みぎのほっぺに冬の夜

Träume sind Schäume.

ジャニオタ就活カツカツ日記

これは、就活をひたすら舐めていた21卒ジャニオタが案の定コテンパンにやられた日々の記録です。そろそろ22卒の就活も始まっている頃だと思うので、こんなアホなやつもいるのかと箸休め程度にお読みください。

 

 

就活を始める前、私がざっくり掲げていた仕事に求めるものは以下だ。

①安定した収入

②休み(有給)が取りやすい(ホワイト)

③土日は完全に休み(ホワイト)

④エンタメ関連

⑤都内勤務

もちろん全てオタ活を前提に考えていた。①はジャニオタを好きなようにする上で根本的なものだし、②③は現場に行きやすいための条件、④はバラエティがかなり好きなのと邪な気持ちを含み、⑤はジュニアの現場はほぼ都内に限定しているから。私がぬるく掲げたこの条件はもちろんどんどん剥がれていくことになる。

 


1. 2019年夏

サマーインターンの季節。この時期、私は第一志望の企業のインターンに落ち、そこから完全にやる気をなくして他のインターンに全く申し込まなかった。たぶんそのインターンが本選考に繋がるかどうかに関わらず、興味があるかどうかに関わらず、面接の経験のために行った方がよかったんだろう。そんなことはつゆ知らず私はサマパラに足繁く通っていた。

 


2. 2019年秋

(私的)第一次ESの季節。上記の④の業界のESがここあたりで集中し、数は多くはないが志望度は一番高かったためかなり一本一本に苦労して出した。第一志望の書類選考は通ったものの、インターンを全く経験していなかったため初めての面接が第一志望というお粗末な事態に。今では考えられないようなアホな返答をし、普通に落ちた。ここで一旦私の就活モチベは完全に死ぬ。面接の日程はある程度考えてから臨もう(死んだ目)。この時期はハムレットやえび座、虎者に忙しかった。

 


3. 2019年冬

周りからインターンやら内々定やらの単語がじわじわと聞こえてきて、そろそろやばいかもしれないという気になってきた。(なお第一志望業界は既に死滅。)余談だが、私の周りは院進勢が多かったため就活の動向に疎かったというショボい言い訳がある。ここらで冬季インターンに申し込むが、この時期ですら面倒臭さが先行した私はESや面接が必要ない申し込んだら誰でも参加できるワンデーインターンにばかり参加して茶を濁していた。そういうインターンも会社の雰囲気を探りたいなら有用だが、面接の練習台になってもらった方が後々ありがたい。ここまでが私の対面での就活の最後の記憶である。東京ドームには毎日通っていた。

 


4. 2020年2-4月

(私的)第二次ESの季節。特に3月末にかけて鬼のように提出が重なった。私はここらへんからかなり忙しくなったが、どうやら後から周りの話を聞くとそれでも遅いっぽい。結局就活の普通のスケジュールがよくわからないまま大学を卒業することになりそうだ。また、2月の終わりから大規模説明会がどんどん中止になり、そこで色んな会社の話をまとめて聞く作戦が全て潰れた。その頃はオンラインへの切り替えもすぐには行われなかったので自分で四季報を見てなんとなく気になる業界に当てずっぽうでESを出すことになった。この頃出したESは20社ほど(と思い込んでいた)。4月、緊急事態宣言でテストセンターが閉まったことで、3月にお試しで受けたテスト結果を全ての企業に適用することになってしまった。これはかなり痛かった。4月は結果待ちで割と気楽にしており、有栖川帝統にハマって楽しい時間を過ごしていた。

 


