みぎのほっぺに冬の夜

Träume sind Schäume.

レコメンに関するあれやこれや

担降りブログをついこの間書いたばかりなのにまたしんどい内容かいという感じなのだけど、今の自分の気持ちやらぼやきやらをメモとして後々のために置いておこうかなーと思って書くことにした。一件そのものに対してというより、それから見えることや元々感じていたことについて。

 

 

件のレコメンは実際の音声は聞いていなくて文字起こしを読んだ。音声で聞くものと文字に起こされたものって雰囲気が全然違うこともあるので、客観的な自分としては聞いていないなら書くな!とも思うんだけど、聞いていなかった理由がそもそも、もっとずっと前にレコメンの内容に滅入ってしまって聞くのをやめたからだ。ずっと感じていたモヤモヤが今回顕在化されて、自分だけが違和感を感じていたのではなかったという事実に救われたりもした。

 

正直、文化放送とは死ぬほどソリが合わない。企画がダサすぎやしないか?と毎回新鮮に驚く。これ、このお題を純粋に楽しんで聞いている人本当にいるんだろうか。絶対数として明らかに女性リスナーが多く、特に放送時間が遅いわけでもないあのラジオを、にも関わらずのあのラジオを、小中高生の女の子に判断の基準として受け取って欲しくないなと切に思う。

 

悲しいのは、それらの企画で最悪な発言をしているのが自分となんの関係もない通りすがりの最悪な人ではなく、好きなアイドルだということだ。その変えようのない事実がただ悲しい。ずっと聞いていたら真綿で首を締められるような感覚を覚える。

 

 

 

表に立つ人って、何を考えるかではなく考えた中から何を選択し何を表出するかの匙加減が本当に重要だと思う。もちろん欲を言えば意識はアップデートされていって欲しいのだけど、思想は自由だ。自分がどういう立場で何を発信しそれがどういう風に受け止められるか、どれほどの影響力を持っているか、どうか自覚的であってほしいと願う。不用意だな、と思う発言をしないということは、意見を持っている持っていないに関わらず、自分の発言に責任を持っているということだと思う。まあだからこそ冗談でも「このラジオでの発言に責任は持ってない」と言われたこと自体ショックだったのだけど。

 

 

 

企画の雰囲気上そういうノリを求められているのだとしても、そこは違う方法で場を盛り上げるべきだし、同じレベルにまで落ちる必要なんかないし、でもやっぱりそういうこと抜きにして、どう聞いてもあれが彼らの本音であり包み隠さない意見だということに一番精神がやられる。そこに疑問を持っていないことにも絶望する。それを世代的に仕方のないこととして切り捨てることは私には無理で、それは好きを諦めることと同義だ。

 

 

 

聞いていた期間も短かったけど、私が一番傷ついた発言は男女の友情は成立しうるか?というリスナーの質問に対し「男次第」と答えていたこと。なんでもないことのように聞き逃せばよかったのかもしれないけど、私は途方もなく失望したし、傷ついた。そんな決定権もないの?と思った。アイドルのラジオでも、バカみたいに笑っとかなきゃいけないのか。客体としてしか存在していないことが死ぬほど悔しかった。だから精神の健康を保つために聞くのをやめた。

 

 

 

 

私はたとえ好きなアイドルからであっても一方の性から他方の性を断じられるのが本当に苦手だ。男性アイドル(ジャニーズ)が好きな気持ちと、男性に集合として女性を一方的に評価されることへの嫌悪感は同時に成立している。ドル誌によくある「〇〇な女の子はアリ?ナシ?」みたいな質問も本当に苦手で、そこから垣間見える男女観が地雷だったらどうしようと常々怯えているので見ないようにしている。まあそれは聞くドル誌に問題があるのだけど。臭いものには蓋をしてうまく付き合おうとしているのだから、あちら側にもある程度の配慮をして欲しいと思うのは我が儘でしかないのだろうか。と思う一方で、自分だってアイドルを消費しているのだからこんなことを言う資格はないのではないか?という疑問にもかられ、もう訳が分からなくなる。

 

好きでいたいのに、私にとってはジェンダーに関することはあまりに重要で、そこで相容れないことはかなりダメージが大きい。そういう好きに内包される違和感を、みんなはどうやって好きと両立させているのだろう。