みぎのほっぺに冬の夜

Träume sind Schäume.

2022年現場総括

2022年ももう暮れですね。とか書いていたらいつの間にか年が明けていました。2022年は西に東に北に南に、オタク人生の中で一番各地に飛ぶことができた一年でした。あまりにもたくさん現場に行ったので、2022年前半のものはすでに3年前くらいに感じる。3月末から始まったトラジャの不在による筆舌に尽くし難い喪失感は、しかし9月末に飛び込んできた祝砲によって絵に描いたような「終わり良ければすべて良し」に帰結し、地鳴りのような音を立てて渡米中に空いた心の隙間が埋まっていきました。新たな沼を見つけたり、ジャニーズ以外の舞台にも足を運んだり、悲しいこともたくさんあったけれど何だかんだ2022年も楽しみ尽くした一年だったなと総括できることが何よりよかったなと思います。それでは総括。

 

1月

  • ジャニーズ カウントダウン 2021-2022

(本当は2022年の現場なのだけど2022年現場総括に追加し忘れていたのでここで…あとトラジャがいる現場はこれしかなかったので…年跨いでいるし…)
ジャニオタ生初のカウコン!大晦日の日本でジャニオタ濃度が一番高い場所東京ドームに絶対一度は行ってみたいと思っていたので、遂に念願叶った。全ての曲でペンライトが一斉に揃っている景色が壮観だった…もはや客席が縁起物だったよ。
放送前のトラジャ、登場の瞬間から最強だった。夢ハリのダダッダッダッダッダダーンが流れながら、メンステで白いレーザーとスモークと共に浮かび上がってきた7人のシルエット、ただただ鳥肌。メンステからムビステで前進してくるトラジャは「覇気」そのものだった。そしてバクステで踊るThe Show、ドカンドカンと打ち上げられる赤と緑の特攻の景気が良すぎる。
Travis Japan、2021年最後の最後まで世界一揃っていたし、世界一声が出ていたし、世界一エンターテイナーだった。トラジャのダンスって吸引力がすごくて空間を圧縮させる力がある気がしている、だからTDCで見るトラジャも、横アリで見るトラジャも、東京ドームで見るトラジャも、トラジャという存在の限りない大きさって変わらない。どこに行ってもトラジャはそこに「いる」んだ、と思った。トラジャを見ると心も体も震える、武者震いか恐怖か、心臓が飛び出しそうになって慌てて胸を押さえる、深呼吸しても動悸がどんどん速くなっていって、ステージから否応もなく目が離せなくなる、そういう実感を、変わらず一瞬たりとも疑わなかった2021年だった。宮近くんのこと、2021年最後の日も2022年最初の日も死んじゃうくらい大好きだった。
そして放送、ジャニフェスのステージだからというのもあるのかステージが四ヶ所あるから無限にあちこちからジャニーズが出てきて、高速回転寿司みたいだった。とにかくセクシーとじゃんぷを奈落から上がってきた瞬間に見つけるのに注力しすぎて死ぬほど忙しかった。ちいちゃんの特に意味のない全力疾走とか、一生映像化されることのないありちねの距離の近さとか、とにかく網膜に収められてよかった景色が多すぎた。そしてやっぱり顔が良い人たちがずらーーーっと並んだ中で一際ちいこくかわいらしい人がいるという稀有さを身をもって感じられて良かった。知念侑李。
放送後のグループそれぞれの挨拶の時、後列のジュニアの顔を見せるために(本当は階段があるからしゃがむ必要なんかないのだけど)、前列のデビュー組が一斉にしゃがんで、しかも全員が片膝を立ててスタンバイしていたのがあまりに美しく、嗚呼ジャニーズエンターテイメントよ、永遠なれ、と祈った。
帰り道のことを何も考えていなくて、タクシーが見つからなくて大手町で一人凍死を覚悟したのもいい思い出。次また機会があれば、即東京ドームホテルを予約する計画性と財力を身につけたい。

youtu.be

 

  • Hey!Say!JUMP Fab! -Arena speaks.-

2021年から始まったツアーの続き。改めて、ちいちゃんは歌うように踊り、踊るように花道を歩く人だなあと思った。ちいちゃんにとって生きることとは踊ることなんだととても素直に腑に落ちた。
何よりも、今回のセトリで一番好きなASAP!→クランメリアの流れが立ち位置0ズレで見られたことが本当に嬉しかった〜…!階段の真ん中であのスーツを纏い、金色に淡く照らされ掌を伸ばす知念侑李、ただただ神様だった。どこまでも神様でいてほしいという願いすら叶える神様だった。穏やかに自信を湛えながら微笑んでいた表情を忘れたくない。
楽しくて仕方ないって顔で歓喜を堪え静かに微笑みながら爆踊りするちいちゃん、ああステージに立つために生まれてきた人だといつだって震える。この人がいつだってステージに帰れるような世の中でありますように。ちいちゃんはどんなものを見つけてもきっとそれを極められたと思うけれど、でもやっぱりステージに出会ってくれてよかったなあと思います。
最後のしんがろ、メンステの両端で踊っていたやまちねがゆっくりステージの真ん中で落ち合うところがとてもアツくて大好き!2人ともお互いから一度も目を逸らさず、見つめあったままうれしそうに近寄るのが本当に良い。この2人はこうやってずっと正面からお互いと向き合ってきたんだろうなと胸がじんと熱くなる。
アンコでスタトロに乗ってファンサをしていくちいちゃん、今までずっと神様だと思っていたけど、天使だったんだ…!と思った。それくらい神々しかった、銀髪と共に体全体が発光していた。ふわりと微笑んで一つ一つ丁寧にファンサを贈っていて、客席全体を穏やかに見つめていて、ちいちゃんはこんなに優しい目で客席を愛していたのだなと思った。
初めてのしっかりした泊まりの遠征、ずっと楽しかったなあ。還暦超えてもオタクとずーっと楽しく自担のこと見てたい。

 

