みぎのほっぺに冬の夜

Träume sind Schäume.

5月30日

5月30日、気分は凪。というかまだまだ現実味がない。嵐が幕を閉じるまで、あと少し。

自分はたぶん、5人が戻ったら全てが元通りになるとずっとどこかで信じていて、5人の番組も全部復活して、毎日どこかで5人が見られて、っていう当たり前がまた掌の中に転がり込むのではないかと思い込んでいて、だから5人が5人でいるのにその日常が戻ってこないことが不思議で、一年近くずっと立ち尽くしていた気がする。

完全に閉じるくらいなら幻のままでいいから残してほしいと思う気持ちと、完全に閉じることが彼らの誠実さだと思う気持ち、どちらもあって、5人が5人でいるのに終わりに向かって進んでいるという現実を直視できずにいたのだけど。

 

5月15日、大阪で見た5人は、見れば見るほど「いつもの」嵐で、昨日も見た、ずっと見ていた、みたいな、もっと言えば、1月26日までの嵐の続きを見ているみたいな。まさかこれが7年ぶりに見る姿なんて思えないくらいいつも通りで、不思議な感覚だった。

なんだか全部夢だったんじゃないか、もしかして来月も来年も10年先もこれがずっと続くんじゃないかと思った。挨拶で5月31日に触れられても、それはそれ、でも目の前のこれは?みたいな。まあそういう話もあったよね、でもさ、目の前の現実は違うみたい、と言い切れるほどだった。

しかもこれが、そう努めているというわけではなく、この人たちが5人並んだら、空間がそのまま続いていて、そこには空白の期間なんてないのだと無理なく背伸びなく誇張なく実感した。そう思いたいということでもなく、不思議なくらい“そう”だった。

ひとつひとつ、ピースを埋めるように。過ぎ去るものを悲しむ、惜しむわけではなく、5人でやり通そうと決めたことをひとつひとつ静かに、ひたむきに実行していく。寂しさや感傷もそりゃ少しはあるのだけど、それ以上に充足感、満ち足りる感覚を5人から受けた。カラッとしすぎているわけでもなく、でも湿っぽさもなく。ひとつひとつ、やり残したことを満足のいくまでやる、やれることがうれしい、5人でできることがうれしい。それでいて慎重になりすぎず、力みすぎず、20年間やり続けたことを、背伸びなくやり続ける。残された時間が失われているんじゃなくて、今取り戻しているんだとすとんと腑に落ちた。

2020年最大の心残りは、5人を観客の前でステージの上に立たせてあげたかったこと、万雷の拍手と歓声によって区切りをつけることを許されてほしかったことだったので、その光景の一部になれていることがうれしく、その光景で彼らを包むことができる今が何よりうれしく。

一方で2020年がああなったことで唯一よかったのは、「公」に近づきすぎつつあった嵐を、誰にも取られることなく封を閉じられたことだとも思っていて。5人の手のひらの中に嵐を取り戻せた5年間だったのかもしれないと思った。

This isよりもみんな(公)のためではなくて、5人のためのコンサートだと思った。5人と、5人に気持ちを送り続けた人たちのためだけに限りなく近いコンサート。だけ、と言い切れるほど閉じられていたわけではなく(それがまた5人らしく)、でもそういうコンサートを作れる今がすごくうれしかった。

6年前、5人は毎日「最後」をやり遂げながら、その間じゅう一片も「悲しい」「寂しい」が見え隠れすることを許さなくて、それがすごく寂しかった。だからコンサートの間、寂しさがほんの少し空間を満たしていたことがたまらなくうれしかった。

とにかく、大泣きのまま挨拶を迎えるかと思っていたけど、笑ったり、少し泣いたりしながら、でも不思議なほど朗らかに5人を見送って、不思議なままドームを出た。

 

5月31日を明日に控えた今日も、現実味は湧かないまま、でもほんのり前向きに6月を捉えている。5年間、途方もなく悲しくて一度も聞けなかった曲も、見られなかった歌って踊る映像も、正面から向き合えるような気がしている。終了じゃなくて、完了したんだと、自分の中ではそう帰結していて、5人が5人の幕引きのピースを共に滞りなく埋めつつあることがまず一番にうれしく、満たされている。5月30日、今はそんな気持ち。

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2025 #10 グラタングミ 初単独公演 コントライブ2025

おもしろかった!コントライブを見てみたいと好きな男を見たいを同時に叶えてくれる夢のライブ(ごめんなさい)。コントライブを見に行っている以上、人生で一番勝利が目の前にいるのに勝利に注目しすぎないようにする90分だった。し、おもしろくてそこは全然意識しないで済んだ。

ネタも映像もおもしろくてセンスがいいし客席が集合体としてめちゃくちゃ笑っていて最高の空間だった。勝利が出ているのに大笑いして拍手するだけなの、異世界に迷い込んだみたいで不思議でこの状況にもウケてしまう。はすみくんがすぐ勝利に「大きい声出すな」って言うのがかなり好きだった。

平井さんが最後のネタで庶民と金持ちを堂々と間違えたところ、はすみくんが言ったように客席がゆっ…くりと間違いに気づく空気感がめちゃくちゃおもしろくて、生の舞台ってやっぱりこの空間込みでおもしろいと思った。

