みぎのほっぺに冬の夜

Träume sind Schäume.

横浜アリーナでCocoaを聞いて菊池風磨くんに恋に落ちた話。

この度Sexy Zone LIVE Tour 2019 PAGES 横浜アリーナ公演3日間の参戦を終え、勝利担ふまけん厨改め風磨担ふまけん厨ふうまくんガチ恋キモ=オタクが爆誕したことをここにご報告致します。

 

終始概念の話ばかりしているのでたぶんほぼ意味がわからない内容となっていると思うけど、ガチ恋に狂ったオタクを眺めるのも一興かと思うのでお付き合い頂けるととてもうれしい。多分にネタバレを含んでいるのでご注意ください。

 

 

 

大前提として、私は勝利担の時からふうまくんは大好きだった。だけど絶対、絶対に風磨担にはならないだろうと確信していた。あの思春期感、あのアニキ感、あのいたずら小僧感、全部ぜんぶ端から眺める分にはめちゃくちゃ可愛いけど、あれを真正面から受け止めることは不可能だと私は思っていた。というのも私には幼少期から日々喧嘩を繰り返してきた兄がいて、世間が兄と妹に思い浮かべるような「優しいけどちょっといじわるなお兄ちゃん」像にはついぞ触れずに生きてきた。だからふうまくんのリアルな”兄”感に私はアレルギー反応を示していたのかもしれない。それ故に可愛い存在である”弟”(私には弟もいる)に彼を落とし込んで愛でていた。ふうまくんがどういう人間か、風磨担が彼に何を求めているか、それ故にふうまくんはどういう行動を見せるか、風磨担がそれを見てどういう反応を見せるのを期待しているのか、を全て客観的に見るのが楽しくて、そうやってかっこつける様がとても愛しくて、言うなれば思春期の弟的な存在として彼を愛していた。

あと私は厄介なことに疑似恋愛演出みたいなのを自分に向けられるのがとても苦手で、そういう表現がわりかし多めなこともあって絶っっっっっっ対に風磨担にはならないという謎の自信と偏見を呑気に持っていたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なのにCocoaが本当にやばかった。

1日目を終えて、もしかしたら2日後にふうまくんの団扇を買っているかもしれないというぼんやりとした危機感を抱いた。

3日目を終えて、私はいつの間にかふうまくんの団扇を買っていた。さらにフォトセまでお買い上げしていた。

自分が一番驚いた。驚きながら、自分のものになった団扇のふうまくんがかっこよすぎて延々と照れていた。

 

 

 

 

 

 

 

私は5グループ掛け持ち財布カツカツ常時貧窮オタクなのでアルバムは初回限定盤Bしか買わず、そして無精したのでレンタルすることもなく、ソロ曲を一切予習せずに横アリに臨んだ。私のデビュー組のツイッターアカウントはほぼ壁打ちなのでネタバレが回って来ることもなく(一部深刻なネタバレを己の不注意で踏んだりもしたが)、特に何の警戒もせずにPhoto Album Gathered Emotions by Sexy Zoneは幕を開けた。

本題ではないのでハショるが、PAGESはとにかく最高最高&最高だった。私は常々Sexy Zoneは演出、特に場面転換がめっちゃくちゃ上手いなと思っているのだけど、今回生で見れてやはり~~~~~!!!!!と荒ぶった。

あと次の時代は絶対にSexy Zoneの掌の中にあると打ちのめされたりもした。

コンサート自体の感想を書き始めると最高すぎて長くなるので時間があればどこかでまた書きたい。

 

 

 

 

 

 

 

本題に戻る。Cocoa。そういうわけで、私は何の前知識もなくCocoaにぶち当たり、そして爆発四散した。

初日の席がメンステ側のセンター席でモニターに近く、加えてバクステから現れるふうまくんは埋もれて見えなかったので大人しく最初からモニターを眺めていたのだけど、モニターの映像があまりにも、…あまりにも良かった。良。良良良。最高。

「ぼく」と、「おやじ」。バクステからセンステまでゆっくりと歩いてくるふうまくん、センステで立ち止まるふうまくん、”今”のふうまくんを白く切り取るモニター。歩き出す”今”のふうまくん、現れる”あの頃”のふうまくん、重なり、そして交差する”あの頃”と”今”。