横原くん初の外部舞台!デカダン以来2年ぶりのEXでの舞台で、また西田さんの3時間舞台を見られるのが感慨深かった。やっぱりEXの照明が死ぬほど好きでクラクラする。眩い白と青のライトが縦横無尽に板の上を照らす様を含めてわたしはデカダンを愛していたのだと気づいたし、この照明に自担が再度照らされることの幸福を感じた。大好きなEXのライトに照らされた横原くん、この世のものとは思えない美しさだった、油断したら感嘆の声が漏れそうだった。
横原秀吉、まずやはり美しく眩ゆいお顔に加え、よく通る声、ころころ変わる表情、コミカルな動き、最適な間、軽やかな身のこなしから繰り出される殺陣、どれを取ってもとても良かった。衣装は全くもって彼のパーソナルカラーには合わなかったのだけど、白と青のライトが似合いすぎていて、光り輝いていた。初めての外部舞台に感極まる暇もないくらい横原くんの演技は素晴らしかった…ただただ「猿」としてそこにいた。
全体として言えば、途中まで抽象的なモチーフがうまく提示されないまま進んでいたのでこれは丸ごとなくした方が構図としてわかりやすかったのでは…と思ったけど、最終的にちゃんと収束していてよかった。一方で、かなり客席側の歴史知識に頼っている部分が大きくて、歴史を好きな人間としてはとても楽しかったけれど前知識がなかったら結構わかりづらいだろう部分も多くて、作品の面白さに直結している話の核となる部分に、全員の共有事項ではないものが多く含まれているのは単純にもったいないなと思った。軽いテンポ感と往年のテーマが合わさって上手く絡み合っていたのが面白かったからこそ、色んな関係性を描き過ぎて若干とっ散らかった感もあったなと思う。でも「新解釈」という感じでとってもおもしろかった!
総じて、信長と秀吉が雨に打たれるシーンが一番好きでした、あのライトに照らされた横原くん、どんな宝石よりも美しかった…。「天」は「国」で「雨」は「槍」、自分と共に雨に打たれようとする横原秀吉に越岡信長は「立っていられるか?」と聞いたのだな、と思う。初見では越岡信長は横原秀吉ただ一人へのメッセージとしてこのゲームを始めたのかと思ったけれど、2回目を終えて信長は光秀にも応えてほしい気持ちはあったのに、光秀はそれに応えなかったのだなと思った。「雨に打たれる」=「命を賭ける」で「宝」=「天を取る覚悟」で最終解だと思うのだけど、光秀は雨に打たれることも宝を取りに行くこともできたのに、その権利があったのに、諦めたのは光秀自身なのだと思った。越岡信長はずっと光秀に対して「あいつがいないとつまらん」「お前はやらんのか?」と言っているのに、光秀は一人で考えて一人で決着をつけて、そして横原秀吉に「いつも選ばれていたのはお前だ」「(自分は)行きたくても行けない、最初から行けないんだよ」と言ってしまう。信長はそんなこと言っていないのに。光秀も秀吉もお互いを羨んでいたのは同じだけれど、やっぱり二人の決定的な違いは雨に打たれたか否かで、何もわからないまま初めて雨に打たれて「立てません」と正直に言える秀吉と、立てないことがもう頭で考えてわかっているから雨に打たれに行かなかった(行けなかった)光秀、の対比だなと思った。雨に打たれて立っていられなくなった横原秀吉に対して、「だからお前は猿なんだ」と言う越岡信長、これはつまりは「(俺が可愛がってきた)猿」のままでいるな、一人の羽柴秀吉として羽ばたけ、俺を超えてみせろということなのではないかなと思う。そして、これに繋がるのが横原秀吉の八重へのプロポーズのセリフなのだと思う、「俺は羽柴秀吉になる」は一人で羽ばたく宣言、続けて「この国を大きくする気持ちは信長様にだって負けない」で信長からの自立の象徴。「今よりもっと幸せにする!」と言って結婚を申し込むのが横原秀吉っぽくてとても好き。個人的には舞台上で結婚を申し込む横原くんを見られて感無量でした。最後、信長の元に向かうか悩み苦しむ横原秀吉に対して八重が「盛大に羽ばたいてください」と背中を押すのはプロポーズのセリフと対なのではないかな、と思った。
最後「ざまぁみろ!」と叫ぶ横原くんの表情がとっても良くて最高だったーーー…!あなたそんな顔もするのね!
考え続ける舞台はやっぱりすごく楽しい!けどだからこそこの舞台が劇中で与えられる情報による考察じゃなくて前知識にかなり依存しているのがもったいないなと思った。総じてこの舞台の感想は、「もったいない」と「こんないい役を演じる横原くんを見せてくれてありがとう」です。初の外部舞台、正直ここまでキーになるキャラをやらせてもらえるとは思っていなかったので、驚きの方が強い。ステージの上の横原くんがやっぱり一等好き、と強く感じた。仕方ないとはいえ大阪公演がなくなってしまったのがとてつもなく残念だった…。
以下は雑な考察の羅列。

twitter.com

 

3月

  • 裏切りの街

本当にひさしぶりの新国立劇場、たっぷり3時間の不倫舞台。
前評判通り、本当に何の躊躇いもなく誰にも共感できない舞台だった(笑)他のメンバー誰が裕一をやっても引っ叩いちゃうけど、ゆうやだけは結局かわいすぎて引っ叩けないから秀逸なキャスティングだなあと思いました。
本当に誰にも共感できない、というかわたしは逃げることが怖くて、レールから外れて逃げることから逃げてきた人生なので、不思議な人たちだなあと思いながら見ていた。本当は仕事だってしたくないし、責任なんか取りたくないし、人の金で生きていたいし、ずっとだらだらしていたいし、生きているかもわからない未来のための行動なんかしたくない。でも結局みんな逃げた先が怖くて逃げることができないから、ここまで正面切って逃げることってなかなかできないことでむしろ才能なのでは?と思った。最後まで特に改心することもなく、言葉の厚みも増さず、結局ずっと逃げたままの二人はどこへ行くのでしょうか。この先の二人がどんな末路を辿るのかに何の興味も湧かないことも含めて不思議な舞台だった。何の興味も湧かないのに感想ブログを書いた不思議な舞台。

by-n.hatenablog.com

 

4月

  • ミュージカル「ジョセフ・アンド・アメージング・テクニカラー・ドリームコート」(2022)

やぶくん、初めまして、だった。
初めて薮宏太という人と出会って、初めて正面から彼を見た、と思った。薮宏太ってこういう人だったのか。
やぶくんがステージに降り立った瞬間の存在の破壊力(降り立つ、としか表現できない)の衝撃が忘れられない。空間を一瞬で制圧するほどの「幸福」のオーラに圧倒されると、人は涙が出るのだと学んだ。自分が何故泣いているのかわからない、ただほっぺたに伝う冷たいものが涙だということだけが解る、不思議な体験だった。やぶくんの存在そのものが福音で、加護だった。自分が福音だと知っている福音だった。誰もが好きにならざるを得ない、誰もが縋らざるを得ない。間違いなく寵児だった。わたしはヒロムが彼に強烈に惹かれた理由を初めて本質的に理解した気がした。
やぶくん、歌が上手いと思わないことなんてなかったけれど、今こうして歌によってキャリアを切り拓き、認められるようになったやぶくんを見て、ヒロムの愛した歌声が彼を今日まで導いたのだと思って、ヒロムの信じた愛、を信じたやぶくんに触れて、なんだかとても泣けた。
やぶくんのために作られた衣装がステージの上で旗めく。やぶくんの一挙手一投足が正解で、我々の命運は全て彼の掌の中にあった。それを万人に明け渡すのが、彼が福音である紛うことなき証明だと思った。「ドリーム」コートは間違いなく彼にしか着られなかった。
頭上から拍手の音が降ってくるように感じる日生劇場が大好き。何層にも折り重なって雨のように降り落ちる拍手がやぶくんを包みながら、やぶくんは天へと捌けていった。
「赦された」という気分になった。愛さざるを得ない。好きにならざるを得ない。好きになってほしい、教えてほしい、導いてほしい、暴力的な存在だと思った。

 

  • King & Prince FIRST DOME TOUR 2022 〜Mr.〜

いつの間にか海ちゃんに落ちていた十年来の友人と共に初めてのキンプリ。登場からドデカイ観覧車みたいな時計に乗って回されていたり、なんとかアームの荷台の下に各自ミラーボールが付いていたり、キンプリは愉快。
ずっとたつるを目で追っていたけれど、広い広い会場で、スクリーンには絶対に映らない大好きなアイドルを血眼で判別して、必死こいて双眼鏡で追うことでしか出ないアドレナリンが久方ぶりに出た。本当、好きなアイドルが「ジャニーズJr.」を全うしている瞬間を見るのが心底好き。スポットライトの当たらないステージの端の真っ暗闇で、99%の視線が違う方向を向いている、それでも己のプライドにかけて微動だにしない姿を見ることでしか得られない感情がある。職業ジャニーズJr.、愛してる。
たつるのことは常々プリンセスだと思っているけれど、やっぱりプリンセスだと思った。たつる、最後一人だけバクステからメンステへの帰り道を間違えていたのに途中まで気づかずごきげんに歩いていたのがとてもかわいかった。
楽しくてちょっと切ない、寂しいコンサートだった、と4月に書いたメモにはある。

 