会場のオタクたち、努めて「コントライブに来た客」に徹していてそれがめちゃくちゃ愛だと思った。勝利がどんなにかわいくても一切かわいいを漏らさなかったの、とてもえらいと思う。勝利が見せたいもの、したいものに対して、できるだけそのコンテンツを素直に受け取ろうとする客席に感動したし、それで勝利が揶揄されてしまったり、本人や周りがやる意味がない、と思ってしまうのを避けたい、というのが愛じゃなくてなんなんだよという。自分自身もそういう気持ちで行ったけれど、想像以上にオタクたちがこの場を成立させよう(実際おもしろかったけれど、それに雑音を加えないよう)としていて、その心意気がとてもよかった。別にアイドルのオタクだからどうたらと言われる筋合いはないが、はすみくんがこちらのファンのことも尊重して、独自の生態があることを理解した上でコントライブの見方の落としどころを探ってくれたからこそだなあと思う。もちろんオタク以外でシンプルにお笑いを見に来た人もいたのだろうけれど。

最後の、ほんとうのお金持ちがエモいことしたーい!のネタは、ある種はすみくんと勝利でそのままこのコントライブにも置き換えられるのではないか、と思った。お互いわかんないことあるけどまあ教えるくらいはできるから、話聞きましょうか、ってこれじゃん!と思った。勝利自身もそういう状況をわかっていてそれに対して素直にはすみくんに感謝して力を借りているところとか、はすみくんもそんな勝利をばかにせず付き合ってあげているところとか、いいなあと思った。

はすみくんのことを未だにあんまりよくわかっていないけれど、一力でうどんを食べている時はすみくんにつっこまれた勝利がもぅ〜〜やだねぇみたいな反応をした時、勝利の顔をのぞきこんでめっちゃ笑っていて、うわ〜〜この人しょうりのことこんなに好きなんだ!と思った。

2025 #8 ミュージカル『マタ・ハリ』

マタハリ!やべーおもしろすぎる。途中からこれはわたしにとって最初で最後の「マタハリ初見」なんだと気づいて急に焦り出した。あと3回くらい初見で見たい。

戦争のクソしょうもなさとか一旦置いておいて(というかそれもまた滑稽さの一部なんだが)、利用しようとして近づいてきた男たちが勝手にマタハリの魅力に狂わされ勝手に苦しんでいく自業自得の滑稽さ。わたし、自業自得で勝手に苦しんで破滅していく男を見るのが死ぬほど好きなの忘れていた!楽しすぎるー!こんなの、全員ラドゥーかアルマンを好きな男にやってほしいでしょ。廣瀬さんの偏屈でプライドが高くて出世欲に塗れ女をコントロールできると信じるくせにかけようともしていないマタハリの術中にハマっていくラドゥーも、加藤さんの人好きのする柔和な甘いマスクと柔らかい物腰の下に隠された心の傷を使ってマタハリからの共感を得たくせに自分もまた勝手にマタハリに魅入られていくアルマンも、良すぎた。甲斐くんのアルマンも見たかった…。

対して、一貫して高潔で勇ましいマタハリとアンナ。アンナの「あなたを通して見る世界は本物」を聞いて泣かずにいられるか!マタハリの高潔さは、アルマンの所在を尋ねた時のラドゥーの揺さぶりをきっぱりと跳ね除けた瞬間に顕著に感じたけれど、連行される時も裁判中もまた涙が出るくらい高潔だった。聴衆が白い壁にも見える幕から目を覗かせている演出が秀逸。大衆もまた傍観者として悪の側面を持つのだけれど、それはラドゥーに増幅されたものであり、滑稽さを補強する要員だと思う。

無敵の初見のため、アルマンが裁判に姿を現した時は死ぬほど興奮してしまった。アルマンもまた自業自得で勝手に死んでいく身ではあるが、最後の献身によってマタハリに希望の光を差したことである意味清算したと言えるし、そこがわかりやすくラドゥーとの決定的な差でもあった。マタハリの腕に抱かれながら死にゆくアルマン、その二人を虚ろに見つめるラドゥー!全てが自分に返ってきたこと、天秤にかけて切り離したものと一緒に手に入れたかったものまで失ったことにようやく気づいた愚かさ、最高だった。

2025 #7 ブロードウェイ・バウンド

母が真実どう思っていようと、家事や育児による家族への献身によって、あったはずの夢やなりたかった自分を、社会からの有無を言わさぬ期待の帰結として生まれたわたしや兄弟が奪ったのではないかという尽きぬ罪悪感は、もしかしたら思っている以上に普遍的なもの(少なくとも第二次世界大戦後において)なのかもしれないと思った。そして、あったはずの母の架空の未来を娘のわたしの人生によって描きたいと思うのと同じように、息子には、自分が母と同じ思いをさせる原因になり得る恐怖があるのかもしれないと初めて思った。

母の幸せを決める権利は母自身にしかないのだけれど、それを左右する強烈な要因になっていながら、この十字架を背負わずに生きることはわたしにはできない。母が必ず、世界一幸福であってほしいと思うと同時に、どうか母が心からしあわせでありますようにと、できれば他人由来のものではなく、母自身がしあわせでありますようにと祈りのように願っている。

降り頻る雪の中でコートを羽織り、帽子を目深に被って佇むユージーン、すごくよかったな。きっと一生忘れないと思えてうれしかった。

家族というのは、永遠に見えるようでいてもちろん永遠ではなく、各フェーズが一つ一つ移り変わっていくのは人が年を取り、ある者は羽ばたきある者は老いる限り仕方のないことだけれど、それぞれのフェーズに家族(「同じテーブルを囲むもの」)という形を保って存在するためには各個人の意志やお互いへの尊重、信頼がなければ成立しないんだと当たり前のことを思うし、必然的にこれは、当たり前にグループにだって当てはまるのだと思った。永遠なんてないのだけれど、わたしたちは永遠を夢見るからこそ一つの共同体であるグループが好きで、夢を託しているんだ。