Cocoaの何が最高かって、粋でセンスのありすぎる演出とともに、菊池風磨という人間が浴びてきた溢れんばかりの愛情を追体験できること。その愛を間接的に感じられること。めちゃくちゃ好きな人間がめちゃくちゃ愛に包まれているという事実は、きっと何億年先でもめちゃくちゃ最高だ。

 

私は、ふうまくんが常に眩しく内包する青春時代とそれ以前の子供時代への愛着と、それを形作ってくれたひとへの憧憬と感謝の歌だと思ったんだ、Cocoa

どう言ったらちゃんと伝わるかわからないけど、Cocoaの真っ直ぐさ?彼の中にある熱さ、青さ……青さをなお頑固に維持する意志の強さ、あとセンス、とか、だろうか。すごく、めちゃくちゃに好きだった。「自分とはこういった人間である」という己への理解とそれを元にした自己表現が予想以上に上手で、そして柔和だったのである。私が思っているよりもはるかに賢くて、やわらかくて、優しくて、面白くて、青い人だなあと思った。ふうまくんがふうまくん自身と折り合いをつけながら生きてきた人生を見ているみたいだった、Cocoa

 

 

まあそんなこんなを考えながら私の脳はCocoaででろでろに溶けていた。涙腺ガバガバ大魔神なので1日目も2日目もオンオン泣いた。あまりにも泣きすぎて同行者に爆笑された。

2日目が終わった後、いよいよ現実味を帯び始めた危機感は、一緒に入った健人担たちが面白おかしく言う「明日も泣いたらもう風磨担なこと認めなよ」に素直に命運が託された。

結果、3日目も泣いた。号泣皆勤賞。自分でも自分まじか…となっているところで健人担に、目の前に勝利くんがいたのにふうまくんを双眼鏡で追っていたことを指摘される。違う!!!私はふまけんを追っていたのであって、ふうまくん単体を追っていたのではない!!!!という無駄な足掻き。この時点で降参寸前。

留めを刺したのは、菊池風磨張本人だった。アンコールでスタトロが回って来てくれた時(3日目はスタンド席)、目の前に現れた、”存在”しているふうまくんに私は呆然としてしまって、もはや微動だにできなくて、あっもう無理だ、と悟った。シンプルに降参。だってもうめちゃくちゃに輝いていた。別にファンサをもらったとかでもなんでもないけど、この人が間違いなく好きだという感情に圧倒された。白旗。もう恋。恋恋恋。恋でしかない。認めてしまったら人間なんて楽なんだ。恋で~~~~~~~~~~す!!!!!

 

 

 

 

 

 

 

私、雲食べて生きているようなヒョロヒョロの男の子が好きだったはずなのに。私、冗談でもバカにされたりあしらわれたりするの本当に腹立つ人間だったはずなのに。私、愛情の発露の仕方「可愛い」しかなかったはずなのに。

筋肉ムキムキで、ファンのこと「飼い犬」とか言ってきて、世界一かっこいいふうまくんに恋してしまった自分に死ぬほど動揺している。ガチ恋前とガチ恋後では世界が違って見える。私は好きな人間のこと骨の髄まで、細胞の一つ一つまで愛してしまう人間なので、ふうまくんを構成する全ての要素が輝いて見える。長年ちょっと苦手だなと思って避けてきた面が好きになった途端可愛くていじらしく見えてくるの、恋の魔法すぎる。もうなんでも好き。生きてるだけで好き。生きてくれてるだけでいい。

 

ふうまくんによって私が20数年の短い人生の中でコツコツ築き上げて来た好きも嫌いも塗り替えられていっている気がして怖い。怖いけど、同時に世界が万華鏡のように輝いて見える。人生は予測不可能なことばかりだけど、来年の私はきっと横浜アリーナで紫色のペンライトを宝物みたいに掲げていると思う。

 

 

 

 

 

余談だけど、ガチ恋を一人で爆走させていたらツイッターの広告がゼクシィになったりする。素直にうれしい。