかったから、死ぬほど動揺したし、烈火の如く怒った。怒って、憎んで、絶対に許さないと誓った。同時進行で嵐のこともあって、もう精神はガタガタだし、感情はジェットコースターだし、とにかく1月2月は死ぬほど荒れた。アイドル、なんで好きになったんだろうと思ったりした。こんなに辛いなら、出会わなければよかったと思った。YouTubeも9人になってから見るのをやめた。見れなかった、とにかくよくわからないけど人が多くて。彼らが何も悪いことをしていないことも知っているし、それを許せない自分が離れるべきなのも知っている。それを認めたくなくて、認められない自分が嫌で、9人から逃げた。

そのうち6人を声高に叫ぶ人は過激になって分離して、一方で声高でなくても6人が好きだな、と静かに言っていた人たちも減っていった。写真もイラストも少しずつ少しずつ9人になっていった。その全部を、一人何も言わずに見ていた。一人だけずっと怒っているみたいで、なんだか途方もなく取り残されたような気持ちだった。

 

 

 

 

 

 

単独は残る決定打にはならなかった。ほぼ初めて見る9人の揃った姿はショックというよりも得体の知れないものを見ている感覚で、なんだかずっとぼんやりしていた。すごく楽しかったけど今思えば目の前のことを全く消化できていなかったように思う。どうしよう、とだけ思った。

 

歌舞伎は反対に離れる決定打にならなかった。本当に良かったから。歌舞伎こそが彼らのステージなんだと思ったし、これが9人になった意味なのだと独りごちたりもした。このステージのためならしょうがなかったのかも知れない、とずっと怒り倒していた私が思うくらいには歌舞伎は文句のつけようがなかった。まだわかりやすく残る荒削りささえも彼らの芸を輝かせるものでしかなかった。もっと見ていたい、と思った。

 

 

たまアリは、とにかく記憶がない。というかトラジャのことばかり苦慮していて、自分の立ち位置のわかりやすい偏りをようやく認めた。たまアリはたぶん各グループ忙しすぎてほとんど合わせる時間がなかったんだと思う、合同コンサートというよりは、単独コンサートを入れ替わり立ち替わり見ているような感覚だった。だから始まって3番目にトラジャが出てくるまでは随分時間が長く感じられたし、他のグループの良さを見て焦ったり、トラジャの輝きを見て誇らしくなったりした。私はさいたまスーパーアリーナで明らかにすのとら掛け持ちとしてではなく、トラジャ担として存在していた。9人のSnow Manを、純粋にライバルとして見つつある自分に気づいた。

 

 

 

サマパラは迷って結局申し込まなかった。機会があれば1回くらい行きたいなという甘えはあったけど、とにかく全ての運と金をトラジャに使いたかった。結果として私の名義はその役目を全く果たさずうんともすんとも言わなかったので運もクソもないのだけど、とにかく一夏を手放すくらいには気持ちが落ち着いているのを感じた。

 

 

 

 

急転直下、疾風怒濤、青天の霹靂(ではない)。事態の終結は突然訪れた。いつもYouTubeはTLに山ほど流れている断片的なスクリーンショットの気になるものだけを見て満足しているのに、その回は見れば見るほどなんとなく自分の目で見たくなった。ひーくんが「自分のことをこれからも守ってほしい」という死ぬほどかわいいことを言っている瞬間をどうしても自分の耳で聞きたかった。ので、見た。動画はなんのことはない、普通に面白くて楽しくてかわいい、いい回だった。私が初めて見るパフォーマンスをしていない9人だけの空間だった。

そう、普通に面白くて楽しくてかわいかった。まるで元からそうであったみたいに、9人はすっぽり綺麗に収まっていた。今この瞬間私が見ているものには何のヒビもなかった。もう箱は完成されていた。私は、本当に唐突に、ああ、私の気持ちは、邪魔なだけだ、と素直に理解した。急に腑に落ちた感覚だった。だから、もう離れなきゃ、と思った。

本当はたぶんずっと前から理解していたんだと思う。私が心の中で必死に守り続けている6人の偶像を、他ならぬ本人たちによって否定されることがただただ怖かった。自分だけが過去に縋っていて、当人は前に進んでいるという事実がどうしても辛くて、だから9人は見れなかったし見たくなかった。少しの綻びを含んでいてくれと願ったりもした。でも私が見た9人にはもう9人の人間関係があり、9人の箱になっていた。そこに真正面から向き合うまで、半年かかった。

 

 

 

 

6人の中で楽しそうに笑っている翔太が好きだった。9人の中でだって楽しそうに笑っている。どうかずっと笑っていてくれと願う。

ようやく9人と正面から向き合えるようになった。でも私にとってそれは同時に過去の6人に別れを告げることでもあるから、ひとまず心の整理のために担降りの形を取ろうと思う。私は6人のSnow Man渡辺翔太を担当していたから。

 

 

 