ハロルドを最後にSHOCK以外の勝利の舞台を見に行っていなかったけれど、すごくすごくよかった。見に行けてよかった。

あとわたし的に一番好きなセリフは「孫たち二人が資本主義者になるんだよ〜!♪」だったけれど、全くウケていなくてひっくり返った。

2025 #6 timelesz SUPER FAMeeting

大合唱のRock!!!!This!!!!Party!!!!!で始まった死ぬほど最高の花火、一生忘れないと思う。ガチの予算を感じられる大量の花火で景気が良すぎて泣いてしまった。花火の量に加えて、曲との音ハメもあまりに気持ち良くて感無量だった。

花火が景気が良くて最高の涙と、timelessを流したかった3人への涙でさらに泣いてしまった。

もう二度と聞けないかなと思っていたから、歌わずに、打ち上がる花火と共に流れるtimelessが完璧によかったし、timelessとマリの言葉を聞いてもらいたかった3人の気持ちを思い涙が出る。マリの声が好きでマリの言葉が大好きでマリにしか発せられない言葉があるってずっと信じているから、timelessを知らない人にも聞いてほしかった、新しくtimeleszを好きになってくれた人にも聞いてもらいたかった3人の気持ちを勝手に想像してものすごく共感するし、グッとくる。

そしてそのまま手をたたけ愛ならせ("その瞬間Timeless")に繋がる美しさよ…。

やっぱり8人でForever Goldを歌うこともtimeless→手をたたけ愛ならせも、言いたいことはずっと同じで、大好きだよ、忘れないよ、そして、今この瞬間も必ず大事にするよ、重ねていくよ、ということだと思う。二つは相反することではなく、必ず共存できるんだ。だからtimeleszという名前をつけたんだから。

みんなに知ってほしいんだなあ、覚えていてほしいんだなあ、大事にしてほしいんだなあ、とForever Goldの時もtimelessの時も思う。だからtimeleszなんだ、何度も言うけれど。

やっぱりふましょりそうって重すぎる!湿度!!!この弩級の湿度こそが3人。この人たちの湿度がわたしたちを育てたしわたしたちの湿度が彼らを育てたと断言できる。湿地帯。わたしたちのことを信じていないとこのセトリは組めないし、わたしたちのことを愛していないとこの曲を贈ろうとは思えない。

こんなに重くてごめん、こんな厄介なことに引きずり込んで本当にごめん!と何度だって思う。でも好きになってくれてありがとう、できたら一緒に歩いてほしい、できたらこの一瞬を少しでも一緒に重ねてほしい、って5人にも新しくtimeleszを好きになってくれた人にもずっとずっと思うんだろう。

こういう時、浴衣にしっかりハーフアップしておめかししてくれるふうまくんのことが、まじで好きだ。

2025 #5 『のだめカンタービレ』シンフォニックコンサート!

自我ひろき現場。めちゃくちゃ楽しみにしていたひろきの千秋先輩、よすぎてよすぎて気が狂ってしまいました。
指揮棒を振るひろき先輩がほんとうによかった、二曲とも指揮を振ってるという意味では変わらないのに、背中からでも全く違う心境や姿勢に見えてすごかった。ひろき先輩が一つ一つの音にタクトを振るのをただ一心に見つめる時間、めちゃくちゃ贅沢だった。
わたしは「コンクールの季節」が死ぬほど好きで、これをミュージックフェアで最初に聞いた時はただ希望に満ち溢れた曲として受け取っていたんだけれど、これは劇中だと途中からSオケが大失敗して未来への希望や期待が一転自信や将来像の喪失にも繋がるところで(たぶん)。そこで出てくるのが「明日からまたリハが始まる 今できる最高の音楽を」なんだよ。最高すぎないか。人生はいつだって失敗と成功の連続で、大失敗の次の日だって変わらぬ日々が続いていて、どんなに打ちのめされても幸か不幸かそこで全てがゲームオーバーなんてありえない。そういう日々を積み重ねて、自分ができる最大限を自分のために積み重ねていくことでしか、自分が信じた音楽を奏でられないし、そうすることで奏でることができるんだ、と思う。大好き。明日からまたリハが始まるんだよ。明日からまた。

2025 #4 episode 1 『FAM』 できたて / ほやほや

溢れんばかりのうきうきとわくわく。毎秒更新される未知の新しい関係、8人によって生み出される新しく眩くそして地続きのtimelesz。

ほんとうによかったねえうれしいねえとしみじみと思うコンサートだった。風磨くん、しょりそうとずっと一緒にいられてよかったねえと思ったし、5人と巡り会えてよかったねえと思った。疑ったことなんて一度もないけれど、こう思える今日が待っていたことがほんとうにうれしい。まずRtpで鬼のように泣いて、以降終始泣いていたように思う。

風磨くんのパフォーマンスは8人になったことで何か変わるのかしらと思っていたけれど、いい意味で全く変わらず、夢のようにきらめいて、匂い立つようにオーラが放たれて、それでいてものすごくものすごくしあわせそうで、ほんとうによかったなと思う。何度も思う。

あとやっぱり風磨くんの、ハーフアップを毎公演(たぶん)見せてくれるという心意気がまずかわいい。MCで前髪を出してから帽子を浅めに被るところとかも、ほんとうにいじらしくてかわいい。

We're timelesz

「Why don’t you ride this big wave?」で腕をなみなみしている風磨くん、「ドッキリは一度きり」で顔をしかめながら人差し指をピンと伸ばす風磨くん、「あの日を後悔」の時に頭を抱えてうごうごしている風磨くん、「実に優雅」でゆらゆらしている風磨くん、全部かわいい。スクリーンの「ふーま」もかわいい。風磨くんの歌詞、最初聞いた時は正直かっこよすぎてこんなにおもちなのに、、!(もっとかわいさがほしい)と思っていた(嘉孝目線の風磨くんなのでそりゃそうと言えばそう)けれど、風磨くん自身がめちゃんこかわいくてオールオッケー!

