みぎのほっぺに冬の夜

Träume sind Schäume.

ありがとうロミオとロザライン

皇輝の初主演舞台である「ロミオとロザライン」がとてもよかったので感想をば。とてもネタバレ。

 

 

正直、序盤のひたすらな下ネタはダサすぎて、初めて見た時は大丈夫かこれ?ってかなり不安な気持ちになったし、観客にはあまりウケてないことに救われたりもしたんだけど。でもそれを経てもなお観終わった後に「最高だった、あと1億回入りたい!!!」と思わせられる舞台だった。

 


ティボルトを殺してからが本番だと私は思っているんだけど、物語がクライマックスに向かうにつれ(つまりはそういうネタが挟まる余地がなくなるにつれ)どんどんどんどん面白くなっていって、 板の上のボルテージがグワッと上がっていく感覚が本当に楽しかった。そして、 その中心にいて、 その渦を一身に受け止め、更に勢いを強くする皇輝が本当にすごかった。
舞台の上の皇輝はこれまで何度も見てきた皇輝と同じく、相変わらずどこまでも所作が美しくて舞台に映えていた。殺陣のシーン(と冒頭のダンス?シーン)の皇輝の身のこなしが明らかにダンスをしている人のそれで、踊る時の体の癖が出ているのがとてもよかった。

 


北山くんとしての皇輝は、普段絶対見ることのない、 無茶なことを言って相手を困らせ追い詰める時の表情が一番印象に残っている。 ロミオとしての皇輝はさらに楽しくて、ジュリエットと抱き合っていたり、キスしたり、 本当に表情豊かで最高だった!死に顔まで見れるなんて賛沢すぎる。
個人的にとても好きだったのはジュリエットで、 かわいらしく純真で、 それでいて苛烈なジュリエット像が明確に描かれていて超よかった。こんなジュリエット、ロミオじゃなくたって夢中になってしまう!

 
久々にジャニーズのものでも若手俳優中心のものでもない、たった一人を9割以上の観客が見に来ている舞台を見て、明らかに皇輝ただ一人に降りかかる数え切れないほどの熱視線にその一部であるはずのわたしですら潰れそうになったのだけど、皇輝はあまりにも軽やかに、だけどとても丁寧にそれを纏い受け止めていて、ああジャニーズってこういうことだなあ、と思った。

 

 

 

この物語は、主役になれなかった可哀想な脇役の話じゃなくて、自意識の話だと思ってる。言葉を選ばずに言えば、滑稽な脇役の自意識の話。体裁を気にして愛を受け入れられなかった自分、死に顔に躊躇いなくキスをできなかった自分、自分の首をどうしても斬れなかった自分。何よりも、「自分以外の」誰かが主役だからこそ主役になりたかった自分。どこまでも物語の主役になれなかったロザラインの「自意識」の話。主役になりたいという自意識が脇役を作るのだなあと思った。
天井から打ち捨てられたたくさんの人形たちと、ジュリエットが大切に抱えていた人形。きっとジュリエットはあの人形を誰か別の人が欲しがらなくても興味を失うことはないのだろうとわかる。

 

 

ロザラインのセリフで違和感があったものが何個かあって、それがロミオとジュリエットの夜明けのシーン前の「あれから24時間しか経っていないのにロミオもわたしもこんなにも(あまりにも?)遠くまで来てしまった」と、ロミオの亡骸にキスしようとする前の「わたしのロミオ」。ロザラインはあくまで、舞台の題名の通り「ロミオとロザライン」という文脈に落とし込もうとするけれど、それが逆にこの物語がどこまでも「ロミオとジュリエット」でしかないことを浮き彫りにさせる。ロミオとジュリエット、そしてロザラインただ一人の話。

 

他の役者はみんな稽古中の私服から舞台上の衣装(=「ロミオとジュリエット」の衣装)へと変わるのに、劇中劇の中であってもたった一人ロザラインの衣装だけが最後まで変わることがない。その光景が、ロザラインが最後まで舞台に上がれなかったこと、「ロミオとジュリエット」を構成する何者でもなかったことを示している。

 

 

 

 

 

 


カテコの皇輝のマント捌き、これにチケット代全額払う!っていうくらい好きだった。カテコで皇輝が前に出てくる瞬間、誇らしくて誇らしくて、ああこの人が最高に好きです!と立ち上がって叫びそうになる。割れんばかりの拍手をこの人に注ぎたい、手ちぎれてもこの人に拍手を送りたいと幕が降りるまで思う。最高の舞台に出会ってくれて、出会わせてくれてありがとう皇輝。


東京千穐楽、マントを美しく靡かせて振り返り、深く深く、永遠にも感じられるくらい長い間最後の一礼をしていた皇輝の姿を一生忘れたくない。最後の最後まで最高のロミオでした。