  • こどもの一生

初めての東京芸術劇場、初めての聡ちゃんの舞台。とてもとてもとても良かった。ホラーが苦手なので不安だったけれど、それを上回ってあまりあるくらい良かった。難解で休憩もないのに一度も切れることなく引き込まれた。聡ちゃんって本当に、すごい。信頼。
ストーリー自体もとてもおもしろかった…!その中で聡ちゃんが自由自在に柿沼を操って、2時間ノンストップで舞台を駆ける姿が圧巻。聡ちゃんを持ってしてこの舞台は完成したのだと断言できる。声帯すらも操る聡ちゃん、完膚なきまでに「主演俳優」だった。
「お前はどうして痛くない、いないからだ」と言い放つ柿沼の力強さ。認識するからいるけれど、認識しなければいない。作用できるからいるけれど、作用できないからいない。わたしは三友は「いない」と思うのだけど、他にどんな考察があったのだろう。ユングパスカル、話半分で聞いていた哲学者たちの主張が走馬灯のように脳裏を巡る。ああ知らないことがこんなにもあるって、なんて世界は楽しいのだろう。
ものすごく体力が削られたけれど、叶うならばもう一度見に行きたい舞台だった。
観劇中、何度も聡ちゃんにひかるくんを重ねて、ひかるくんならばどう演じただろうと考えた。きっとまた全く別の舞台になっただろうと思うし、我儘を言うならばそちらもいつか見たいと願う。

 

3年ぶりの歌舞伎。本当に、本当に、本当〜〜〜〜によかった。何度でも言いたい、何度言っても足りない。幕が上がって、9人の影が現れた瞬間がもう全てだった。圧倒的だった。簡潔に言うならば、空気が凛とした。静かだった。9個にして一つだった。なんて言えばいいかわからない、とにかく、後ろから照らされた9個の影が現れた瞬間の静けさが頭から離れない。あの瞬間にチケ代全額払ってもいい。そう思うくらい、痺れる登場だった。
ひらりと桜、本当に良いという記憶がずっとあったけど、やっぱり本当に良かった。泣く予定なんてなかったのに涙が止まらなかった。本当に立派だった。立派、としか表現できない。わたしはSnow Manを見続ける権利を自ら手放してしまったけれど、当たり前だけれど、彼らはわたしが見逃してからの3年間もずっと、本当にずっと、ステージに対して真摯に、誠実にあり続けたのだと思った。
WITH LOVE、一人一人現れ、最後にパッとスポットライトを浴びるラウール、その清々しく晴れ晴れとした、五月晴れのような華やかな笑顔があまりにも大切で、あまりにも尊くて、ああこの子の進む道が、どうか幸せなものでありますように、素敵な人たちとやさしい感情に包まれて、どうか晴れやかなものでありますようにと願った。3年前の彼の輝かんばかりの背中にもそう祈ったことを思い出して、Snow Manへの感情とは祈りなのだと思った。LOVEが命に変わる演出、ジャニーズすぎて泣いた。
自分の過去の担降りブログを改めて読み返してみて、歌舞伎の感想に「まだわかりやすく残る荒削りささえも彼らの芸を輝かせるものでしかなかった。」と書いてあって驚いた、今回見たものに荒削りさなどひとかけらもなかったから。完璧に完成された、文句のつけどころのない百点満点のエンターテイメントだった。
今のSnow Manの勢いに外野からたくさんの嫉妬や羨望や謂れのない非難が向けられるかもしれないけれど、そういった声を上げる人たちは、永久に、こんなにも素敵なものを見れないのだ、ざまあみろ!と思った。わたしはもう彼らを見続ける立場を降りたけれど、でもずっとそういう味方でいさせてほしい。
3年前この舞台を見た時、あまりにも良くて、ああこの人たちは、この舞台のために9人になったのだと思ったけれど、なかなか納得できない自分がそう素直に思うくらい本当に良い舞台だったけれど、やっぱりそう思って差し支えないくらい、本当に良い舞台だった。今追っていないからこそ、自分の感情を乗せずに、純粋に舞台として見たものでここまで感動したのって初めてかもしれない。3年前の感想に「最初も最後も、涙でぼやけて何も見えなかった。」とある。本当にその通りだった。
横原くんもずっと良かった。太鼓を任されていてとてもうれしかった。髪の毛が刈り立てで綺麗に整えられていて偉かった。花道を駆け上がる横原くんも良かった。顔が良すぎて町に溶け込まない横原くんも、髷をリボンで結う横原くんも大好き。最後の衣装は結婚だった。
でも感想を全てSnow Manへの賛辞で終わらせてしまってもいいくらい、Snow Manが本当に良かった。

 

4〜5月

  • Endless SHOCK -Eternal-

勝利の晴れ舞台。何度も何度も通った帝国劇場、日に日に成長していった勝利。壁の照明がくるりと舞台の方を向く瞬間、ああ今日も幕が開くと実感する。帝国劇場が何よりも好きだ。開演、何度見ても「𝐒𝐡𝐨𝐫𝐢 𝐒𝐚𝐭𝐨」の字で涙ぐむ。
コウイチとショウリが重なるように踊るのが印象深い。本編の配信を見て今年のSHOCKは「0番」と「0番」の衝突だと思って、実際その通りだった。まだ0番になる自覚のない未熟なショウリがコウイチを通して0番が何たるかを知っていくSHOCK。二人が「この舞台の0番」と「生来の0番」であることが逆説的に対比を大きくさせる。勝利にとって、このタイミングで形式上だけでも「0番でない」位置を演じられたことは、ものすごく大きくて、意義のあることなのではないかと思う。
一番記憶に残っているのはなんと言ってもHigher!これにチケ代全額払っても良い。そう言える演目になったことが何よりも嬉しい。途中から演出が変更されて、それまで最後まで曲に参加せず端でうなだれていたショウリが、途中から参加して、コウイチと2人で並んで歌う、笑顔を見せながら!最後はショウリがドセンで終わり、コウイチは一段上に一人、ショウリと重なるように立つ。ショウリが歓声に包まれながら仲間とステージを後にし、コウイチが一人ステージに残される。本当に素晴らしい、次のシーンに繋がる演出だった。このシーンの変更を光一くんは「勝利の努力と成長」と表現していた。ショウリではなく、勝利、と。本当に、「役が育つ」ってこういうことなんだ…!!ということを実感できた春だった。
立樹を見つけた春でもあった。立樹綺麗だよおじさんに俺はなった…。リツキの、鼻まで伸びた前髪を、一切気にせず淡々と踊り続ける凄まじい色気を忘れられない。涼しい顔して楽しみながらSHOCKという演目に難なくついてくるのが本当にすごい。全てのターン、全ての動きに意志がある踊りをする。あと色が白い。わたしは色が白い男が好きなのか…?真っ白い肌に透き通るような肌、赤い唇。白雪姫?リツキの絵画のような静けさと人間離れした透明さが何よりも好き。途中から絵画が人間になった!と思えたことまで含めていい春だった。
ああ勝利、本当に本当に本当に立派だった。一回りも二回りも大きくなった。カテコの勝利、いつ見てもそんなに?っていうくらい直角に肩に力が入っていて笑った。い~~~い舞台だった、生きた。

by-n.hatenablog.com

 

6月

  • M.バタフライ

どう受け止めるかとても難しい舞台だった。
普遍的な“男たる帝国主義“と“女たる植民地“の対立項であるなら、受け止めることはある意味定量的で簡単だったかもしれないのだけど、ガリマールがバタフライの裸を見てもなお幻想を見続けたことが事を複雑にする。そしてこの複雑さは、バタフライが女装した男性だったことに起因するのだと思う。ムシュー、あるいはマドモアゼル、“M.“バタフライ。
でもよく考えてみれば、ガリマールが舞台を通して終始ソンを“ソン・リリン“ではなく“バタフライ“と呼んでいたことがその証左だったのかもしれない。ガリマールにとってソンは欲望を忠実に叶えてくれる幻想たるぼくのわたしの蝶々夫人、"マイ"バタフライでしかなく、ソンを直視することはない。だからソンの男性性を見てもその幻想が壊れることはない。むしろ壊れなかったことでソンはガリマールが“ソン・リリン“を見ていなかったことに気づき、自分が作り上げ主導権を持っていたはずの幻想に敗れる。“自分の幻想に溺れるガリマール“という幻想に溺れたたソン・リリン。なのかな。
わたしは"女たる植民地"が敗北するのをどう受け止めればいいのか。というかその対立項が主題じゃないと思うのだけど、じゃあ何が主題かと問われると上手く言語化できないから、これを見てどういう感情を持てばいいのかわからなくなるのかもしれない。感情に正解などないのだけど。