Anthem→New Phase

Anthem前の映像の最後、画面とステージの照明がリンクして一つの滑走路になり、飛行機が離陸するところがほんとうに好き。

Anthemで滑走路から離陸して、New Phaseで雲の上まで浮上して限りない幸せ(Cloud 9)を掴む。で、これは全て自分次第なんだ。

最初Anthemをもらった時はスゲー歌詞だなと思ったけれど、その時には想像し得ない形でまた一つ代名詞的な曲に育ったのがすごいし面白いなと思う。やっぱりスゲー曲を作るにはスゲー歌詞が必要なんだ。てらパート「Believe me」の横で強気に笑ってみせる風磨くんが大好き。

New Phaseでふうまさきの立膝で作った玉座の上にてらが座ること、そしてこのてらに「勝利が」手で象った王冠を載せるということに死ぬほど興奮する。

SWEET→Cream、スキすぎて

天才時間。当たり前だけれどやっぱりこの曲たちをバリバリにかわいく踊る風磨くんがほんとうに好きだ。歴戦のド正面からのかわいさ。

SWEET、風磨くんのぴんくの指先がぴんくの袖から覗いているのがほんとうにかわいすぎるんだ。一番一番かわいいんだ。

そしてやっぱり勝利の「愛してるよ」を聞かないことには、人生が始まらない。

MC

水を飲む風磨くん、ふわふわぴんくのおもち。

ドームの追加日程が発表された瞬間の、横にいる将生と顔を見合わせて、そのまま腕を大きく広げて将生を迎えに行って、そのまま勝利を2人で包んで、みんなのもとにぽてーっと走っていく風磨くん。真ん中で8人でぎゅっとした時の風磨くんのやわらかくてうれしさをかみしめてでもほんと?みたいな顔を、ずっと覚えておきたいと思った。風磨くんが、ほんとにこんなに幸福でいいの?とびっくりするくらいの日々が、これからも幾度となく続きますようにと願う。

そしてしょりそうのほめほめによる爆照れもち出現MCが映像として広く見られたことがほんとうにほんとうにありがたい。

君へ→because→I’m home→ワンアンドオンリー

君へ→becauseももちろんそうだし、because→I’m home→ワンアンドオンリーの流れにも強い思いを感じる。SZ(これはたむのロゴでもあるが)を受けてtimeleszの電飾が光り、I’m homeを歌うことで、3人が守った家の扉を開けて、各々の物語を持つ5人に入ってきてもらったんだと強く思う。そして唯一へ。I’m homeがここに来るのって、この文脈だからこそだと思うんだ。

君への最後、パーカーを着た5人が今のキラキラした衣装の5人に変わるところがとても好き。この曲を、寺原が2人で飲みながら何度も聞いているという事実に胸がいっぱいになる。そして将生パートの「今度は僕が君のことを守りたいから」を聞く度に、風磨くんのことだ…と真剣に思う。

そして、becauseになった瞬間に湿度がグンッと上がる感じ、この湿度の高さ、この思いの濃さこそが3人なんだと改めて思う。お互いへの思いが三方向に相思相愛で一気にエピゼロに引き戻される感覚。そしてこんなにも均等にお互いを思っている3人が、3人ずっと一緒にいるために3人ぼっちのままでいない選択をしたからこそ、今があってくれるのだと痛感する。「君こそ理由だよ」のところで向かい合うしょりそうをそれぞれ指差しながら歌う風磨くん、ほんとうに風磨くん。風磨くんの指は願いだけれど、配信で見た勝利の力強い指は、意志だ、と思った。終わった後ぺったりくっつく3人、 同じ笑い方で超いとしい。

ワンアンドオンリーで、縦花を肩組んで走り抜けるてらふまを見て、ほんとうの意味でようやく私は生まれ変われたのだと思った。この人に、同じ背丈で、隣で、肩を組んで、一緒に花道を駆け抜ける人が、いるのだ、いてくれるのだ、今、いるのだ、という衝撃、よろこび。あの光景を一生忘れたくないと思う。君の隣に今いるのは君なんだ。

わたしの心の奥底の原風景にはいつだって全く同じ背格好で花道を肩を組んで進む青髪と赤髪の背中がいて、その思い出のフラッシュバックが、現実の持つ質量の衝撃によって眩むようだった。

わたしは、誰にだって代わりはいる、というのは結構希望のある話だと思っていて、しかし代わりがいくらいても、今この瞬間に一つの場で一つの役割を果たせるのはこの世で一人、ということも事実であり、それもまた希望だと思っていて、目の前の光景を見ながらそういうようなことを色々と思っていた。上手く言い表せられないのだけれど、今目の前にいるのは君なんだ。私の大好きな人の隣にいるのは、一緒に歩いてくれるのは、肩を組んで走ってくれるのは、君なんだ。今ここに存在しているのは君で、それだけで十分なんだ。

だから、代わりとか代わりじゃないとかじゃなくて、今ここに君がいてくれるという事実がわたしにとっては一番大事なんだよ、と思った。伝わらないかもしれないけれど。

INTER

INTER前の全員バージョンの映像がおもしろしあわせすぎてほんとうによかった、全てをみんなで笑い飛ばしていこうぜ。「ぬるいんだよな…」と言いながら机をきちんと直すさとうしょうりちゃまがほんとうに好き。

