みぎのほっぺに冬の夜

Träume sind Schäume.

雑感。

一生来るなと思っていた日がなんだかんだ来てしまったので、とりあえず今感じていることを残しておこうかなと思います。

 

悪夢のような年だった2019年(まさか2020年は別の意味で悪夢のような年になるとは思っていなかった)。その中でも嵐の発表は、絶望的に悲しくて寂しくて最初の2週間はふとした瞬間に涙が湧いて出てきて、泣きすぎてカフェのナプキンを使い切ったり後輩の前で嵐担2人でハラハラと音もなく泣いて困惑させたりした。申し訳ない。

そこから半年くらい、嵐について何もリアルタイムで追えなかった。レギュラーや歌番組の録画はレコーダーが勝手にやってくれていた。多分夏を超えたあたりからようやく番組を見れるようになっていったけど、冬の札幌でのコンサートを4日後に控えたところで自担が結婚発表したりした。二宮和也のこときっと一生嫌いになれないんだろうなと思っていたけど、嫌いになるならないとかではなく自分で抗いようもなくスーッと感情が冷えていくのを感じた。

なので4日後にコンサートがあってくれて本当によかった。あの空間にあのタイミングで行けていなかったら私は二宮担として今日この日を迎えられていないかもしれない。とりあえず、おめでとうって言えるようになるのが5年くらい先になってもいいかなと適当に思えるようになっただけでもよかった。

SNSは追ったり追わなかったりした。TikTokに疎いのであんな可愛いことをしているなんて最近まで知らなくて、とりあえずインスタとツイッターだけフォローしていた。秒速で増えていくいいねとRTの数を見てビビったりした。サブスクに参入してくれたのは本当に嬉しかった。J-Popのプレイリストに入っているのを見るのも嬉しかった。なんか、嵐って本当に「嵐」なんだと思って。

2020年が明けた。行きたいと思っていた北京も新国立競技場もなくなった。払い戻しだけで10万近くになった。自担の映画公開日も延びた。世界がこんな状態で、オリンピックも延期になって、もしかしたら、もしかすると、嵐の活動休止日も延びるのかもしれない、なんていう漠然とした現実味のない期待を抱いたりして、夏の音楽番組で見事に打ち砕かれた(確か音楽の日)。そこで嵐は明確に「あと半年」と言っていたと思う。それがブレなかったことが悲しくて、嬉しかった。

「最後」がもう数時間後に迫っている。This is 嵐は、最後に全ての人に平等に見てもらえるように配信ライブとして前々から企画していた、というようなことをじゅんが言っていた。図らずも他のコンサートも配信になってしまった今年、最後まで思うのは5人を観客の前でステージの上に立たせてあげたかったということ。新国立競技場を満員にできてしまえるこの人たちが、むしろ高確率でいけないことを想定してしまえるこの人たちが、なぜ万雷の拍手と歓声によって区切りをつけることを許されなかったのか、。自分が行けなくても、見れなくても、その光景とともに21年間に大切に封ができる状況であればよかった、と何度でも思ってしまう。こればっかりは仕方がないのだけど。

2021年に何を思うのか全く想像がつかない。何日か何週間か現実味なく過ごして、普通にメンバーの番組を見て、5人の番組の録画の残りも見切って、ようやくある日嵐がいないことに気づくのかなと思う。案外元気かもしれないし、案外悲嘆に暮れて毎日泣いているかもしれない。わからない。毎日「最後」が巡ってくることが悲しいけれど、その中で5人は一筋も「悲しい」が見え隠れすることを許さなくて、それがすごく寂しい。

私がメディアに触れた期間はそのまま嵐がトップでひた走っていた期間なので、嵐がいないテレビも雑誌もラジオも知らない。どんな日本なんだろう、嵐がいないのって。嵐が今いる場所を10年守ってきてくれたから、その場所に誰かが座っているのが想像つかないし、想像したくない。欲深いので嵐が戻ってくる前提で話してしまうけど、嵐が戻ってきたらストンと元いた場所に戻ってきて欲しい。世間に忘れ去られていたとしても、それくらい時間が空いてしまっても、それでも戻ってきて欲しい。5年後か10年後、もしくは20年後、はたまた1年後、ひょっこり嵐らしく戻ってきて欲しいな。休止するグループのファンに許された権利は「待つ」ことなので。嵐を愛した5人と共に嵐が在ることを、ずっとずっと祈っています。

 

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