ようやく、本当にようやく、1月2月に聞き続けた、この世の全ての呪詛を詰めたような「1月17日」というプレイリストを消せた。

36年目の6月17日へ

 

ねえ私、君のことあんなに食い入るように見てたのに、見ていたいのに、35歳の残りの5ヶ月のことなにも知らないんだ。

君の髪の毛が今どれだけ伸びてるかとか、ほくろが復活してるかとか、単純に元気そうにしてるかとか、なにも知らない。

見れるようになりたいのに録画の残量だけが毎週減って、冬は春に溶けて、春は溺れて夏になってる。「再生」のボタンを押すだけなのに、なにかが怖くてずっと見れない。見る気力が湧かない。
頭ではもう理解してるのに、たまに暗い帰り道で人目も憚らず大声で泣いたりしてる。

 

 

見てないのは自分なのに、見れてないのってすごく疲れて、苦しくて、いやになる。義務感でオタクやってるわけじゃないのに、ずっと見てたいって気持ちと、ずっとは見れないって気持ちがせめぎ合って、見ても見なくても苦しい。

 

見れてないけど、だけど、
やっぱり世界で一番大好きだよ。

なににも遠慮せずにずっと私の一番を捧げてるよ。誰かに一番を贈る時、必ず君の顔が頭の片隅をよぎるよ。
何度だって私の「一生」と「永遠」と「世界一」を誓いたい。人生の中で使える回数の上限が決まってるなら、迷わず全部君に使う。

 


私の人生を、君への愛と献身で一生縛りたい。
君が世界一幸せな世界以外いらない。

 

 

 

本当に、だいすき。愛している。何があっても、永遠に好きよ。

 

君の一年が君のだいすきな人たちとともにたくさんの幸福に包まれていますように。
36歳の宇宙で一番愛しいひとへ。お誕生日おめでとう!

 

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横浜アリーナでCocoaを聞いて菊池風磨くんに恋に落ちた話。

この度Sexy Zone LIVE Tour 2019 PAGES 横浜アリーナ公演3日間の参戦を終え、勝利担ふまけん厨改め風磨担ふまけん厨ふうまくんガチ恋キモ=オタクが爆誕したことをここにご報告致します。

 

終始概念の話ばかりしているのでたぶんほぼ意味がわからない内容となっていると思うけど、ガチ恋に狂ったオタクを眺めるのも一興かと思うのでお付き合い頂けるととてもうれしい。多分にネタバレを含んでいるのでご注意ください。

 

 

 

大前提として、私は勝利担の時からふうまくんは大好きだった。だけど絶対、絶対に風磨担にはならないだろうと確信していた。あの思春期感、あのアニキ感、あのいたずら小僧感、全部ぜんぶ端から眺める分にはめちゃくちゃ可愛いけど、あれを真正面から受け止めることは不可能だと私は思っていた。というのも私には幼少期から日々喧嘩を繰り返してきた兄がいて、世間が兄と妹に思い浮かべるような「優しいけどちょっといじわるなお兄ちゃん」像にはついぞ触れずに生きてきた。だからふうまくんのリアルな”兄”感に私はアレルギー反応を示していたのかもしれない。それ故に可愛い存在である”弟”(私には弟もいる)に彼を落とし込んで愛でていた。ふうまくんがどういう人間か、風磨担が彼に何を求めているか、それ故にふうまくんはどういう行動を見せるか、風磨担がそれを見てどういう反応を見せるのを期待しているのか、を全て客観的に見るのが楽しくて、そうやってかっこつける様がとても愛しくて、言うなれば思春期の弟的な存在として彼を愛していた。

あと私は厄介なことに疑似恋愛演出みたいなのを自分に向けられるのがとても苦手で、そういう表現がわりかし多めなこともあって絶っっっっっっ対に風磨担にはならないという謎の自信と偏見を呑気に持っていたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なのにCocoaが本当にやばかった。

1日目を終えて、もしかしたら2日後にふうまくんの団扇を買っているかもしれないというぼんやりとした危機感を抱いた。

3日目を終えて、私はいつの間にかふうまくんの団扇を買っていた。さらにフォトセまでお買い上げしていた。

自分が一番驚いた。驚きながら、自分のものになった団扇のふうまくんがかっこよすぎて延々と照れていた。

 

 

 

 

 

 

 

私は5グループ掛け持ち財布カツカツ常時貧窮オタクなのでアルバムは初回限定盤Bしか買わず、そして無精したのでレンタルすることもなく、ソロ曲を一切予習せずに横アリに臨んだ。私のデビュー組のツイッターアカウントはほぼ壁打ちなのでネタバレが回って来ることもなく(一部深刻なネタバレを己の不注意で踏んだりもしたが)、特に何の警戒もせずにPhoto Album Gathered Emotions by Sexy Zoneは幕を開けた。

本題ではないのでハショるが、PAGESはとにかく最高最高&最高だった。私は常々Sexy Zoneは演出、特に場面転換がめっちゃくちゃ上手いなと思っているのだけど、今回生で見れてやはり~~~~~!!!!!と荒ぶった。