そしてふまはらラップのところのシャツとハーフアップ!!!最高最高最高!!!!!ありがとう。あそこ興奮しすぎて記憶がない。

本建→革命

このあたり、オタクがみんな固唾を呑んでじっ……………………と見ているから空間が微動だにしなくて、その質量がめちゃくちゃいいなと思う。今全員の集中が一点に注がれているという実感。

本建、印象的な曲で演出だからこそ、また異なるアレンジでみんなの魅力を引き出していたのが超よかった。てらの「どうしよっか?」がほんとうにてらすぎるというか。ちょっと困った顔をしてみせるけれどほんとうは全然困っていなくて、語尾にちょい薄めのハートが見える、でもあくまでこっちに決めさせる、みたいな。ひどいよ、と思う。

革命、完璧だった。完璧以上に完璧だった。これだ。完全だ。「女神は笑うはずさ」の勝利の不敵な口角。「どこにもない自分だけのStep踏んで」の風磨くん。この世のド真ん中に立つ勝利が風磨くんにとっての誇りだから、勝利を螺旋の最上段に置くの、風磨くんの信念すぎて震えた。

なんというか、初心に立ち返ったコンサートだったというか、改めてわたし(及び、風磨くん)にとっての勝利という存在の大きさを可視化されたというか。初めて勝利を横アリで見た時の、必ずや、時代を貴方の掌の上に、という感情を、強烈に思い出す瞬間があった。

わたしは今ガチガチのさときくのオタクなので好き勝手言うけれど、やっぱり風磨くんにとって勝利は一つの理想の究極形で、風磨くんの中に確固たる「見せたい『佐藤勝利』」というものがあるのだと思った。そしてそれを見せられる自分でありたいのだと。風磨くんは別に勝利を信仰はしていないけれど(むしろ勝利の方がそのきらいがある)、勝利が見せ得るものに対して一貫した信仰心があると思う。何度聞いてもうぃあたいの勝利の歌詞、絶対ほとんど風磨くん作なんだよ。だって風磨くんの言葉だし風磨くんの信念なんだもん全部。これが全てですよ、風磨くんにとっての勝利は。

そして革命の螺旋の裏センター、勝利の対の場所に立つのはてらなんだ、ということに気づいて震えた。線対称としての対じゃなくて、表裏として対を存在させたのが勝利の「対」としての解だ、、!と思うし、8人だからこそできることだとめちゃくちゃ思う。(わたしは、勝利にとって生涯たった一人のシンメは愛リカであるという厄介な思想を持っている。)

STS→RUN

このセトリに最後に加わるのが、8人だけのために書かれたほんとうの初めての曲であるSTS、ということが胸に迫る。STSによって完成するコンサート。STS→RUNの瞬間、曲の余韻で笑顔だったふうまくんが一瞬で切り替えて真顔になるのがほんとうに好き。

RUN、メンステ→バクステへの全力疾走。先頭を切る前に後ろのしょりそうに向かって行くよ!の合図を送る風磨くん。それを食い入るように見つめてフルで応える勝利。勝利、地球まるごとより風磨くんのことを信じている。先頭を切った風磨くんを追いかけるように続くしょりそうの、花道を競うように並んで走り抜ける姿に胸が熱くなった。

そしてふうまさきが背中合わせになる直前、二人がハイタッチして掌を合わせる時に見えた将生がほんとうにほんとうにうれしそうににこーーっと笑っていて、この視線の先に風磨くんがいることが何よりしあわせだ、、と思った。泣き。めちゃくちゃ幸福な背中合わせだった。てらとの背中合わせもずっとうれしかったし、これからはみんなで背中を分け合って行こうねと思う。

挨拶

挨拶を簡潔にする、まとめて喋る、というのもそれはそれで一つ選択だし、なんら劣ることではないけれど、たむの選択として、何人になっても一人ずつ喋る、一人ずつ言葉を届ける、ということもまた彼らなりの選択であり、そこを省かないというところもとても好きで、彼ららしい在り方だと思う。自分なりの言葉を正面から届けるというのは、彼らのコンサートにおいてかなりの核であるから。

「何歳でおじいちゃんになって死ぬかわからないけど」の将生の屈託のなさとあっけらかんさが好きすぎて永遠に擦ってしまう。わたしがおばあちゃんになって死ぬまでこの話するよ。将生は風磨くんの「永遠じゃない」(これは今世紀最大のアイラブユーです)を聞きながら、(たしかにいつかはおじいちゃんになって死ぬもんな~)と思っていたんだろうか。永遠じゃないっていうのは、実は、みんな、いつかおじいちゃんになって死ぬ時が来るからである、という迫力の答え合わせをしてくれた将生に、一生分のありがとう。

わたしは、3人最後のananで勝利が風磨くんに送った「グループを、アイドルを続けるという選択肢を与えてくれた人」を後生大事に抱えて生きているのだけれど、勝利の挨拶の「僕のアイドル人生の寿命を伸ばしてくれた気がする」はそれの下の句に近いのではないかと思っていて、そうしてくれた5人に対して、「僕たちが、3人が、悲しい思いをさせない」と、3人を主語にして5人への思いを語るのが、ものすごく好きで、同時に抱え切れないほどの湿度の2人への感情だと思った。あそこ、ちょっとわかりにくいけれど、わたしは絶対3人が主語として続いていると思っている。わたしはきっとずっと5人に対して、3人を見つけてくれてありがとう、3人を選んでくれてありがとうと思うし、3人に対して、5人を選ばせてもらった責任がある、と思い続ける(そして、最後まで責任を持つ人たちだとわかっている)。