 

6〜8月

  • セクシーゾーンライブツアー2022 ザ・アリーナ

本当に、筆舌に尽くし難い最高のコンサートだった。今までで一番好きだったPAGESを塗り替えてしまうくらい好きだった。完璧に大好きだった。構成が美しくてテンポも良くて、それでいて決して綺麗にまとまりすぎた感もなく、本当に素晴らしかった。お洒落で優しくて知的で少し寂しくて幸せな、紛う事なくセクシーゾーンのコンサートだった。
80年代と現代とセクシーゾーンとの融合と再構築があまりに文脈として滑らかで秀逸で、80年代の様々な要素の連続性も美しくて、ああなんて頭のいい人たちなのだろうと思った。頭がいいという褒め方は好きではないのであまり使いたくないのだけど、やっぱりセクシーゾーンは誠実な知性の持ち主なのだと思った。「最高のコンサート」の定義は幾重にもあると思うけれど、この質と方向性の最高さは、セクシーゾーンにしか出し得ないものだと断言できる。
わたしは真剣に女装して確固たる意志を持って可愛いに全振りするセクシーゾーンが大好きなので、そしてもうセクシーガールズたちは見れないかなとSTAGEを見返して思っていたばかりだったので、彼女たちの登場が心底うれしかった。特に勝子…俺の人生を狂わせる可愛さ…。Ringa Ringa Ringの最後、暗闇の中グラスの光に淡く照らされて美しく微笑むセクシーガールズが涙が出るほど美しい。あそこで笑いに行かず、可愛いにも行かず、「美しく優しい」に辿り着くセクシーゾーンが大好き。
映像で間違いなく一番好きなのはForever Gold前。「苦しい時こそ踊ればいい」で屋上で翻る勝利、「悲しい時は笑えばいい」でにぃと笑顔を作る風磨くんで涙が溢れる。わたしのアイドル、わたしのヒーロー。そこからのForever Gold→レツミュ→RUNの流れがあまりにも美しかった…!系統が近いわけではないこの3曲を上手くワンコーナーにまとめ上げた手腕に唸る。
Dream前、風磨くんが「もう少しだけ、待ってみませんか」と言ったことで、「遠回りでもいいから ここで僕と待つのはどうだい」という歌詞が明確な意味を持つ。こういうセクシーゾーンだけの文脈と実感すべてのためにコンサートはあると言い切れてしまう。
Dream。こんな形で見れるなんて、夢みたいで言葉が出ない。アルバムの中で一番好きだった曲、どうにかセトリ落ちしないでくれと願っていたのだけど、まさかこんな最高な形で見せてもらえるとは思っていなかった。この曲を最後に持ってくる構成、ああPAGESでCRYを最後に置いたグループだ、こういうグループをわたしは好きになったのだと実感する。わたしはPAGESでCRYを歌いながらステージ中央に消えていく、寂しくて寂しくて優しい演出が本当に大好きだったので、あの寂しさ、切なさ、願い、を選ぶところが変わらないなとうれしくなる。「寂しいと思わなくなることが寂しい」と的確に伝えてくれた風磨くんが作ったステージだなあと思った。何度も想像したDreamを歌うセクシーゾーンは間違いなく一番美しくて、一番優しかった。リフターの上で正面を向いて、二方向から照らされる風磨くんは何度見てもやっぱり、スポットライトをこんなにも優しく纏える人がいるのかと思う。一つも重たくないみたいに受け止めて、愛して、自由に背負う風磨くんの静けさが好きだ。双眼鏡越しに見ながら何度大好きと呟いても足りない。
なんというか、めちゃくちゃいい意味で「11年目」のコンサートだった。古き良き曲たちをアレンジしたり、今までの演出を更に洗練させたり、10年間全てを内包した正しく11年目のセクシーゾーンのコンサートだった。
3ヶ月間、年一回のコンサートのために各地の開催地に一年ぶりに遠征して、同じ地でまたセクシーゾーンを見るという、「デビュー組のオタク」の行動をしているのがすごく楽しくて、そういうことを全部最初に経験させてくれるのはいつもセクシーゾーンだなと思った。夢だった横アリ5日間も叶えられて、北にも東にも行けて、何の悔いもないツアーだった。脳内で完璧に再生できるセトリ、動線、立ち位置、絡み。ずーーーーっと楽しかった!そして何よりドーム発表に立ち会えたことがうれしい。Dreamのオレンジと赤に染まる客席携えて、5人で行こう、一緒に行こう!

 

8月

  • BE MORE CHILL

今年はなんかずっと薮くんを見ているしずっと新国立に行っている気がするな!
とにかく、マイケルが最高だった。一幕はどこに向かうんだ…?って感じで、スーパーコンピュータが日本製って設定はいつまで説得力を持つんかね、とかぼんやり考えていたけど、二幕の「バスルームマイケル」からどんどん引き込まれた。バスルームマイケルを歌い上げた後のマイケルの健やかで、でも一抹の寂寥感のあるにかっとした笑みが一番好きだった。加藤清史郎くん、天地人の頃から見てるから勝手に親戚の気分でいるけど、この子はこんなにも表現力があったんだ!!と感服した。もっとこの子が立つ舞台が見たい。
ジェレミーは本当にずっとキモくて、喋り方も表情も動きも全部キモくてすごかった。ちゃんとずっとキモい、ってすごい。ラスト、クリスティーンにフラれてトホホな結末ならより好みなエンディングだったかもしれない。かなり意図的に劇中にマイケルのゲイ文脈は織り交ぜられていたと思うのだけど、そこは回収されずに終わってしまい消化不良だった。ヘテロのスパイスとしての装置に使われるのを皮肉として描いているのか、それとも無意識にその構図にしているのかいまいち掴み切れなくて、そこがややストレスだった。観客が掴み切れていない時点で皮肉になり得ていないのだけど。

 

  • Summer Paradise

歌舞伎ぶりの横原くん!やっぱり横原くんが世界で一番かっこいい!「かっこいい」って感情は横原くんにしか抱かないから、「世界一」が星の数ほどいるわたしでも、正真正銘わたしの中では世界で一番かっこいい人。
全体的に去年と比べて内容がすごくよくなっていた!曲の繋ぎ方も不自然じゃなかったし、ずっと踊ってずっと歌っているのもメッセージとしてとてもよかった。たぶん意識的にファンサ曲を減らしたのだろうけど、それでぐっと全体が締まった気がする。
去年はIMPACTorsとして「与えられた色」を表現することに精一杯だったけれど、今年は与えられた色を自分たちなりに咀嚼して、それを「自分たちの色」として再構築できていると感じられたのがすごくよかった。
ひさしぶりのアイドルとしての横原くん、なんか好きすぎてわぁーーってなったな、横原くんを見るたびうわーーって羽が生えたみたいに心がふわふわして、毎回あっこの人のことこんなに好きなんだ!と思う。こんなにかっこよかったんだ!といつも思う。ダイヤモンドみたいな人。
そしてサマパララは全てを解決する。ひたすら踊り狂ったので、後悔なく夏の幕を閉じられた。
あと、キンブレ複数持ち×3000が七色にゆらめくTDCというジュニアのコンサートの景色が去年のインパラぶりだったけれど、ジュニアの現場ってやっぱり最高だーーと思った。みんな必死で、みんな本気で、みんな真剣。演者も、客席も、お互い爪痕を残そうという気合いで満ちていてすごかった。空間の中の生命エネルギーのぶつかり合いが凄まじすぎて肉体がめちゃくちゃ疲れたのだけど、でもめちゃくちゃ最高の疲れだった。やっぱりジュニアの現場って、そこでしか味わえない唯一の輝きがある。

