みぎのほっぺに冬の夜

Träume sind Schäume.

遅めの春よ咲き乱れろ

端的に言ってしまえば、この度Snow Manから降りた。随分長くかかったけど、終わりは呆気ないほど一瞬だったし、穏やかなものだった。

 

 

 

折に触れて書いてきたこととして、私は上書き型じゃなくて別ファイル保存型のオタクだ。好きは増える。減らない。同じ質量の好きを、同時並行で何個でも成立させられるのは結構な才能だと思う。あれも好き、これも好き。全部最高、見逃すなんてもったいない。

だからそもそも担降りという機能は備わってない。自然消滅はするかもしれないけど、一度好きになったものを嫌いになることはない。アイドルの本質、箱の本質が変わらない限り。

 

変わった。ように見えた。少なくとも最初の3ヶ月は。というか彼らが変わっていく過程から私は目を逸らした。私は6人を好きになってからまだ日が浅くて、かつ今まで箱が壊れる姿を見たことがなかったから、死ぬほど動揺したし、烈火の如く怒った。怒って、憎んで、絶対に許さないと誓った。同時進行で嵐のこともあって、もう精神はガタガタだし、感情はジェットコースターだし、とにかく1月2月は死ぬほど荒れた。アイドル、なんで好きになったんだろうと思ったりした。こんなに辛いなら、出会わなければよかったと思った。YouTubeも9人になってから見るのをやめた。見れなかった、とにかくよくわからないけど人が多くて。彼らが何も悪いことをしていないことも知っているし、それを許せない自分が離れるべきなのも知っている。それを認めたくなくて、認められない自分が嫌で、9人から逃げた。

そのうち6人を声高に叫ぶ人は過激になって分離して、一方で声高でなくても6人が好きだな、と静かに言っていた人たちも減っていった。写真もイラストも少しずつ少しずつ9人になっていった。その全部を、一人何も言わずに見ていた。一人だけずっと怒っているみたいで、なんだか途方もなく取り残されたような気持ちだった。

 

 

 

 

 

 

単独は残る決定打にはならなかった。ほぼ初めて見る9人の揃った姿はショックというよりも得体の知れないものを見ている感覚で、なんだかずっとぼんやりしていた。すごく楽しかったけど今思えば目の前のことを全く消化できていなかったように思う。どうしよう、とだけ思った。

 

歌舞伎は反対に離れる決定打にならなかった。本当に良かったから。歌舞伎こそが彼らのステージなんだと思ったし、これが9人になった意味なのだと独りごちたりもした。このステージのためならしょうがなかったのかも知れない、とずっと怒り倒していた私が思うくらいには歌舞伎は文句のつけようがなかった。まだわかりやすく残る荒削りささえも彼らの芸を輝かせるものでしかなかった。もっと見ていたい、と思った。

 

 

たまアリは、とにかく記憶がない。というかトラジャのことばかり苦慮していて、自分の立ち位置のわかりやすい偏りをようやく認めた。たまアリはたぶん各グループ忙しすぎてほとんど合わせる時間がなかったんだと思う、合同コンサートというよりは、単独コンサートを入れ替わり立ち替わり見ているような感覚だった。だから始まって3番目にトラジャが出てくるまでは随分時間が長く感じられたし、他のグループの良さを見て焦ったり、トラジャの輝きを見て誇らしくなったりした。私はさいたまスーパーアリーナで明らかにすのとら掛け持ちとしてではなく、トラジャ担として存在していた。9人のSnow Manを、純粋にライバルとして見つつある自分に気づいた。

 

 

 

サマパラは迷って結局申し込まなかった。機会があれば1回くらい行きたいなという甘えはあったけど、とにかく全ての運と金をトラジャに使いたかった。結果として私の名義はその役目を全く果たさずうんともすんとも言わなかったので運もクソもないのだけど、とにかく一夏を手放すくらいには気持ちが落ち着いているのを感じた。

 

 

 

 

急転直下、疾風怒濤、青天の霹靂(ではない)。事態の終結は突然訪れた。いつもYouTubeはTLに山ほど流れている断片的なスクリーンショットの気になるものだけを見て満足しているのに、その回は見れば見るほどなんとなく自分の目で見たくなった。ひーくんが「自分のことをこれからも守ってほしい」という死ぬほどかわいいことを言っている瞬間をどうしても自分の耳で聞きたかった。ので、見た。動画はなんのことはない、普通に面白くて楽しくてかわいい、いい回だった。私が初めて見るパフォーマンスをしていない9人だけの空間だった。

そう、普通に面白くて楽しくてかわいかった。まるで元からそうであったみたいに、9人はすっぽり綺麗に収まっていた。今この瞬間私が見ているものには何のヒビもなかった。もう箱は完成されていた。私は、本当に唐突に、ああ、私の気持ちは、邪魔なだけだ、と素直に理解した。急に腑に落ちた感覚だった。だから、もう離れなきゃ、と思った。

本当はたぶんずっと前から理解していたんだと思う。私が心の中で必死に守り続けている6人の偶像を、他ならぬ本人たちによって否定されることがただただ怖かった。自分だけが過去に縋っていて、当人は前に進んでいるという事実がどうしても辛くて、だから9人は見れなかったし見たくなかった。少しの綻びを含んでいてくれと願ったりもした。でも私が見た9人にはもう9人の人間関係があり、9人の箱になっていた。そこに真正面から向き合うまで、半年かかった。

 

 

 

 

6人の中で楽しそうに笑っている翔太が好きだった。9人の中でだって楽しそうに笑っている。どうかずっと笑っていてくれと願う。

ようやく9人と正面から向き合えるようになった。でも私にとってそれは同時に過去の6人に別れを告げることでもあるから、ひとまず心の整理のために担降りの形を取ろうと思う。私は6人のSnow Man渡辺翔太を担当していたから。

 

 

 

ようやく、本当にようやく、1月2月に聞き続けた、この世の全ての呪詛を詰めたような「1月17日」というプレイリストを消せた。