この間自分の現場記録を読み返していたら風磨くんが「10年、20年、30年」と言っていたと書いてあって少し切なくなったけれど、今回も言ってくれていて、ああこの人はほんとうにずっとずっとグループで一緒にいたいんだと実感することがうれしくてさみしい。そして周杜が「ずっとずっと一緒」と言ってくれたのが信じられないくらいうれしい。

風磨くんが「楽しくて楽しくて仕方ない」と言ったのもほんとうにうれしかった。わたしはグループにいる時の風磨くんがなによりも一番好きだけれど、本人もそれ以上にグループにいる時が一番うれしそう楽しそうということが、一番幸福だ。

ほんとうにしあわせだな、よかったな、最高だな、しか出ない、手を繋いで抱き締め合うコンサートだった。

もう願うことはずっと一緒にいられますように、5人がグループにいてくれますように、グループを愛してくれますように、ということだけで、それが更新される限り今が一番しあわせであり続けられるのかなと思う。色々あった上で、それを全部ひっくるめて今が一番しあわせ。

 

Forever Gold

オーラスダブルアンコ、Forever Gold。見るだけで涙が止まらないけれど、これは悲しみの涙でも喜びの涙でもなくて、この曲に込めた思いが溢れて止まらない感じ。感情というより衝動。

単純に、幸福だと思った。一つの曲に溢れんばかりの思いを詰めていて、それが通じ合っていることが。Sexy Zoneは自らの文脈に常に読点や句点、ルビ、下線を丁寧に入れて言葉を尽くしてきて、それはtimeleszでも変わらない。「Forever Gold」と言った時に上がった歓声が全てで、あの中の一人一人にForever Goldがあり、3人の中にもForever Goldがあるということ自体が、とても幸福なことだと思う。一曲に込める思いを共有しているということこそが一緒に積み重ねてきた対話の最たる象徴で、わたしたちそのものだと思った。わたしにとってはいつだってこの人たちと完璧に対話できているという実感が何より重要で、対話を諦めないでいてくれるところが一番好きなんだ。

この死ぬほど大切な曲を、こんなに大事な場面で歌う曲に選んでくれたこと、思い出にしまわず、生き続けることを選んでくれたことこそ、このグループの在り方そのものだという気がしている。一緒にForever Goldを歌ってくれる人たちを、一緒にForever Goldを歌いたいと思う人たちを、3人が見つけられたということがうれしい。

だから5人には、付き合ってくれてありがとう、と、わがまま言ってごめんね、に、尽きる。一番を3人だけで歌って、二番から5人も歌うのとか、その最たるところで、ただただ一緒に歌ってくれて、歌わせてくれてありがとう、しかない。

わたしは全く以て完結や、終止符だとは感じなくて、Forever Goldを歌うということ自体が忘れないということで、Sexy Zoneと共に生きていく、timeleszを以てSexy Zoneを永遠にする、ということだと思うし、これを歌いたいと思うことこそが、3人の海より重い湿度なのだと思った。忘れないというより、忘れさせない、かもしれない、3人が。timeleszと共にSexy Zoneを生かし続ける。

生かし続けることの是非とか善悪とかを判断することはわたしたちにはできず、断じることができるのは実行者であるこの世でたった3人だけで、しかし3人はこれを実現するために一世一代の大勝負、悪魔との取引をして、5人と未来と現在と過去までも手に入れてグループそのものを前に進めたんだ、と思う。だから何度も言うけれどこれは、timeleszという命より重いグループ名を背負ってくれて、timeleszという死ぬほど重いグループに入ってくれた5人に心の底からありがとう、しかないんだ。3人とともに生きてくれてありがとう。timeleszなんて、こんな重い名前があるか!そういうところが、ずっと一番に好きだ。

だから、なのか、5人に対しても、新しくファンになってくれる人たちに対しても、こんなにも重いものを背負わせることへの申し訳なさがずっとあるし、でもこんなにも重いのが彼らであり、わたしたちであるから、どうかあまり重く感じず、一緒に生きていけたらいいなと願っている。

別に過去のことを全て振り返って、把握してもらう必要はないと思っていて、なぜならそれを完璧に追体験することも、理解することも、単純に不可能なので、ただそれが何かしら大事なものなのだ、ということをわかって、少しでも心の中に置いてもらえたらそれでいい。

そしてわたしはtimelesz/Sexy Zoneの音楽がこの世で一番好きなので、こんなにも素晴らしい曲があるということが入ってくれる子たち及びそのファンの人への最大のアピールポイントであると思っていて、それをフルに活用しないのはあまりにも勿体無い。こんなにもいい曲があるのに、眠らせ続ける意味がないと思うから、歌ってくれてとてもとてもうれしかった。

あと、Forever Goldを歌ってくれた重い重い感謝とは別に、ファーストデートに遅刻するてらが想像できすぎてずっとおもしろい。

 


わたしは、今こんなにも楽しい思いをさせてもらえているというだけでほんとうにありがたくて、もちろん永遠を願っているけれど、体感としては、せめて3年、みんなグループにいてくれますように、欲を言えば5年、みたいな気持ちで、自分の中にある失う恐怖というものは鮮やかにずっと蠢いている。今がとてもしあわせだからこそ、しあわせだと思える今があるという事実、をひとつひとつ丁寧に重ねて、かみしめて、気づいた時に振り返ったらとても遠くまで来ていた、みたいになれていたらいいなあ。