 

9月

  • 関西ジャニーズJr. Space Journey! ~僕たちの軌跡~

初めての松竹座、初めての自担としての斗亜。
祖父母の家のある、小さい頃から慣れ親しんだ大阪という街、その中の慣れ親しんだ通りの、すぐ右を向くと松竹座があって、また違う形で慣れ親しんだオタクの世界があるというのがどうにも不思議で、パラレルワールドものの異世界転生をした感があった。松竹座はみんなが通い慣れているみたいで、その中に足を踏み入れるというのはピリッとした緊張感があって面白かった。双眼鏡にシールを貼った瞬間はかなり心が震えた。
舞台の内容はまあ別にどうでもよかったんだけど(大した内容ではないので)(やめなさいよ)、配役がとてもよかった。斗亜がルイで、彪太郎がイブキで、琉巧がソウで、という現実の関係性と配役の妙がかなり興奮した。るくとあ、大好き。
そして肌で関西ジャニーズJr.という空間と環境の異質さを感じられた。感じられたというか、元々そうだろうな、と思っていたものを現地で指差し確認ができたというか。とあるくこたとアンビから、ボイビの子たちがどんな動きをしようと絶対に拾おうという覇気をひしひしと感じて、この子たちもこうやって育ててもらったということが言外に伝わってきた。松竹座という場が文字通り斗亜をこの六年間育んだのだということが、一ステージを見るだけでどんなに何百の映像や文献を追うより何倍も如実に伝わってくるものがあった。そして今度は斗亜が、下の世代を育てる側で、彼自身もその責任を持ってこの場所に立っているのだということも痛いほど伝わってきた。もちろんそれぞれの良し悪しはあるし機会も均等ではないけれど、ああいう場所で小さい頃から舞台に立って台詞を喋って歌を歌って踊ってができる関ジュという環境も、ものすごく恵まれているのではないかなと思った。
初めての自担としての斗亜は、いとしさといじらしさと純潔と華と赤とをぎゅうぎゅう鍋に煮詰めて丁寧に丁寧に作ったみたいな子だった。でも明らかにステージに立つために生まれてきた子だった。こんなにもわかりやすく、華、というものは人に宿るのかと震えた。
この四ヶ月くらいずっと一人で関ジュ初等教育を自分に施していたけど、その最終テストとして最高の場だったと思う。大阪ってわたしにとってずっと世界で唯一の「帰る場所」だったけれど、それが今回は「斗亜たちがいる場所」として新しく意味を持って、全く違う角度から慣れ親しんだ街を見られたのが新鮮で楽しかった。今まである意味平面的だった大阪という街が、急に立体的になったというか、というかむしろ、今まで平面的だった「関西ジャニーズJr.」としての彼らが、息づいていることを知っている街によって、一個人として立体的になった感覚がある。
近くないからなかなか難しいけれど、松竹座という場所の異質さを肌で感じることができたし、願わくば何年もこの場所を追いたいなあと思う。

 

  • DREAM BOYS

2年目のふまじゅりドリボ。めちゃくちゃ楽しみだったのだけど、幕が上がった先の風磨くんがゾッとするくらい顔色が悪くて心配が先に来てしまった。ものすごく忙しいこと、うれしいし、本人もそれを望んでずっとやってきたことだから願ってもないことだけど、でもどうか倒れませんように…と思った。
去年からの変更点で言えば、ふかわくの空中浮遊自転車が純粋に「何これ!?」すぎて大笑いした。何これ、まじで。綱を切られて奈落に沈む、フウマ、からの奈落から這い上がるフウマ、も迫力があって大好きだった。すごくよかった。
最大の好き変更点、一幕の終わりの「何もかも引き受けてやろうじゃねえか!」、警察のお縄から抜け前に立つフウマの後ろに赤い幕が全面に降りてきて、その布ごと引っ掴んで奈落に落ちる演出。めちゃくちゃよかった。光一イズムを感じました。
今年もそのまま奈落に沈むセットが見られてうれしかった。チャンプに取り憑く白い死の影も、廃劇場も、窓ガラスパリーンも、大好き。今年は皇輝に加えて深田もちょくちょく見たかったから、本当に目が足りなかった。風磨くんはやっぱり、スポットライトが本当によく似合う人だなあと何度だって思う。折り重なる世代を見られるドリボが大好き。
今年は心配の方が勝ったけど、まあでも今年も入れてよかった!来年は見られるんだろうか。見られたらうれしいな。

 

  • 女の友情と筋肉

ステラボール!悪名高いステラボールだけど3列目ドセンに入ることができ、眼前に聳え立つ福田悠太さんを拝むことができた。
なぜなのか、オープニングの「筋力🎶自分力〜🎶」で涙がボロボロ出てしまった。めちゃくちゃ明るい曲で笑っているのに泣いている人。自分でもなんだかわからないくらいダメになっている時、いつだってエンターテイメントはそばにいてくれるな…。
この漫画は浪人時代からずっと好きだったのだけど、人生のターニングポイントやささやかだけど大事な局面を迎えるイオリとマユとユイはあの頃よりよっぽど現実的にわたしと重なって、それぞれが手を取り合って匍匐前進していく様が胸にきた。筋肉はないけど日々の友情ありがとう。フォロワーいつもありがとう。

 

  • Endless SHOCK

初の博多座!現場で九州に来るのも初めて。立樹がリツキをしている間にどうか本編をやってほしいと思っていたので、こんなにも早く叶って本当にうれしい。
春ぶりの立樹、もう登場した瞬間から胸が打ち震えて感極まった。春の褒め言葉を全て踏襲した上で、それを更に何倍にもパワーアップさせていて、そんな立樹を見れて立樹綺麗だよおじさん人生に一片も悔いはなかった。
秋のリツキは春に比べて(春の時点で相当なレベルだったけれど)明らかに表情も豊かでダンスも軽やかで美しく、このステージを楽しむ余裕も胆力もあり、何より周りを更によく見れるようになっていて、舞台上の共演者や客席にまでアイコンタクトを取る余裕が生まれていて成長が著しかった。目の表情が本当に上手くなっていて、目の動きだけで全然違う表情になる。不敵な表情もできるようになっていたリツキ、たった4ヶ月で顔つきも少し大人に近づいていて、大人になんてなるなーッと博多座の中心で絶叫したかった。
YMDでリツキがアンサンブルの方と戯れていたら、跪いて手の甲にキスされていて、それだけで息を呑むくらい美しい光景だったのだけど、はわっと驚いたリツキもそのままアンサンブルの方の前に跪いて手の甲にキスを返していて、博多の街を一瞬で吹き飛ばしてしまうくらいの美しさだった。それをYMDの人の多い中、上手の隅っこで二人だけでやっているというのがまた物語みたいに美しくて、ちいさくたたんで宝箱にしまいたい輝きだった。わたしはこういう瞬間を見逃さないために彼に双眼鏡を向け続けるのだと思った。
ヒロミツがリカに指輪を渡す前では、リツキがヒロミツのほっぺを両手で包んだり、耳をそっとひっぱったりしていてとてもかわいかったし、IAWDで「果てしなく〜続いてる〜この道の向こうに〜」と歌うリツキを見ては、本当にそう…果てしなく輝かしい未来があなたの歩く道の先に待っているよ…と泣くおじさんになった。
完全に思い込みだけど、今回のリツキは双眼鏡越しに目が合った!と思う瞬間が何度もあって、つまりは客席に目を向ける余裕ができたし、それが如実に観客にも伝わっているということを感じた。わたしは立樹の静寂が何よりも好きで、あの子の幼さを凌駕する圧倒的な華と静寂と余裕はむしろ末っ子には不向きかなとすら思える。2022年秋のリツキも最高に美しかった、ありがとうSHOCK…。