5. 2020年5月

地獄の始まり!4月下旬から段々とESの結果が届き始め、次に進んだり進まなかったりして、面接が始まった。5月中旬、絶対行けるやろと思っていた企業に一次面接で落ち、その翌日に一番期待していた企業の書類落ちがわかった段階で大変なことに気づいた。私はESを20社出したと思い込んでいたが、それは出そうと思っていた企業の数で、実際にはESを書く段階でやめたり締め切りに遅れたりして出さなかったものが相当数あり、出していたのは精々11社ほどだった。しかもその段階で生き残っていた企業は、4社ほどだった…………。ということで私は焦りに焦り、絶望した。とにかくやばい、数を増やさなきゃ、ということで、夏季募集をしている企業に10社ほど出し、なんとか数で安心しようとした。就活エージェントにも登録して、大学経由で知った胡散臭い就活アドバイザーにも連絡して、とにかく全ての藁に縋った。ここからやっと就活を頑張り始めたと言える。現場は全て中止。

 


6. 2020年6月上旬

6月の第一週、2社の最終面接があり、ここで終われるか…?!という気運が高まった。のに、どっちも落ちた。5月以降リモートの面接しかしていなかったのに最終面接はどちらも対面で、自分がわかりやすく緊張したのがわかる。面接の練習ほど優先するべきものはない。これが就活史上最もきつい時期だった。もう少しで終わる、が一瞬で無に帰し、かなり参った。もう今年は諦めて来年もう一度頑張ろうかと思ったし、なんなら就活のいらない手に職系の学部に入り直そうかと真剣に考えて色んな大学のホームページを見まくったりした。ファミマに入るたびに流れる帝京平成大学ゥ!に帝京平成大学でどこに就職できんだよ💢💢と毎回心の中でキレるくらいには精神的に追い詰められていた。(帝京平成大学関係者の皆様、誠に申し訳ありません。)浪人時以来4年ぶりに再放送されていた逃げ恥は、就活敗者としてみくりに共感して泣きながら見た。2021年度の就活への不安と親への建前だけで就活を続けたと言っても過言ではない。

 


7. 2020年6月下旬

夏季募集で出した2社の選考がなんとか進み、6月24日に初めて、初めて!内定をもらった。内定をもらった帰り道駅の階段から派手に転げ落ちて膝が血まみれになったけど、そんなこと全く気にならないくらい嬉しかった。この頃には、最初に出した条件の⑤は飛行機で飛べばいいじゃんになっていたし、②と③は働くまではわからん!になっていた。もう1社からも内定をもらうと、今度はそれぞれ気になる部分に目が行くようになる。リクルーターがちょっとキモいかも、体力的に厳しそう、社風が合うか、収入…など。そんな中、5月に面接をして以来音沙汰がなく完全に落ちたと思い込んでいた企業から連絡が来て、引き続き面接することになった。正直この企業はかなり志望度が高かったので、ここに受かったら最高なのに!と思いつつ警戒しながら面接した。そう思って落ちた企業の数がバカにならないので。

 


8. 2020年7月

7月まで伸びに伸びた私の就活は、最後の1社に3回目の面接で内定を言い渡されるという7月の自分にとって最高のハッピーエンドで遂に締め括られた。もう少し面接の回数があるかと思っていたので拍子抜けしたがこれで心置きなく就活が終われる!という思いで死ぬほど嬉しかった。未だになぜこんなに時間が空いてから連絡が来たのか全くわからないが多分誰か内定辞退でもしてくれたんだろう。ありがとう見知らぬ人。決め手のない2社(失礼)で迷っていた私にその内定は突如現れた救世主のようだったので、嬉々として2社に内定辞退の電話をかけた。(内定辞退を申し出るのが夢だった。)結局自分は元々の印象と面接で出会った人々の空気感で決めたので、面接でしかわからないことは多い。何回も言うが面接の経験が物を言う。あと、やっぱり最後まで①は私にとって重要だった。金はある分だけ使いたいオタクなので。

 


以上、特に参考にならない私の就活の記録でした。22卒の皆様、頑張ってください。応援しています。

余談だが、リモート面接は私にとっていいことしかなかった。変な髪型や表情をしていないか、服がよれていないかいつでも気がつけるし、下はパジャマでもバレないし、移動時間もないし。私の部屋は顔のいい人間のポスターで壁が埋め尽くされているので、綺麗な弟の部屋を毎回拝借して面接を乗り切りました。リモート面接はいいぞ!就活中リクルートスーツのまま現場に向かうという夢は果たせず終いで終わったが。