2025 #3 ジェイミー

自我を持って手に入れたひろき現場。この手のテーマにしては前半の展開があまりにも上手く行きすぎて、それが逆に一瞬で瓦解する瞬間をめちゃくちゃ恐れてしまった。もちろん瓦解しつつ、結果的に希望のある、美しく逞しいハッピーエンドだった(そしてそれにとても満足している)けれど、たとえばジェイミーがひろきのように顔がかわいくなかったら(つまり、社会的に「許容される」ゲイとしての見目でなければ)、果たしてこの舞台、この結末は成立したのか、と考えてしまう。純白のドレスに包まれたひろきは涙が出るくらいかわいくて、余計にそこに思いを馳せてしまった。

2025 #2 CONCERT『THE BEST』

帝劇コン!最高の一言では言い表せられないくらい最高で、寂しさや切なさを置いておいて、今日この場にいられること、今日以前の何年も何回も帝劇に足を運べたことが本当にありがたかったなとただただ思った。わたしの大して長くもないこの事務所のオタク生において、日比谷に何度も足を運ぶような状況にたまたま巡り会えたことが本当に幸福だったなと思う。

後悔もたくさんした、あれもこれもここで見られるうちになんで見なかったんだと死ぬほど後悔した。場所は違くてもこれから全部見るぞ!

ああもうほんとうに終わっちゃうんだな、置いて行かないでと何度も何度も思ったし、最後くらいいいよねと脳裏に刻んだリツキを思い出していた。リツキ大好きだよ、一生忘れないよ。

あと2025年に誰が言ってんねんだけどよしおくんってほんとうにすごい。圧倒された、黒目と白目の配分も操って場を声と存在で支配するの、すごすぎた。最後てっぺんド真ん中で歌い抜けるのかっこよすぎるよ。

結局4時間10分くらいあったけど笑、全然疲れなくてもっともっとほしくて、それが一番うれしかった。エネルギーをもらうにはこちらの受け取るエネルギーも必要ですから。

よしおくんが最後「ではまた、新しい帝国劇場でお会いしましょう!」と言ってくれたのが、「お会いできるとうれしいです」ではなくて絶対に来る未来として言ってくれたことがものすごく素敵でうれしくて、新しい帝国劇場にもまた会えるんだ!と思えた。ほんとうに行けてよかった。

ああでもほんとうにほんとうの欲を言うならばこの劇場の0番に立つ宮近くんを見てみたかったなあ。

2025 #1 VIIsual 予感 / 船

デビュー3年目、うみちゃんプロデュースツアー。場面転換がさっと上手くて余韻ごと去っていく感じ、めっちゃうみちゃんだった。引き際の相当な素早さと(オタクにとって)待望の曲を正面からやるという一見相反する二面性がうみちゃんという人間を端的に表している気がする。ハピグル通常もDWMも、やってくれるのはとてもうれしいけど別にオタクの欲望を気にしすぎなくてもいいよと思っていて、でもそれを正面から叶えるのがうみちゃんなのだなと思う。

ソロパラの時も思っていたけれど、場面転換の仕方がのえんちゅでは全く違くて、それぞれらしくてその違いを見るのが好き。のえるくんはギリギリまで一緒にいたくて名残惜しくて、ともすればちょっとしつこいくらいの余韻を出すけど、うみちゃんは愛はたっぷりくれるけど去り際はさっぱりして余計な間を持たせないので、あっさりしすぎなくらいあっさりしている。でもうみパラの場面転換はブツ切り感があった覚えがあるので、いい感じにアップデートされているなと思った。

ハピグル通常と宮近先生込みのDWMで死ぬほど沸くコンサートをデビュー3年目で記録に残せることがうれしい。DWMの振りとコーレスが揃っているのが最高だなと思うし、課題だなとも思う。少しずつ変わっていく必要があることを重々わかりつつ、テレビで紹介される「ブレイク」がまだ現場の体感までは辿り着いていない今この狭間の時期にこれができるのが幸せだなと思った。このブレイクの予感が花開くか、蕾で終わるか、今の時点ではまだわからなくてぬか喜びはできないけれど、昔の思い出を一緒にわかち合おうとしてくれること(もっと言えば、同じように覚えていて、同じように大事に思ってくれていること)がまずはうれしい。去年のオーラスのダブルアンコのDWMも同じように感じたけれど、あれは限られた人だけだったし、客降りして見えない部分もあったから通常セトリで今このタイミングでやってくれてありがたかった。

そしてStaying with youがTogether nowの後輩として栄えある位置についていたのも胸熱だった。そもそも曲が大好きというのもあるけれど、セトリは常に流動的である方がお約束に凝り固まりすぎなくていいかなと思っていて、Together nowも大好きだし思い入れも特別あるしたくさん思い出があるけれど、虎者でもらって以来もう6年近く本編最後の地位を堅持してきたので、新しい息吹を入れるタイミングとしてもよかったんじゃないかなと思う。Together nowもいつだって共にあることに変わりはないですし。うみちゃんプロデュースのコンサートの本編が、うみちゃん銀幕デビューの挿入歌で終わるのも、ご褒美のようでなんだかすごくいいなと思った。

去年と違い撮可曲をアンコ最初に持ってきたことで最後までみんなで一緒に盛り上がれるような構成になったのもいいアイデアだなと思う。まあ撮可でも声を出せばいいだけなんだけれど、それを言っても仕方ないし今しかない時間をちゃんと記録に残したい気持ちもわかるし、構成で変えられるところは変えた方が柔軟でありがたい。