 

9〜10月

めちゃくちゃ素敵で完成度の高いコンサートだった!「Hey!Say!JUMP」という物語の映画を贅沢に見させてもらっているような感じだったし、思った以上に「15周年」が味わい深く色づけされていた。
マスピ→OMBの振りと流れがとても好きだった。正確無比かつ余裕綽々、寸分の狂いなく踊り狂われる知念様を愛している。見るたびにいつも思うけど、ちいちゃんの動きって滑らかかつ正確すぎて、双眼鏡で見ているとダンスに没入しすぎる。動きは激しいのにものすごく静かなダンスが大好き。そしてマスピの振付が狂おしく好き。「世界」で左半身を開き、「宇宙」で右半身を開く、拳で胸を叩く「僕ら」、人差し指を開いて「ひとつになる」。「空を飛んで 海を渡る」でかもめのように羽を動かし、波のように揺らめくのが美しかった。
個人的に一番好きだったのはカモナ→GOMHで、知念ロード、からの背中に真っ白い照明を後光のように浴びて黒く浮かび上がる知念様のシルエット、神様仏様知念侑李様ーーッッッ!!!解釈一致ド真ん中ストレートの演出をありがとうございます。
恋をするんだのやまちね天地創造は、これにチケ代全額払っていいと毎回思う。大好き。
そして何よりもサンダーソニア!正直自分の中ではアルバムを聞いていた時点ではものすごく心に残った曲とかではなく、アニメの主題歌らしいいい曲だな程度に思っていたのだけど、メンステで金色の衣装に包まれて、華々しい夜景と花火をバックに歌うHey!Say!JUMPと歌詞があまりにもリンクしていた。タンタンタタタンを鳴らすために生きていると思った。レッドカーペットの上のHey!Say!JUMP、綺麗よーー…。最後ジャンプして姿を消すのも、とてもとてもとてもよかった!
今回のツアーを通してちいちゃんはスラッと痩せていて、青年のようなシルエットだなと思った。やっぱりわたしにとってものすごく神聖な人で、人間離れした存在がちょうどそのシルエットと合っていて、すごく好きだった。
ひかるくんの不在やゆうやの足の痛みなど、通常通りとは行かないことが多いツアーだったけど、年齢を重ねていく中でできることが増えると同時にできないことも増えるし、それを否定することなく、立ち止まったり腰を休めたりしながら一緒に歩いていけたらいいなあと思う。

 

  • 盗まれた雷撃-パーシー・ジャクソン ミュージカル-

世界で一番大事な物語パーシーの舞台化。なんというか、神や怪物のような強大で人智の及ばないものを舞台という場所で表現するのはとても難しいのだなと思った。あと、パーシーは独自の世界観が強固だから、それを一つ一つ説明するのもまた難しいなと思った。
舞台というものの特性上、ある程度尺に合わせて情報を省略することや独自の改変をすることは必要だと思うし、実際「女の友情と筋肉」でアンリという新しいキャラクターに複数の女性キャラの要素を合わせることは賢い手段だったと思うのだけど、なんというか、パーシーは解釈違いという段階でもなく、これは初見の人に物語として伝わっているのだろうか…?と思った。
パーシーのビジュアルは、ローガンと引けを取らないくらい今まで彼を演じたものの中でも解釈一致で、それはとてもよかった。他キャスト陣の歌の上手さも、すごくよかった。ただ、どうしても譲れない点として、アナベスの描き方、アナベスとパーシーの関係の出発の仕方、啓示を受けるシーン、はもっと描き方があったんじゃないかな、と思う。
ギリシャ神というものの強大さ、化け物の恐ろしさ、なぜパーシーが狙われるか、兄弟の確執、キャンプのシェルターとしての役割、タリアの存在、ルークの苦悩。描き切れていないもの、描き切らないと伝わらないと思うものがとても多くて、それがとても苦しかった。
この作品はわたしにとってあまりにも大事で、あまりにもわたしの人生そのもので、冷静な判断をすることは難しいなと思った。

 

10月

初めての朗読劇。内容はあまり刺さらなかったけれど、写真を見てからずっと楽しみにしていたスーツを纏った勝利が自らに拳銃を向ける姿を見られてよかった。
「(人生に)いつだって参戦できるのよ」というセリフが一番響いた。シンプルに、休憩なし1時間45分の舞台を演じ続ける黒柳徹子様の体力はすごい。
カテコの勝利、また面白いくらい肩に力が入っていた。愛しているよ、わたしたちの赤。

 

11月

重く苦しい舞台だった。見ている間ずっと怖かった。わたしは果たして律子のように、定から目を背けないでいられるだろうか。相手が誰かに関わらず、態度を変えないでいられているだろうか。ルッキズムの妄執あるいは逸脱することへの恐怖に取り憑かれていないとどうして言えるだろうか。
犬王を見た時にも通じるものを感じた。犬王もやはり、その才能だけでなく、その美によって大衆に受け入れられた。定の姿形はあまりに犬王に似ていた、しかし定には友有は現れなかった。もっと言えば、定に友有は現れなかったし、定もまた自分自身に友有が現れることを拒絶した。
また、犬王の美への変化が恒常的なものだったのに対し、定の桜木輝彦への変化は常に尋常ならざる痛みを伴い、かつ恒常的でないというのが生々しく、救いがない、と思わせた。一瞬、これで桜木輝彦として生まれ変わったのだと思った瞬間の安堵と、定の姿形はこの世から消えていなかったとわかった瞬間の落胆が、何よりわたしの美醜を暴いた。
美しい人間を日々愛するわたしにとって、あまりに重かった。わたしは美しさ抜きに好きな人を好きとは言えないだろう。わたしが本当に愛するものはなんなのか、わたしがそれを本当に愛していると言えるのか。画面越しの人間ではなく、ただの友人としてでも、あるいは通行人としてでも、わたしは定から目を背けない自信はない。
本題とずれるけれど、娘の安否もわからず、夫の居場所もわからないまま、ステージに立たざるを得ない一条あやめの姿にも打ちひしがれた。なぜショービジネスはここまでの犠牲を伴うのか、ここまでの犠牲を伴うことをわたしたちは求めることを止められないのか。
幻覚の利生が定に対してかけた「桜木輝彦に会えてうれしかった。『理想の』弟が現れたようだったから」という言葉が、定へのどんな直接的な罵倒よりも辛かった。定を誰よりも人間として見ているように見えた人は、定を見てはいなかった。鳴尾家の誰も最後まで定を直視しなかった。躊躇いなく定を直視した杏がすぐに気づいた桜木輝彦と定の連続性を、鳴尾家は誰も気づくことはなかった。ただ一人生き残った姪の希子以外。
最終的に定はその醜い姿形の内側に潜む内面の醜さを糾弾されるけれど、それを醜いと言いその責任を問うのはそれが形成されざるを得なかった環境を作った人間たちの欺瞞だと思う。家族は定を愛さなかった。誠二は定を愛したけれど、桜木輝彦は愛さなかった。杏は定を直視したけれど、定も輝彦も愛さなかった。そして定も「定」が愛されることを渇望しながら、愛されることを拒んだ。自分自身が定を愛するべき存在だと認められなかったから。
暗闇のままならば観客がそれぞれの理想を己に投影するだろうと言い、「煌めく手段から目を背けるな」と歌いながら真っ暗なステージの中央で自分が付けた炎に炙られる定があまりに哀しくて、定自身が一番自分自身の理想の結晶である桜木輝彦と己とのギャップに苛まれ、その幻覚を追い求めたのだと思った。
火に炙られて死んだ定の亡骸がむくりと起き上がり、「中川大志」として立ち上がった時、定は最後まで世間から目を背けられて死んだのだと思った。その瞬間に眼前に迫り来る、わたしたちは目の前に立つ中川大志という人間をその美しさ込みで愛しているのだという途方もない実感が逆説的な絶望と己への失望を呼んだ。そしてカーテンコールで大志くんが桜木輝彦として現れた時、定はカンパニーと共にステージに並び立つことも、万雷の拍手を受けることも許されないのだと思った。それがあまりに悲しくて寂しくて、同時に定を葬ったのはわたしたちなのだと納得した。わたしたちが定から目を背け、わたしたち一人一人が定を殺したのだ。

 

12月

  • 「HiGH&LOW THE WORST X」大ヒット御礼感謝祭!!

