みぎのほっぺに冬の夜

Träume sind Schäume.

梅雨のような人のお誕生日に寄せて!

にのちゃん40歳のお誕生日おめでとうございます!わたしの人生の最終目標はあなたにお線香をあげることなので、どうか末長く穏やかに健やかに長生きしてください。

 

お誕生日のようなめでたい日にはそぐわない題材に見えるかもしれないけれど、この数ヶ月で自分の中でささやかで大きな変化があったので、それを書き残したく。

結婚と家族について。

 

なんかこう、前提として、にのちゃんが結婚したことも、誰と結婚したかも、いつ結婚したかも、記憶の彼方に消し去って、まあ50億光年先で考えられる時が来たら考えられたらいいやくらいに思っていたひどいオタクなんだけれど、というのも、発表の直後に入った札幌ドームで、わたしはそう思って差し支えない、と思えたから、そう思ってきた、というのが大きい。とりあえず遥か彼方まで"これ"に対する思考を放り去って、なんで、どうして、を脇に置いておけるくらい、嵐の二宮和也が好きだな、と思った。

なんでもどうしても何もないのだけれど、オタクの思考回路というのはとかく認知の歪みが発生する。

 

なので一人目が生まれたことも、二人目が生まれたことも、あるいは他のメンバーの結婚すらも、できるだけ遠ざけて、なかったことにしていた。

していたんだけれど、二人目の子が生まれて、その子の写真を見た中丸くんのコメントを知った時(たしか「写真を見せてくれた、小さな二宮くんみたいだった」みたいなことを言っていたはず、文面でしか見ていないのでうろ覚えなのだけれど)、ああ、と思った。唐突に、ささやかにそう思った。

見せているにのちゃんを想像して、その写真をわざわざ自分のスマホから出して、後輩に対して見せている様子を想像して、あーうれしかったんだろうなあ、とか、かわいくてたまんないんだろうなあ、とか、わぁっと込み上げてきて、そうして考えると、自担に対してそれだけの幸福を与えてくれる存在に対して、果たしてわたしのこの感情はどこに向かうのか、という気持ちが湧いて出てきて、例えばここみちゃんやこーきちゃんが出てきた時、果たしてわたしは将来表に出てくるかもしれない自担の子供の存在を直視できるかと考えたけれど、そういう存在にわずかばかりぶち当たった今、直視できるかどうかは置いておいて、その子が絶対的に幸福であってほしいな、そうできる父親であってほしいな、という感情が一番に出てきたように思う。そして、そういう家族に囲まれるにのちゃんも、絶対的に幸福であってほしいなと思う。

ものすごく嫌な言い方をすると、わたしにとって最初それら全ては一つの個として完結しているはずのにのちゃんに「追加」された要素で、でもそれはわたしにはとってはいらないもので、ずっとそれを拒否していたけれど、それはとっくににのちゃんを「構成」する要素、彼にとって最も大切なパーツになっているんだな、と思えた。そう思えたことで、ようやく自分の心の奥底のドロドロとした鉛のような呪いが溶けていくような感覚があって、なんだかひどく安心した。人を呪うということはとてもしんどい。

にのちゃんが中丸くんに見せていたという事実も、わたしたちの見えないところで、彼らが平穏に、お互いの家族に対して会話する場があり、それぞれの家族への関心と親愛があり、そしてそういう姿を彼らの後に続く後輩たちも目撃している、ということを教えてくれて、上手く言えないけれど、よかったな、と思う。

結婚が全てではないし、わたし自身結婚したいとは思わないけれど、でもにのちゃんが、何より幸せでいてほしいはずの自担が、ジャニーズのアイドルとして生きながら、自分の意志で結婚という選択肢を選ぶことができてよかったな、それを阻んでしまうような呪いの存在にならなくてよかったな、と思った。

 

これから先も、好きなアイドルにとって、どんな選択肢も選択可能であることを願うし、それらの選択全てを祝福することを選択することができる自分でいたいと思うし、ずっと一番のにのちゃんでできたのだから、もう誰に対してもできると胸を張って言える。

 

40歳、改めておめでとうございます。あなたとあなたの家族、友人、全ての大切な人にとって、素敵な一年でありますように。