なんか、のえるくんがお休みして不安や心配もあったけれど、2023年に元太が一人で歯を食いしばって背負い続けてくれたグループとしての運命の松明の灯を、これ以上なく理想的な形で、少しずつ他のメンバーも分けて灯せるようになった2024年だったと思う。年末年始「大ブレイク」と色んなところでたくさん紹介されて、長く活動してくれる以上のことを望んでいないけれど、こんな未来が待っていたのかとしみじみとする。去年ほどは心配を持って元太を見つめていない自分に気づいて、そう思った。

トモノリジンナイをみんなで代わるがわる言うのとか、テレビで「トラジャ」として知られたことをホームである場に逆輸入していること自体に、目の前のこの子たちとテレビでのブレイクが地続きになっていることを実感して、これがスターダムだ!と思って沁みた。宮近くんが望んでくれるなら、2025年もっともっともっと売れようね。売れたいね。

売れるというのは、台風の目のように内側にいると案外気づかなくて、あれ、最近テレビの出演多いな、うれしいな、と思っている内に、いつの間にか「ブレイク」として色んなところで紹介されていて、ブレイクしていたんだ!?と後から知ることを、2020年の風磨くんの快進撃以来久しぶりに思い出している。こんなことをトラジャに思う日が来るなんてなあ。売れないと思っていたとかではなく、どうか明日もステージに立ち続けてほしいという未来の確約ばかり願い続けてきたから、まだそこに脳が追いついていない。愛知までらいおんくんの実物が来てくれたのも、めっちゃ主演ー!売れたー!という感じで最高だった。

せんけんさんがタクシー2万かけて来てくれたのも愛知。MCでバクステに現れた千賀くんがトラッコに乗ってメンステまで移動する時間、客席みんなペンラを青にして手を振る千賀くんに和やかに手を振り返していて、ただ出迎えるだけの客席との時間を過ごすというのはアイドルにとってもファンにとってもかなり貴重だなと思って、千賀くんにとってもいい思い出になっていればいいなと思った。

そして千葉、のえるくん復帰。やっとまた自分の人生も動き出したようなそんな気持ちがした。やっぱりこの人の激情はここにしか属さねえよなあ!と震えた。そしてやっぱりこんなにも面倒で気難しくて愛に臆病な人の人生に大雑把ででっかい愛で包み込む人たちがいてくれてよかったなーと何度も思った。一人一人に6人がいてくれることが何よりのしあわせだよ。

わたしにとって、2024年というのは初っ端から、「祈る」ということは無駄なんだと眼前に突きつけられた年で、自分がどんなに祈ったとしても物事は起こるんだ、グループというのは複数の人間の意志が重なって初めて動くんだ、船を降りるのは自由なんだと強烈に思った年で、だからもちろんまずは休むことができてよかったという気持ちも大きいけれど、結局は決断は不可逆であり、それに委ねるしかない、祈りは通用しない、と思っていたので、こういう形でまた、ある意味グループとして、のえるくん個人として、幕が開いたのは、大袈裟ではなく奇跡だなと思う。

あまり深く考えすぎず、とにかく本人のペースで、安心して休める環境に感謝していようとのんびり構える気持ちでいたけれど、やっぱり何か自分の中で欠けたまま生きていたんだなと思った。比べるものではないけれど、渡米中の閑也の時に比べれば断然環境や待遇がよくなっていることは確かで、過剰に不安になっても事態は進展しないというのは頭でわかっていたからこそ、感情にブレーキをかけていたような気がする。とにかく、戻って来てくれて、戻って来れて、ほんとうによかった。自分も休んだことがある身だからこそ、休むことにも体力がいること、進む(別の道を選択する)にも、戻るにも、同じだけプレッシャーがかかること、今までの自分と今の自分、これからの自分とのギャップに苦しむこと、少しばかりは想像ができるので、とにかくのえるくんが満足の行く形で休めて、英気を養って、またグループとして活動したいと思える期間を過ごせたなら、それが一番いいなと思う。ハピグルの「みんな集まってハッピーグルービー」というn億回聞いたウルトラハッピー歌詞にもなんだか涙が滲んだ。

千葉のたった3公演のために映像を足して、7人でフィナーレを迎えられる形にしていたのも、なんというかほんとうにそういうところだよと思った。そういうところがずっと一番に好きだな。もちろん、これを実現できるようになったこともうれしい。長い長いツアーで季節も2回くらい超えた先に、最後に間に合う形でみんなで踊ることができてよかったなと思う。

オーラスダブルアンコ、本編で歌わない初めてのツアーだった(たぶん)からさすがにTogether nowが来るかなと思ったしもちろんそれでもよかったんだけれど、なんだか半年かけたツアーなのに同時に疾走感のある明るいツアーでもあって(うみちゃんプロデュースに依るところが相当大きい)、最後もまた離れる寂しさよりも7人揃ったうれしさ楽しさが場を満たしていたから、ユニタイが最適解だったな。すごくいい終わり方だった。

ユニタイを歌う時、いつも脳裏に2019年のサマパラの思い出が駆け巡るんだけど、あの時曲を作ってよかったよねえって思った。あの夏があったから今があるんだと今思えることが一番幸福だ。

双眼鏡を覗くたびに、この人たちお互いに自分のことを預けすぎだろ!と思うくらい預けていて、ありがたいなと思うし、なんて素直なの、と思う。なんたる大雑把でドでかい愛。

ラスト挨拶、やっぱり宮近くんってヒップホップの男すぎる。最近説法みが若干薄れて説法1:ヒップホップ9くらいの割合になってきた。相変わらず何を考えているかは全くわからないけれど、口に出される言葉はわたしが考える「見せてくれる宮近くん」像と寸分違わず、1ミリもずれていない言葉をもらえることが、わたしにとって最も大切な確認作業な気がする。