ハイローにハマり、人生で初めてLDHにハマってからの初現場!説明をちゃんと読んでいなかったので歌うのかな?と思っていたらてっぺんアワードが始まって笑った。しかし本編にはない架空のセリフ「楓士雄ォ…俺らはもう必要ねえってことか?」(by司)に爆死してしまいました。そのセリフを司が言ってしまったらもう地球は壊れてしまうよ…そんなことあるわけがないだろうが…。楓士雄には司が必要だし司には楓士雄が必要だよ…。一部の言い方が一番途方もなく寂しそうで泣いてしまった。
なんだかんだかずほくを二人揃って生で見たのは初めてだったけれど、二人ともずっとにこにこしており、顔を見合わせて笑う様もまたいとおしく、時にはアイスを食べさせたり、そのアイスを早食い対決だって言ってんのに驚くほどゆっくり食べたりしながら、大変おかわいらしく過ごされており、かわいいねえかわいいねえと思ういい回だった。唯一の後悔は、国際フォーラム最後列だったにも関わらず双眼鏡の故障により良好な視界を確保できなかったこと。結局配信で二部と三部も買って全部見れたので、概ねハッピー。
あとグッズのランダムトレカを15枚買って、楓士雄2枚自引きして、司は出ていない、さあ残るは1枚、出てくれ…!と祈りながら袋を開封して「高」の文字が見えた時の高揚感があまりにも強く記憶に残っている。アドレナリン。ランダム商法に厳しい目を向けてきたが、こういう成功体験が人を狂わせるんだろうなと思った。ギャンブルである。

 

  • セクシーゾーン ドームツアー2022 ザ・ハイライト

夢にまで見たセクシーゾーンの東京ドーム、ドームツアー。ずっとずっと幸福で、ずっとずっと何よりも幸せを願ったドームだった。会場すべてがセクシーゾーンの幸せを願ってるのだとひしひしと伝わってきた。全体像があまりにもよくて、いつもは手放さない双眼鏡を下ろして何度もステージ全体を眺めていた。
開演前から既に、「初ドーム」は始まっていた。モニターに映し出される過去のMV映像が流れ出すたびに、周りから口々に漏れるうれしそうな声、眩く懐かしむ幸せの嘆息。5万人がソワソワと、そして誇らしくセクシーゾーンの晴れ舞台を待ち受けていて、誇張なく、あれほど一つの感情で埋め尽くされた開演前のコンサート会場を見たのは初めてだった。わたしたちが見ているセクシーゾーンは、この場にいる5万5千人一人一人の数だけあるけれど、でもみんなセクシーのことが大好きで、誇らしくて、この瞬間を何年も待ち望んできたのだと確信できた。
一曲目が始まった瞬間、そうだ、これだ、と思った。セクシーゾーンってこれなのだ、と思った。セクシーゾーンが見せてくれるものと、わたしがセクシーゾーンに見せてほしいものは、いつだって寸分の狂いなく一致している。わたしがドームで見たいと率直に思った数々は、余すことなく入っており、その上で、それを何倍も超えて、セクシーゾーンはセクシーゾーンを見せてくれる。セクシーゾーンの作る音楽が世界で一番好きで、それを自分自身の体験として意味付け、記憶させてくれるセクシーゾーンのコンサートが大好きなのだけれど、それは疑いようのない共通の意識を常々感じる充足感の存在が大きい。それは自分が満足するものを提供してほしいというより、親友と同じものを見た時に咄嗟に同じ感想を溢して、思わず顔を見合わせて慌てて「ハッピーアイスクリーム!」と高らかに宣言し合うような、そういう感情に近い。改めて自分が考える最高のセクシーゾーン像と、セクシーゾーンが見せたいセクシーゾーン像が矛盾することなく重なっていることを実感できたことが、無上の喜びだった。
東京ドーム5万人の静寂の中勝利によって囁かれる"𝑺𝒆𝒙𝒚 𝑹𝒐𝒔𝒆…"を聞くのが夢だったので、今回文句なく静まり返った中聞けたのがとてもよかった。声を出せる中でのあの静けさがすごくよかった。一方で、5万人の、大音量の「ぎゅっとー!」を聞いて本当にうれしそうに強気に笑う風磨くんも、めちゃくちゃよかった。こういう時は絶対強気に笑っちゃう風磨くん、強気に笑うことで強がる風磨くん、よかったな。セクシーゾーンの初ドームに発生OKが間に合って、本当によかった。
ドームの中央でみんなで小さく集まって、口々に「夢みたい」「夢みたいだね」と言い合うセクシーゾーンを見て、夢ってこのことだったんだ、これを見るのが夢だったんだ、夢が叶ったんだ、と思った。そして、「上の方ーー!!!」と何度も、何度も叫ぶ風磨くんを見て、本当にこの人は、幼い頃に憧れたアイドルの姿を一度も疑うことなく、目を背けることなく、夢見てきたのだと思ったし、今目の前のこの人はついにその夢の像に重なったのだと思った。そのらしからぬ素直さと、らしからぬ一途さが、なによりも好き。今彼はわたしの目の前で彼の夢を一分一秒叶えているのだと実感した。そしてこれを見るのもまたわたしの夢だったのだと思った。
そしてやっぱりなによりもうれしかったのは、風磨くんが、セクシーゾーンでありたい、セクシーゾーンとして年月を重ねたいと思えて、それを衒いなく言えるようになったことで、風磨くんにセクシーゾーンがあってよかった、と何度も何度も思った。わたしはセクシーゾーンに風磨くんがいてよかったじゃなくて、風磨くんにセクシーゾーンがあってよかったとずっと思っている。それを、風磨くん自体が「俺にはセクシーゾーンがあるんだよ」と声を大にして教えてくれたドームだった。
ずっと彼の照れにキレ続けてきた身として、そこを含めて風磨くんなのだとわかっていても素直に気持ちを伝えてもらえないのは悲しくて、というかわかってると言うなんてオタクの傲慢だし、でもわかっていると言わないのはオタクの欺瞞だし、でもようやく「財産だと思う」「もっと甘えられたらよかった」という言葉を映像として残せるようになったのが、何よりもうれしい。
やっぱり幾千の行動を連ねるより一つの言葉がわたしにとっては大事で、それは風磨くんがどれだけ言葉に愛着があり、どれだけ自分の言葉に影響力があり、どれだけの言葉を尽くせば人にどう伝わるかということをちゃんとわかっている人だと思っているからで、だから言葉にしないのには確実に彼の意志があって、だからわかってはいたけど、「わかっているよ」という幾重にも不文律を重ねた、言ってしまえばお互いに甘えた状態を、しっかり言葉にするという形で脱却してくれたことが本当にうれしかった。
どう捉えられても構わない、じゃなくて、こう捉えてほしい、という意思と共に、セクシーゾーンへの愛情と自覚を言葉にしてくれたのがうれしかったんだ。解釈をオタクの手に委ねることは、そりゃオタクにとっては都合がいいけれど、でもそれってわたしが見たい風磨くんであって、風磨くんが見せたい風磨くんじゃなかった場合、この不幸せをどうすればいいの、という焦燥感と寂しさがずっとあって、わたしだけに託すんじゃなくて、一緒に答え合わせしようよ、違っててもいいからさ、という気持ちが、なんだか綺麗に成仏した気がした。
今年の風磨くんはほんと、憑き物が落ちたみたいに自由に見えて、ずっと道標だった「かっこよくあろう」にすっと入ってきた「かわいくてもいいのかも」という小さな発見に、段々と一皮剥けていった一年だったと思っていて、その最後を締め括るドームで、最高の答え合わせができたように感じる。そうだよ、かわいくてもいいんだよ。だって風磨くん、かわいいんだもん。宇宙一かわいいよ。
そうしてふまけん。わたしは初めてふまけんを見た時の、元々一つだったみたいに全く同じ後ろ姿で花道を歩く二人の背中が脳裏に焼きついていて、きっと死ぬまで忘れないと思うのだけど、RUNを歌いながらバクステまで走り抜ける二人の背中が、やっぱり瓜二つの後ろ姿で、きっとこの二人は一生こうなのだろうと思った。健人には風磨くんがいて、風磨くんには健人がいて、そうすることでうまく呼吸することができる二人を、これから先も一生見ていたいと願う。
わたしはセクシーゾーンのコンサート本編の終わり方がいつも少しだけ寂しいのがものすごく好きで、そういう甘い寂しさを今回も完璧に残してくれたのが、やっぱり風磨くんだなあと思った。セクシーゾーンの歴史を準えつつ適度にザ・アリーナの成分も準える構成だったので、本編最後に愛してやまないDreamが来るだろうと想像がついたけど、やっぱり何度聞いても格別に最高だったDreamはドームでももちろん最高で、アリーナと同じように「遠回りでもいいからここで僕と待つのはどうだい」の歌詞が映る背後の画面を背負うように大きく腕を広げる風磨くんを見て、やっぱりアリーナもドームも、一番のメッセージは「待つ」なのだと思った。
挨拶の時、真っ青に、真っ赤に、真緑に、真紫に、そして真オレンジ(?)に染まる客席が本当に美しかった。今まで見てきた何よりも綺麗だった。ペンライトの海って何度も見てきたし、何度も美しいと思ってきたけど、でもこんなにも美しいものってあるんだと新鮮に思った。満天の星空だった。健人が言う通り何よりも美しいイルミネーションだったし、自分がこの景色を構成する一粒の光になれていることが何より幸福だった。
セクシーゾーンがあまりにも煌めいていて、こうしちゃおれん、セクシーゾーンに恥じぬよう、わたしも自分の人生をちゃんと生きないと!という気持ちに駆られた。セクシーゾーンの生命力にいつだって見合う生命でいたい。
2022年は最高のアルバムと共に思い残すことなくセクシーゾーンとツアーを回ることができて、最後はドームで締められて、ずっとセクシーゾーンと共にあった一年だったな。本当に楽しかった。あとやっぱり、5人のセクシーゾーンが見たい。いつかドームに立つ5人が見たい。そう願ってやまないコンサートだった。
東京ドームで捌ける間際、「連れてきてくれてありがとう!」と大声で叫んだ風磨くんを、きっとわたしは一生忘れないと思う。