あと次の時代は絶対にSexy Zoneの掌の中にあると打ちのめされたりもした。

コンサート自体の感想を書き始めると最高すぎて長くなるので時間があればどこかでまた書きたい。

 

 

 

 

 

 

 

本題に戻る。Cocoa。そういうわけで、私は何の前知識もなくCocoaにぶち当たり、そして爆発四散した。

初日の席がメンステ側のセンター席でモニターに近く、加えてバクステから現れるふうまくんは埋もれて見えなかったので大人しく最初からモニターを眺めていたのだけど、モニターの映像があまりにも、…あまりにも良かった。良。良良良。最高。

「ぼく」と、「おやじ」。バクステからセンステまでゆっくりと歩いてくるふうまくん、センステで立ち止まるふうまくん、”今”のふうまくんを白く切り取るモニター。歩き出す”今”のふうまくん、現れる”あの頃”のふうまくん、重なり、そして交差する”あの頃”と”今”。

Cocoaの何が最高かって、粋でセンスのありすぎる演出とともに、菊池風磨という人間が浴びてきた溢れんばかりの愛情を追体験できること。その愛を間接的に感じられること。めちゃくちゃ好きな人間がめちゃくちゃ愛に包まれているという事実は、きっと何億年先でもめちゃくちゃ最高だ。

 

私は、ふうまくんが常に眩しく内包する青春時代とそれ以前の子供時代への愛着と、それを形作ってくれたひとへの憧憬と感謝の歌だと思ったんだ、Cocoa

どう言ったらちゃんと伝わるかわからないけど、Cocoaの真っ直ぐさ?彼の中にある熱さ、青さ……青さをなお頑固に維持する意志の強さ、あとセンス、とか、だろうか。すごく、めちゃくちゃに好きだった。「自分とはこういった人間である」という己への理解とそれを元にした自己表現が予想以上に上手で、そして柔和だったのである。私が思っているよりもはるかに賢くて、やわらかくて、優しくて、面白くて、青い人だなあと思った。ふうまくんがふうまくん自身と折り合いをつけながら生きてきた人生を見ているみたいだった、Cocoa

 

 

まあそんなこんなを考えながら私の脳はCocoaででろでろに溶けていた。涙腺ガバガバ大魔神なので1日目も2日目もオンオン泣いた。あまりにも泣きすぎて同行者に爆笑された。

2日目が終わった後、いよいよ現実味を帯び始めた危機感は、一緒に入った健人担たちが面白おかしく言う「明日も泣いたらもう風磨担なこと認めなよ」に素直に命運が託された。

結果、3日目も泣いた。号泣皆勤賞。自分でも自分まじか…となっているところで健人担に、目の前に勝利くんがいたのにふうまくんを双眼鏡で追っていたことを指摘される。違う!!!私はふまけんを追っていたのであって、ふうまくん単体を追っていたのではない!!!!という無駄な足掻き。この時点で降参寸前。

留めを刺したのは、菊池風磨張本人だった。アンコールでスタトロが回って来てくれた時(3日目はスタンド席)、目の前に現れた、”存在”しているふうまくんに私は呆然としてしまって、もはや微動だにできなくて、あっもう無理だ、と悟った。シンプルに降参。だってもうめちゃくちゃに輝いていた。別にファンサをもらったとかでもなんでもないけど、この人が間違いなく好きだという感情に圧倒された。白旗。もう恋。恋恋恋。恋でしかない。認めてしまったら人間なんて楽なんだ。恋で~~~~~~~~~~す!!!!!

 

 

 

 

 

 

 

私、雲食べて生きているようなヒョロヒョロの男の子が好きだったはずなのに。私、冗談でもバカにされたりあしらわれたりするの本当に腹立つ人間だったはずなのに。私、愛情の発露の仕方「可愛い」しかなかったはずなのに。

筋肉ムキムキで、ファンのこと「飼い犬」とか言ってきて、世界一かっこいいふうまくんに恋してしまった自分に死ぬほど動揺している。ガチ恋前とガチ恋後では世界が違って見える。私は好きな人間のこと骨の髄まで、細胞の一つ一つまで愛してしまう人間なので、ふうまくんを構成する全ての要素が輝いて見える。長年ちょっと苦手だなと思って避けてきた面が好きになった途端可愛くていじらしく見えてくるの、恋の魔法すぎる。もうなんでも好き。生きてるだけで好き。生きてくれてるだけでいい。

 

ふうまくんによって私が20数年の短い人生の中でコツコツ築き上げて来た好きも嫌いも塗り替えられていっている気がして怖い。怖いけど、同時に世界が万華鏡のように輝いて見える。人生は予測不可能なことばかりだけど、来年の私はきっと横浜アリーナで紫色のペンライトを宝物みたいに掲げていると思う。

 

 

 

 

 

余談だけど、ガチ恋を一人で爆走させていたらツイッターの広告がゼクシィになったりする。素直にうれしい。