 

  • ABC座 10th Anniversary ジャニーズ伝説2022 at Imperial Theatre

2年ぶりのえび座、初めての帝劇でのえび座。年内最後の帝劇。端的に言って、たつるが最高すぎた。たつるが最高なことなんていつものことだけど、それをいつものことにしてしまえることが、たつるの全てなのだ。
トラジャが加わったWe areジャニーズ!を聞きたいのと、帝劇に立つたつるが見たくて入って、他の子も暇があればチラ見できればいいなあなんて思っていたけれど、暇なんかなかった。たつるを見るのに忙しすぎた。たつるが壮絶に美しかった。
たつるの初雪のような肌とプラチナブロンドが帝国劇場の照明に照らされて光るのが夢のように美しく、瞳の縁に彩られた薄ピンクのアイシャドウも見事で、衣装も全てがたつるにあつらえたように似合っており、冬にだけ見られる雪の妖精のようだった…。
そして何よりも、金髪双子のれんたつが圧倒的な美しさだった。二人だけが同じ瞬間に同じ時間だけ同じ高さで宙を飛ぶために生まれてきたのだと確信できた。二人のバク宙の擬音がぴたりと同じなのが本当に美しいんだよね…あつらえたような美しさ。ふわりと宙を浮く、世界で一番綺麗な擬音。勇100前にローラーでステージに二人くるくると円を描くれんたつは神話みたいに荘厳で涙が出たし、アメイジングラブでれんたつではっしーを割って立つのも最強に美しかった。
舞台上のたつるを2時間ほぼずっと双眼鏡の先で見続けるということを今までしたことがなかったので知らなかったけれど、たつる、色んな人とアイコンタクトを取ってずっとにこにこで表情豊かで、目を合わせたい一緒に楽しみたい人間が大好きステージが大好き!という爆裂生命エネルギーを常に放出していたのがすごくよかった。たつるが帝国劇場で踊る、飛ぶ、回る、全てが美しくて全てが夢みたいだった。発光していた。まぶたの裏でずっとたつるが白くきらめいていて忘れられない。

  • Hey!Say!JUMP 15th Anniversary LIVE TOUR 2022-2023

じゃんぷ担として初めてのドームで見るじゃんぷ!じゃんぷを好きになってからずっとアリーナで彼らを見てきてそれに慣れていたけど、ドームで見る彼らはものすごくしっくり来てなるほどなあと思った。ずっとここでやってきた人たちだ。ちょうど3年前の12月30日も横原くんを見るためにじゃんぷの東京ドームを見ていたのがなんだかすごく感慨深いし、濃い3年だったなー!と思う。
なによりも一番心に残っているのは「ただ前へ」。わたしは彼らが4人でいるところをリアルタイムで体験できていないので全ては妄言なのだけど、Hey!Say!JUMPという稀有な箱庭の中でもさらに秘められた、ベストしか開けられる鍵を持っていない秘密の花園にいるのがセブンだと思っていて、唯一の共通の価値観を持った人たち、純粋で高潔でガラスみたいな人たちだと思っている。そして、そこから圭人は一人で飛び出したのだと思っている。
だからこそ、4人の影と4人の写真を出しながら、4人目の、圭人の影をちゃんと消したのも彼ららしいなと思っていて、そういうシビアさ、純潔さも、彼らがセブンである所以なのだと思う。でも最後まで4人の写真を出し続けたのもまた同じ彼らで、彼らが今3人であることは確かに事実ではあるけど、4人で、もっと言えば5人で、セブンであったことも覆しようのない事実なのだという、純然たる素直さと時に驚くほどの冷静さが、彼らを形作っているのだと思った。そういった彼らの痛いほどの真剣さが何よりも詰まった曲が「ただ前へ」で、15周年でこの曲を歌った、歌えるようになった彼らは、ある意味で遂に3人で手を繋いで秘密の花園との別れを告げたのかもしれないとさえ思った。
そして、15周年として一番聞けてうれしかったのはUMP!本当は3回聞きたかったけど、1回でも歌ってくれてうれしい。やっぱこの銅鑼の音!!!平成JUMPを掲げてデビューした人たち、15周年本当におめでとうございます。どうぞ末永く仲良しでいてください。

 

 

 

以上、2022年現場総括でした。配信含めて全49公演、2022年も日本全国一年中ずっとたのしくてだいすきでしあわせでした。個人的には渡米以来途絶えていた宮近くんの見学ガチャ記録が12月に3回現場が被り塗り替えられたことが非常に愉快でした。2023年もだいすきな人たちみんなみんなしあわせでありますように。今年もどうぞよろしくお願い致します。